Yahoo!より転載。

 

米国の核廃絶論に欠ける視点 広島、長崎を“世界化”させられるか

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毎日新聞

長崎市の原爆落下中心地碑前で核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメリッサ・パーク事務局長(中央)の発言を通訳する川崎哲さん(右)=2024年1月21日午前9時36分、樋口岳大撮影

 米国で2023年11月に被爆体験を語った長崎の被爆者は、核兵器廃絶の訴えに共感してくれる現地の若者たちに出会い、勇気付けられた。同じ頃、ニューヨークで核廃絶を訴えた広島の被爆者は「核兵器は平和を守るために必要だ」と主張する人たちにデモ行進を妨害された。米国の人たちは、79年前の広島、長崎への原爆投下や核兵器廃絶について、どのように考えているのか。17年にノーベル平和賞を受賞したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営委員、川崎哲(あきら)さん(55)に聞いた。

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   ◇  米国社会には「広島、長崎への原爆投下が正しかったという意見が根強い」という世論調査結果がある。一方で、「核兵器は良くない」という世論が伸びてきているという報道機関の調査結果もある。私は統計的にどれが正しいのか言う立場にはないが、全体的な感覚では、原爆投下正当化論は根強いが、一部の若い人の中には「だけど、いくら何でも(原爆は)良くなかったんじゃないか」と素直に思う人たちが、ある程度増えているのだろうと感じる。

  日本への原爆投下が正しかったというのは、ある意味で極めて古典的な米国の世界観だ。民主主義、自由主義勢力が悪と戦ったという第二次世界大戦に関する物語も、戦後の国際秩序の物語もそうだ。そういう古典的な教育を受けた人たちは、米国が悪かったはずはないと考える。  それに対して、第二次世界大戦の終結からだいぶ時間がたったこともあるが、そういう教育に縛られない、若い人たちが素直に「これはおかしいんじゃないの」と口にすることが増えてきている。

  23年5月に広島市で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)に合わせ、私の知人でインフルエンサーの米国人女性が広島に来て原爆被害や核問題に関する動画をSNS(ネット交流サービス)で発信したところ、瞬く間に50万件の「いいね」がついた。彼女も驚いていたが、反応を書き込んだ多くが米国の人で「これは大事なことだ」「初めて知った」「学ばなければいけない」などとポジティブな意見を寄せていた。 

 これはイスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスとの戦闘でも同じことが言える。「イスラエルが正しく、パレスチナはテロを支援している」というような考え方が米国の伝統的な歴史観だが、報道を見て「さすがにイスラエルはやりすぎだ」と素直に考える世論が米国の中でも強くなってきている。

  加えてもう一つ。日本人にしてみれば、1945年8月の広島、長崎への原爆投下と今日の核兵器の問題はかなり重なるが、米国はそうではない。象徴的なのは、オバマ大統領(当時)が核軍縮を強く打ち出した際、そこにほとんど広島、長崎はなかった。

  オバマ大統領が「核兵器をなくそう」と訴えた議論のポイントは「核兵器を持ったままだと米国が核攻撃されるから」ということだ。だから、核セキュリティー、具体的には核テロ防止に最も力を入れた。「世界に核があふれていたら、いずれテロリストの手に渡り、米国が攻撃に遭う。これは大変だ」と。こういう議論だ。

  冷戦期からの米露の核軍縮を見ても、首脳間で再確認されてきたのが「核戦争に勝者はいない。よって核戦争は戦われてはならない」というフレーズだ。「やったらやられてしまうからやめとこう」という発想だ。

  米国は「自分たちが利益を失わないために」という意識が非常に強いので、自分たちが核の被害者になるというふうに気がついた途端に「核をなくそう」と動き出す。それがこれまで何度か見えてきた米国内での核廃絶論だ。 

 オバマ政権時代に核セキュリティーや核の危険性の啓発をするビデオや映画がたくさん作られ、私も見たが、広島も長崎もほとんど出てこない。「核という恐ろしい技術と、恐ろしい兵器をどうするか」という問題の中で、米国の人々の中に45年8月に自分たちが何をしたかということは非常に小さな部分しか占めていない。

  米国の人たちの最大の関心は、自分たちが攻撃されず、安全でいられること。米国の人々に向けて、45年8月の原爆の問題を語ることと、今日核兵器をなくすべきだという話をすることは、一定程度切り分けざるを得ないのではないかと私は感じている。

  例えば、米国人が被爆者の証言を聞いて、「核兵器は恐ろしい。こんな大変なことがあったんだ」と思ったとしても、いきなり今日の国際情勢の中で、米国が核軍縮すべきだとか、核兵器禁止条約を支持すべきだという流れになるとは限らない。その一方で、核軍縮や不拡散を強めて、核兵器に反対していくべきだと考える米国の知識人の中にも、45年8月の広島、長崎への原爆投下は正しかったと言う人はたくさんいる。そこがなかなか一緒にならない現実は、日本人から見ると非常に複雑な気持ちがするが、核兵器廃絶に向かうという流れができるのであれば、考え方を切り分けるのも一つの方法ではないかと思う。 

 被爆者が命ある限り、原爆の惨状を伝えていこうとされているのは非常に重要で尊い。第二次世界大戦の終結から間もない時期とは違い、被爆者の体験に一定の共感が得られる素地は、米国社会にも世界にもできている。

  被爆者の訴えをより広く浸透させるには、ある種の「通訳」が必要だ。「被爆者の体験は、今日の核兵器問題につながっていて、核軍縮を進め核兵器廃絶をしていかないと、同じようなことがまた世界のどこかで起きる。それはあなたの国かもしれない」と通訳する部分。それは、被爆者ではなく、私自身を含む現役世代がやっていかなくてはならない。

  核兵器禁止条約が誕生したのは、それがうまくいったからだ。赤十字国際委員会が「核の非人道性」というコンセプトを作り、「世界の問題だ」と位置づけた。それで世界中の国が動いて条約につながった。そういう広島、長崎を「世界化」していくような装置が必要だ。

  例えば、核兵器の被害者は広島、長崎の人たちだけではない。核実験の被害者は、太平洋にも中央アジアにも米国内にもいるとわかることで世界化する。「さっき聞いた長崎のあのおじいさんの話が、自分のところの話にもなるかもしれない」と考えるきっかけになる。「自分たちが被害者になるかもしれない」と言わなければ分からないというのは人間の悲しいさがだが、そういう通訳の役割を特に被爆地、被爆国の若い世代が国際感覚を持って担ってほしい。被爆者とのある種のチームプレーが必要だ。

【聞き手・樋口岳大】 

   ◇  かわさき・あきら 1968年生まれ。東京大卒。市民運動や平和活動に従事。2003年にNGO「ピースボート」に入り現在、共同代表。08年から被爆者と世界を回る「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」を実施。