Yahoo!ニュースより。

140年以上の歴史をもつ地図記号「卍」の変更が検討された理由。かつては「鳥居」や「灯籠」の記号もあった!

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婦人公論.jp

今尾さん「日本の地形図の記号である卍に対して『ナチス・ドイツを連想させる』という意見が多数あった」(写真提供:PhotoAC)

地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんは、「日本の地形図の記号である卍に対して『ナチス・ドイツを連想させる』という意見が多数あった」と言っていて―― 。 

かつては地形図に存在していた「キリスト教会」「鳥居」の記号 

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◆知名度抜群、寺と神社の記号 小学生が知っている地図記号の筆頭を挙げるなら、寺か神社の記号ではないだろうか。

 これは私の勝手な想像だが、彼らが通っている「小中学校」の記号よりおそらく知名度は高い。

 寺院の卍形、神社の鳥居形はいずれもシンプルな図形で、寺の賽銭(さいせん)箱や屋根瓦などにあしらわれた卍形、神社に入る際に必ずくぐる鳥居の形がイメージしやすいことも知名度の高さを支えているのだろう。 まずは寺の卍であるが、漢和辞典では「十」の部首に含まれているものの、本来は純粋な漢字ではない。

 発祥の地はヨーロッパかアジアか判然としないようだが、それだけ古くから各地で用いられてきた意匠である。

 サンスクリット語ではスワスティカと呼ばれ、「右まんじ」と「左まんじ」があるが、いずれにせよ古くから幸福、吉祥の印として扱われてきた。 寺院の地図記号は「左まんじ」である。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

◆紋章にとっての大きな災難 良き印であるがゆえに、戦国武将の蜂須賀小六(はちすかころく)は卍を家紋としているし、同じ紋を用いた津軽藩の旗印は、その居城のあった青森県弘前市の市章として現在まで引き継がれている。

 欧州では「独立」を象徴する紋章として用いられた時期もあった。たとえばロシア二月革命後にケレンスキー率いる臨時政府が発行した紙幣の地紋には右まんじが45度傾けてあしらわれ、第二次世界大戦前には北欧フィンランド空軍も自らの国際標識として右まんじを採用していた。

 しかしこの紋章にとって大きな災難は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が右まんじを「アーリア人優位・反ユダヤ主義」のシンボルとして採用したことである。 その後の彼らの所業のため、特にヨーロッパではナチスを想起させるとして使用が忌避され、戦後はほとんど使われなくなった。 現在のドイツではナチスの記章やスローガン、敬礼などの使用に対して刑法第86a条で3年以下の懲役または罰金を科している。

 

◆「ナチス・ドイツを連想させる」 数年前に私は国土地理院の「外国人にわかりやすい地図表現検討会」のメンバーとして議論に関わった。

 東京オリンピック2020大会への外国人観客を意識した議論であったが、国土地理院はその検討材料として907人に及ぶ外国人(大使館員、JICA研修生、留学生、日本語学校生徒、浅草寺周辺での観光客など)にアンケートを実施している。

 その際に日本の地形図の記号である卍に対して「ナチス・ドイツを連想させる」という意見が多数あったことを考慮し、結果的に三重塔の側面形の採用を検討会として提言したこともあった。

 地形図の記号で寺院に卍を採用したのは明治13年(1880)から整備が始まった「迅速測図」以来で、以後モデルチェンジもなく現在に至っている。 ただしその記号の呼称は最初が「仏閣」で、次に「仏宇」とする時代が長かった。その後は「昭和30年図式」の「仏寺」を経て「昭和35年加除図式」から現在の「寺院」になっている。

 記載の対象は現行の「平成25年図式」によれば「目標となるものを表示する。ただし、著名なもの又は地域の状況を表現するために必要なものについては、注記[文字表記=引用者注]する」としてあり、仏教寺院の定義に関する規定はない。

 もっとも運用を見れば既存の仏教に限られており、仏教系であってもいわゆる新興宗教は含まれていない。特に規模が大きく目標物になるものについてのみ卍記号は使わず、「法隆寺」「天理教本部」「金光(こんこう)教本部」「PL教団本部」などと固有名が記載されている。

◆神社の記号 寺や神社に限らず、対象が多い「建物記号」は、目印として役立つものを優先記載することになっているから(小中学校のように全対象を掲載する記号もある)、たとえば市街地にたくさんある寺のいくつかは適宜省略されても、山上の一軒家であれば好目標なので無住の小さな堂であっても記載されることがある。

 著名なものについては記号ではなく注記(文字)で表示されるが、戦前の陸地測量部の部内資料『地形図図式詳解』には「第二節 家屋」の項に「仏宇ハ固有名詞或ハ仏名ニ依リ某寺、某院、某堂ト書シ、或ハ仏名ニ固有名詞ヲ冠シ某観音、某薬師、稀ニ薬師、地蔵、大師等ト書ス」としている。 「稀ニ」というのは、市街地などの錯雑したスペースにおさめるため固有名詞を省き、単に「薬師」「大師」などとするしかない場合だ。

 いずれにせよ固有名詞は正式な寺名とは限らず、通りの良い名称が表示される。これは利用者からすれば当然で、たとえば愛知県豊川市の有名な豊川稲荷を正式名称の「妙厳寺(みょうごんじ)」と記されても一般には通じにくい。

 神社の記号も寺と同じく「迅速測図」以来の記号である(「仮製地形図」のみ笠木が一重でπのような形だった)。こちらも仏宇などと同様、「迅速測図」の「神社」から「仮製地形図」の「神祠(しんし)」に変わって長らく続き、「昭和17年図式」からは「神社」に戻って現在に至る。

 前出の『地形図図式詳解』には「神祠ハ固有名詞或ハ祭神ノ名ニ依リテ某神社、某社、某祠等ト書シ、或ハ神名ニ固有名詞ヲ冠シ某太神、某八幡等、稀ニ八幡、天神、稲荷等ト書ス」としている。

 

◆キリスト教会という記号

 世界の地図には必須のキリスト教会という記号も、かつての地形図には存在した。

 戦前には「西教堂」と称して十字架をイメージした+印で表記され、「昭和30年図式」にも「キリスト教会」として残っていたが、記号が大幅に統廃合された「昭和40年図式」で廃止された(後の1万分の1地形図で復活、現在は更新されず)。

 日本のクリスチャン人口が約1パーセントと少ないことの反映だろうか。もちろん著名な教会については固有名を記載するため、特に隠れキリシタンが多かった長崎県の五島列島や熊本県の天草諸島エリアの地形図には津々浦々に教会名の表記が目立つ。

 神社の話に戻るが、かつては神社とは別に「鳥居」という記号もあった。 神社の記号そのものが鳥居の側面形なので混乱するかもしれないが、こちらは鳥居を上から見た形である。

 具体的には串の両端近くに小さな団子を1個ずつ刺したような形で、平面形であることを説明されれば納得できるかもしれないが、そうでなければ謎の記号だろう。

 鳥居の記号は「昭和40年図式」で廃止されたが、神社の風景を再現するのにとても役立つ記号だった。

 まず神社の入口がどこかが一目でわかるし、社殿から離れた「一の鳥居」や「二の鳥居」が道路を跨ぐこの記号で表現されていれば、参道がどこを通っていたかも明瞭だ。お稲荷さんのように朱塗りの鳥居が密集した場面など、数こそ忠実でないものの、様子が手に取るようにわかる。

 今では境内がマンションや幼稚園に変貌してすっかり規模が縮小されてしまった神社の、広かった昔の姿が再現できるのもこの記号ならではのメリットだろう。

◆簡素な記号の背後に思いを致すことの大切さ

 神社仏閣の境内によく見られた今はなき記号といえば、まずは「灯籠(とうろう)」であった。大きな神社仏閣では信徒が寄進した大きな石灯籠が参道の両側に連なっている様子が、これも旧版地形図では丹念に描かれていて面白い。

 「高塔」に合併されて姿を消した「梵塔」の記号も有力な寺院ではよく見かけたものだ。

 寺の境内では今もよく目にするのが「墓地」の記号で、墓石の側面形を単純化したものである。広い墓地であれば記号を等間隔に並べて景観を伝え、著名人の墓地が単独で存在する場合には記号1個で表示している。 デザインは日本式の墓石に由来するが、函館や横浜の外国人墓地のキリスト教徒の墓もこれだ。

 そういえば20年ほど前に地名の取材で佐賀県の馬渡島(まだらしま)へ行った際、その東端の高台にある小さな天主堂にお邪魔したが、傍らには信徒の墓地があった。そこに並んでいたのは日本式の墓石の上に十字架を載せた独特な形。

 もちろん地形図では同じ記号が置かれているに過ぎないが、そこには苦難に満ちた隠れキリシタンの歴史が蓄積されている。 簡素な記号の背後に思いを致すことの大切さを思った。

 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

今尾恵介