Yahoo!ニュースより。

 

全国で最も人口が流出している広島のまちに何が足りないのか

配信

JBpress

広島電鉄の路面電車(写真:Jphoto/イメージマート)

 「転出超過が3年連続で全国ワースト1」。広島で暮らすわたしの周辺は、最近もっぱらこの話題で持ちきりだ。

【写真】嚴島神社の大鳥居 

 総務省が1月30日に発表した2023年の人口移動報告で、広島県から転出していく人が転入してくる人を上回る差が、3年続けて全国最多であることがわかったのだ。人口は常に流動的で、その土地にやってくる人もいれば、そこを出ていく人もいる。住民基本台帳に基づき、国内でこうした人口移動がどういう状況かをまとめて年に一度発表するのだが、この結果は広島県民にとって、かなり衝撃的な内容。地元紙はこのニュースを翌日の朝刊1面トップに置いた。

 ■ 若い世代が出ていったきり

  「2年連続ワースト1」と発表された昨年も話題となった。今年はさらに、転出超過数が1万人を超えた唯一の都道府県が広島だったということ、そして、その増え幅が最も拡大していたのも広島だったということで、さらに大きな衝撃として受け止められた。

  湯崎英彦知事は、その日の会見で、若い世代を中心に転出超過が多いことへの危機感をあらわにした。ある地元テレビ局の報道では、人口動態調査の専門家が「ここまで県民に選ばれていないということを(県は)少し反省したほうがいい」と辛辣だった。

  転入超過数が最も拡大しているのが東京都だというのは、さもありなんだろう。その東京への転勤辞令を受けて、19年間勤務した会社を辞めて広島暮らしを続けているわたしは、よほど変わった人間ということか。

  両親の出身地・自分自身の出生地であり、現在の居住地ではあるものの、国外も含めてずっと県外で育ってきたわたしは、広島の人間であると同時に、いわゆる「よそ者」でもあると自負している。どっちつかずではあるが、多少生意気な言い方をすると、内の目と外の目の両方があるとも思っている。

■ 「働く場所が少ない」だけ、なのか?

   そんな立場で、わたしは昨年来ずっと、広島がなぜ転出超過ワースト1なのだろうか、ということを考えてきた。地元の行政や経済界を中心に、若者が働く場所が少ないのが理由だとする声がよく聞かれるが、果たしてそれが原因なのだろうか。そんな単純な話なのだろうか、と。おりしも、コロナ禍を経てリモートワークが当たり前になり、場所を問わずに働く選択肢もグッと増えて、地方移住はトレンドですらあるのに。

  県外で暮らす広島出身者に、広島に帰らない理由を聞くと、その答えはさまざまだ。「東京の方が楽しいから」「もうこっちに生活があってわざわざ戻る理由もない」などという人が圧倒的に多いのだが、あれこれ話していると、いろんな思いが吐露されていく。「広島ってものすごく保守的」「男尊女卑の空気がある」「『平和』ばっかり言うけどあんまり平和じゃない」…なるほどな、と思う。

  広島では、いつでもどこでも「平和」という言葉が耳に飛び込んでくる。言わずもがなではあるが、人類で初めて人々の頭上に核兵器を投下された広島は、長崎とともに、核兵器廃絶のない世界を訴えてきたまちだ。

  広島市役所・広島市議会の敷地内には「国際平和文化都市ひろしま」の標語を大きく掲げ、世界遺産原爆ドームを含む一帯を「平和記念公園」と名付け、原爆被害の実態を展示した施設は「平和記念資料館」と呼ぶ。そして、1945年8月6日に何が起きたのかを学ぶ授業を「平和学習」と呼ぶ。

 

■ 耳心地よい「平和」の裏で起きたいくつかの出来事 

 さまざまな価値観がうごめくこの世界で、「平和」ほど多くの人たちに支持される言葉はおそらくない。誰も否定しない、みんな大好きな「平和」。PEACE。PAZ。PACE。そんな耳心地がいい「平和」という言葉があふれるまちは、さぞかし居心地もいいはずなのだが、さてどうしてだろう。

  と思いながら、ここしばらく広島で起きた出来事を振り返ってみたとき、広島の言う、その「平和」とは一体何なんだろう、と首を傾げたくなる出来事が続いたことに気づく。 

 まずは、広島市教委が、中沢啓治さんの『はだしのゲン』を、小学生の平和学習教材から削除したこと。中学校の教材からは、アメリカの核実験によって太平洋を航行中の日本のマグロ漁船と乗組員が被曝を余儀なくされた第五福竜丸事件(1954年)の記述を削除した。

  続いて、広島開催のG7サミット(2023年5月開催)。核保有国など主要7カ国と欧州連合が一堂に会し、「広島ビジョン」の名の下、核抑止力を肯定する内容の共同声明を発出した。「核兵器廃絶」と長年訴えてきたまちから、核兵器の役割を肯定的に位置付けた内容のメッセージが発信されたことになる。

  さらには、広島市の平和記念公園と米真珠湾のパールハーバー国立施設との間の姉妹公園協定。協定の意義を説明する市の幹部が米国による原爆投下責任の論議を「棚上げにする」と議会で発言し、物議を醸したことは以前ここにも記した。核兵器によって殺された人々は、市のこの姿勢をどう受け止めるか。

  極めつきは、松井一実・広島市長が、教育勅語を引用した資料を、新人職員研修で12年間にわたって使い続けてきたこと。非常事態時には、「臣民」である国民は、天皇が統治する国のために力を尽くすべきという内容の教育勅語は、明治天皇が臣民に対し、天皇と国家への忠誠を説いたもので、ゆえに国民主権の日本国憲法下には相容れない内容であるとして国会で失効決議がされている。

 

 だが、通信社の報道によってこのことが明らかになった後も、「臣民」の言葉も含めて引用した現在の資料の内容を変える予定はないと松井市長は言い張る。戦後の民主主義を否定しているようなものだ。

 ■ オープンな議論と批判なくして「平和」なのか 

 これら一連の出来事に対して、「それはおかしい」と声を上げる人たちはいる。ただ、それは本当にごくごく一部の人たちだけに止まっているのが現実だ。

  そんな現実について考えているうちに、なんとなく見えてきたものがある。老若男女、官民揃ってこぞって「平和」を大合唱するわりには、「平和」を阻害するものに対して批判の声を上げる人がごくごく一部の人にすぎないということだ。大きな権力に対して、それを批判する内容のことを堂々と言えるような雰囲気がない。

  そして、広島が訴えてきた「平和」の意味を揺るがすような事柄が、ごく一部の人間だけの閉鎖的な空間において、市民を交えたオープンな議論がないまま決められていることも。

  「平和都市」において、「平和」の定義がものすごく矮小化されているのではないか、とも思えてくる。1945年8月6日に広島で起きた出来事に紐付けて「平和」を考える営みは必要不可欠だけれども、それだけでは不十分ではないだろうか。

 核兵器のない世界、戦争のない世界が「平和」なのだろうか。並行して、2024年のこの社会や、わたしたちの暮らしの足元で起きている不具合や民主主義の綻びといったことについても考えて議論をしなければならないはずだが、果たしてそれができているだろうか。誰かの体験を語り継ぐだけではなく、自分の考えや思いを持ち、それを堂々と自分の言葉で語ることが促されているだろうか。

 ■ 硬直化した平和都市でいいのか  少なくとも、戦争の理不尽を描いた『はだしのゲン』が排除され、核抑止論は維持され、米国の原爆投下責任を問う声はかき消され、大日本帝国憲法下の教育方針が堂々と令和の世に生き続ける、そんな社会が「平和」だとは到底思えない。

  …と、あれこれ考えていると、ナラティブ(語り)の硬直感、議論をしない空気感といったものが、妙に権威主義的で窮屈で、堂々とモノが言いにくい、「ムラ」っぽさを形作っているように思えてならない。

  「平和都市」は決して、水戸黄門の印籠ではないし、観光客を呼び込むためのキャッチフレーズでもない。動員学徒時代に被爆したある女性はわたしに言った。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやってきてくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、力を尽くして、守らないと」。外に対して「平和」と言うからには、まずは自分たちのありようを問う姿勢が必要なのではないか、とわたしは思う。

  【宮崎園子】 広島在住フリーランス記者。1977年、広島県生まれ。育ちは香港、米国、東京など。慶應義塾大学卒業後、金融機関勤務を経て2002年、朝日新聞社入社。神戸、大阪、広島で記者として勤務後、2021年7月に退社。小学生2人を育てながら、取材・執筆活動を続けている。『「個」のひろしま 被爆者 岡田恵美子の生涯』(西日本出版社)で、2022年第28回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。

宮崎 園子