Yahoo!より転載。

 

石川県知事と地元紙の関係性に苦言を呈したら…北國新聞による「アンサー記事」に思ったこと

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文春オンライン

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「神は細部に宿る」と言いますが、ある新聞のコラムを読んで「なるほど、この新聞社らしいな」と感心したことが先週ありました。

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 まずおさらいします。2月13日に私(プチ鹿島)は石川県の北國新聞について書きました。能登半島地震をめぐる検証記事で、北國新聞は馳浩知事に対して厳しいことを書き始めていたからだ。知事の言動や情報発信について不満を持っていることが伝わってきた。

  ただ、そんな馳知事の振る舞いには北國新聞も「加担」していなかったか? と当コラムで書いた。なぜなら震災前、馳知事は地元でマスコミに対してやりたい放題だったからだ。たとえば馳知事は自身らを登場させたドキュメンタリー映画『裸のムラ』(五百旗頭幸男監督)がよほど気に入らなかったのか、製作元の石川テレビに対して定例会見での社長出席を要求し、それができなければ定例会見はしないという態度を続けていた。気に入らないメディアへの圧力といっていい態度だったが、石川県で大きなシェアを誇る北國新聞はこの問題でおとなしかった。

 ※新聞労連や民放労連からなる「日本マスコミ文化情報労組会議」は声明文を発表し、地元の報道機関にも「一致して事態の打開に向けて行動すべきだ」と主張している。 

 これら平時の振る舞いがあったからこそ、非常時での知事の情報発信などが県民の不満につながってしまったのではないか? あと、安倍派の裏金疑惑が報じられるようになってから森喜朗氏がよく登場する北國新聞の連載が突如終了。この流れもあって北國新聞は馳知事にようやく小言を言い始めたとも見えてしまうとも私は書いた。北國新聞は馳知事の“後見人”である森喜朗氏と近いと言われていたからだ。

紙面で発見した「アンサー」

 すると先週の2月19日、私への「アンサー」が北國新聞に載った。編集局主幹・宮本南吉氏によるコラム「月曜手帳」に次のくだりがあった。

(A)《ところで最近、ごくまれに「石川県庁と北國新聞の間で何かあったんか?」と尋ねてくる人がいる。馳浩知事の震災対応を検証した本紙連載「日本海側からのSOS」を読み、そう思うようだ。中には「馳知事の背後にある状況が変化したから、知事に苦言を呈し始めたのでは?」と想像を膨らませる人もいる。はっきり言えば、そうした想像は的外れだ。「日本海側からのSOS」を書いているのは私である。震災を受け、地域住民の命を守るには何をすべきかを、読者の皆さんと一緒に考えるために書いている。地元紙の記者として使命感を持って臨んでいる。》 

 そして注目は直後の段落だ。 (B)《長野県の信濃毎日新聞で、時事問題に詳しいタレントのプチ鹿島さんがこんなことを書いていた。「地震列島の日本は今日どこで何があるかわからない。地域性を自覚し、警鐘を鳴らすのは地元紙の大切な仕事だ」。無責任な想像とは異なり、鹿島さんの、この意見には共感を覚えた。》 

 いかがだろうか。(A)は明らかに文春オンラインの当コラムを指している。でも私の名前は出していない。しかし(B)で別コラムを引用し「共感を覚えた」と言いながら私の名前を出している。

 

問題の本質には触れず

 これは新聞を使ってのけん制なのだろうか。巧妙だなぁと感じたのは「馳知事の背後にある状況が変化したから、知事に苦言」は否定しているのだが(森喜朗氏の名前を出さずに)、私が問うていた「馳知事のメディアに対する態度に声を上げない北國新聞」についてはスルー。本質に触れていない。

  私はこのことを先週木曜、ラッパーのダースレイダーとやっているYouTube番組「ヒルカラナンデス」で報告した。すると、すぐさま翌日の金曜、ふたたび紙面上で「反応」してきたのだ(今度は別コラムで)。

《ところで先日、本紙コラム「月曜手帳」で、タレント・プチ鹿島さんの「地方紙論」に触れたところ、本人はとても喜んでいたようだ。私も人から話題にされると非常に喜び、そのことを何度も何度もコラムのネタにする。まあ、鹿島さんの同類である。》(北國新聞2月23日)

  このあと「文化には感情を揺さぶり、生きる勇気や希望を与える力がある」という馳浩知事の文化への発言について自分は賛成だけど「鹿島さんはどうかな?」と書いているのだが、これが「新聞」の「主幹」のコラムというからしみじみした。私がこの文章から感じるのは、知らず知らずに権威を笠に着てしまっている人の姿だ。 

 たとえば「週刊新潮」は北國新聞についての記事で、 《石川県のメディアを牛耳る同社は、取材対象に不満があれば過去の関係性など気にせず平気で紙面を使って揺さぶりをかけてくる、試合巧者なのです》(2月8日号) 

 という地元の声を載せていた。たしかに今回も「石川県内では効果絶大の“けん制”も、県外や全国メディアには全く及ばないので、相当焦っているのでは」とは北國ウオッチャーの声だ。

私の反省

 ただ私の側も北國新聞についてもっとよく知らなければいけないという反省もある。 

 会員制雑誌「選択」2月号に『弛んだ保守王国と共犯「北國新聞」』という記事があった。その中で「県政と地元メディアの癒着体質」として、 《石川県政に圧倒的な影響力を持ち、一時期を除き中西、谷本と蜜月関係を維持していた北國新聞》

  とあった。「中西、谷本」というのは馳知事以前の知事たちのことだ。中西知事時代は昭和38年からだから蜜月はそれ以降ずっとということになる。

 

 この状況について、 《ライバル紙の北陸中日新聞の関係者は「北國は杜撰な県政を容認、放置してきた」と、県政べったりの地元メディアの弊害を指摘する。》 

 との声を載せていた。能登半島地震発生後、あの北國が現職知事を批判するのかと驚かれているが、被災地の住民のみならず、県民全体に、県政や地元メディアへの鬱屈がたまり、北國新聞としても無視できなくなったのだろうとも書いている。 

 これらを読むと北國新聞そのものが長年にわたって権力者側であり続けたことがわかる。皮肉にも「森喜朗氏の影響力が落ちたから馳知事に小言を言い始めた」という見立てを北國側が否定する気持ちもわかる。ずっと前から「県政べったり」ならば。

違和感の正体がわかった

 そういえば昨年11月に馳知事が東京五輪招致で「機密費でIOC委員に贈答品」と発言した際に北國新聞は1面コラムで、 《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》(11月22日) 

 と書いていた。私は叱り方の角度に驚いたが、今ならこの違和感の最大の正体がわかる。それは「権力者同士の視点であること」だ。少なくともメディア側の叱り方ではない。そう考えると馳知事が他のメディアに圧力をかけても北國新聞がおとなしかったのは「自分も権力者側」だったから、という見方もできないか。地元紙はどこを向き、誰に寄り添うのか。あらためて考えさせられる。

  それもこれも「神は細部に宿る」という言葉どおり、北國新聞が身をもって教えてくれたからだ。「紙は細部」に宿るようで、ありがとうございました。

プチ鹿島

 

以上、転載。

 

広島の地元紙・中国新聞、やはり同じような面がある。

総理大臣を出してるせいか、岸田首相への批判記事は皆無。

カープに関する”負”の記事は皆無。

選手のスキャンダルは報道しない。

スタンスは理解できるが・・。

とある中国新聞の方に聞いてみた。

「なぜカープの裏面を書かないのか」

答えは「お互いウィン・ウィンの関係だから」と。

つまり、カープの許可・忖度なしには、批判記事は一切書けないということ。