コロナ明け、公立学校はボロボロになる~阿部治平(もと高校教師)「リベラル21」より

 

「「リベラル21」より転載。

 

2020.05.23  コロナ明け、公立学校はボロボロになる
          ——八ヶ岳山麓から(313)——
 
阿部治平(もと高校教師)

先日江澤隆輔氏の『先生も大変なんです』(岩波書店、2020・3)を読んだ。結論を一口で言えば、これは大学生に読まれれば読まれるほど、教員志願者は減るであろうという本である。
書かれている内容は、主に小中学校の教員のおかれている状況で、私が教員現役時代経験しなかった新しい困難な問題を含んではいるが、すでに類書が指摘している学校教育の課題とおおきな違いはない。学校の実態は依然「ブラック企業」そのもので、「危険・きつい・汚い」の3K職場である。

本書には、表紙に「案内文」があって、これだけ読めば本書の内容はだれでも大体の見当がつく。以下にそれを記す。いずれの文言も頭に「教員は」とか「学校は」とつけるとわかりやすい。

昼休みがない
登校時間は勤務開始前
毎年増えていく仕事
子どものためなら……という善意
時間と手間をかけたがる文化
前例踏襲が積み重なる
裏では大仕事のクラス替え・行事
タイムカードも残業代もない
実は高くない給料
労働時間は世界第一位
勤務時間後も電話対応
見せる指導案ばかりに時間がかかる
公務分掌が複雑化
部活動顧問の半分は素人、しかも無給
断れない部活動顧問
子どもも多忙化
授業づくりをもっと研究したい
子どもを管理したがる学校
変形労働時間制でより多忙化
それでもかけがえのない教員という仕事のやりがい

私が最も重大だと感じたのは、教員採用試験の志願者数に関する次の文言である。
「一般に『三倍を切ると人材確保が難しい』と言われている中、2019年度の採用試験では、なんと競争倍率が1倍台の自治体も出てきました。
倍率がこの水準になると、選抜を乗り越えて教師になる、というプロセスが成立しにくくなり、教師は免許さえあれば誰でもなれる職業と化してしまう恐れがあります。教師の苦しい状況は、教員志望の人数、さらには将来にわたって教育の質にまで負の影響を及ぼしつつあるのです(ゴチックは原文のまま)」
「負の影響」とはなにか。教員志願者が採用数の3倍以下になると、力のないのがゴロゴロ入る。授業はいい加減になり、公立学校はボロボロになる。それがこの数年の変わらぬ全国的傾向だということである。
友人の教えるところでは、横浜市などの小学校では、倍率は10年以上前から1.0台~2.0台になっている。この結果、能力不足から自信を無くし、1、2年以内の退職者が増加する。そして必要な採用者数が増え、また力のないのが加わるという悪循環が始まるのである。これはもう横浜に限らない。

もう40年近く前のことだが、これに似た状況があった。1980年代初め、大都市圏の自治体では中学高校の生徒数の増加にやや遅れて応じ、学級定員を水増ししプレハブ校舎の公立中学高校を増設した。教員の採用枠も急速に拡大した。教員採用試験は都道府県ごとに実施し、一定の点数以上のものから教育委員会が面接して、メガネにかなったものを採用するというやり方で、必ずしも点数の多いものから順に採用したのではなかった。
当時も優秀なものは中央官庁、一流企業に就職していった。その反面、大都市近郊県の教員志願者は易しい一次試験に合格すればたいていは採用された。私の高校での経験では、そのなかには以下のような学力、常識の疑わしい人物がいた。

腐敗して糸を引くにぎり飯を食い、腹痛を起こして突然休んだ。
カタカナがちゃんと書けない。黒板に書く(板書)「シ」と「ツ」、「ケ」と「ク」の区別がつかない。
生徒の前で教科書を正確に読めないものもいた。
生徒の住所の「大字」が読めず「だいじ」とやって、同僚を面食らわせた。
英語の発音記号がわからないものだから、板書の単語に終始カタカナを振っていた。
部活動に夢中で、授業は事前準備もなくほら吹きに終始した。
その部活動では、生徒をぶん殴るしか指導の方法を知らなかった。
進学校に配属され、教科指導能力の不足が露呈した教員が、生徒からゴミを投げつけられたのがいた――教員の学力は一流大学の入試問題をほぼ解ける程度で間に合うのだが。

また新規採用の教員が増えた学校には、古参兵のような中年教師が職場を支配し、学校に出入りする業者の利権を独り占めするような状況もあった。力のない若手教員の中には、それに疑問をもつことなく、中年教師の権威に直ちに服するものも少なくなかった。
どんな職場でも能力のさまざまな人がいる。それが健全な職場だと私は思う。だが学校の場合、上に掲げたような教師が3人なり4人なり束になったら、教員の個人的不祥事を含めて、授業と学校運営は大きな問題を抱えることになる。コロナ以前かなり大きな社会問題とされた「教員間のいじめ」もこの延長上にある。
そうでなくても、学校なり教室なりが抱える問題が教員集団の能力を超えた場合(こういう場合が多い)、どうしても「前例踏襲」にこだわり、必要以上に「子どもを管理したがる」のである。

さらに昔ながらなのは、本書でも指摘するように、教員自身の持つ「時間と手間をかけたがる文化」である。制度や規則、教育委員会からの要求以上に、教師自身で自分の生活を忙しくしている習慣である。
授業の準備や反省に手間をかけるのではない。授業以外の部活動や事務(雑務)で、短時間でできることでも、あるいは短時間で仕上げるべきことでも長時間一所懸命やっているという姿を見せたがり、それを周りも高く評価する悪しき文化である。
かつて民間研究団体の話合いのとき、スポーツ関係の部活動顧問で「1年365日一日たりとも指導を休んだことがない」人がいた。これでは生徒を年間数百時間いや千時間余縛り付けることになる。本人も教材研究がいい加減になる。ここまでは教委も保護者も要求していない。
「不登校の生徒をこの半年毎日家まで呼びに行った」というものもいた。「ひきこもり」という言葉がまだ登場する前だったが、すでにこの方法では問題を深刻化させる危険があるということが、専門家の間では常識になっていた。だが、これに忠告すると、専門家の意見を取り入れるよりも、「熱心にやっているものにケチをつけるな」という感情のほうが勝っていた。
小川洋氏が『なぜ公立高校はダメになったのか 教育崩壊の真実』(亜紀書房2000)で公立学校の危機に警鐘を鳴らしたのは、もう20年も前のことだが、問題はより深刻化しているように見える。

朝日新聞に、東京大学教授・教育社会学の本田由紀先生による本書の書評があった。本田先生は本書の概略を語ったのち、その末尾に「冷静な分析と親しみやすい語り口に導かれて、学校という独特な世界の内部を覗き見させてくれる書」と記している。ノーテンキな話である。
教育学者が学校の内部を覗き見しているときではない。時代は学校を「独特な世界」ではないものとしている。
現に教員志願者の中にかなり能力の低い連中がおり、それが合格採用されるという危機的状況がある。公立学校の教育水準は下り坂を転がりつつある。破綻をどこかで食い止めなければならない。新型コロナウイルス感染問題が一段落すれば学校が始まる。本田先生が教育社会学者であれば、教員採用試験への応募者が多くなるにはどうすればよいか、一言あってもよいではないか。せめて教員の労働時間の短縮と賃金引き上げの必要性を世間に訴えてもらいたいというのは無理な要求だろうか。(2020・05・12)

 

以上、転載。

私の35年間の中学校教師の経験からの思い。

 

①昼休みがない

  ほぼ現実です。私が勤務していた中学校は、担任は必ず教室に行き、一緒に昼食を摂っていました。昼食時間は12:20~12:35、わずか15分間です。4時間目に授業のある担任は大変です。教室から職員室が遠い先生、理科や音楽、体育の先生は大変です。

教室から職員室に戻って息つく暇もなく5時間目が始まります。

 校長は、職員と勤務時間について取り決めを結びます。市教委も学校の実態に応じて、勤務時間を設定するように求めていました。

規定上、昼休憩時間は45分となっていますが、事実上は取れません。

苦肉の策として、15分ほど、勤務終了時間に繰り下げる。つまり7時間45分の勤務ですから、8時15分~4時00分までの勤務で、3時45分に退所できるのですが、会議や部活などで無理です。


②登校時間は勤務開始前

 私は勤務時間開始の10分~15分ほど前に出勤していました。

 自宅を出るのは7時20分ごろ、順調であれば、8時過ぎに到着し、まず教室へ。別棟だったので、鍵を開けないと、生徒が入れないのです。

それから職員室へ。PCへ出勤時間を入力、職員朝会は8時15分からでした。先生の中には7時半ぐらいから出勤する方もいました。

③毎年増えていく仕事

 成りたての頃は、鉄筆とガリ版板を購入しました。「学級通信」「テスト」には必需品でした。今はすべてPC。自己申告書、指導案、通信、ほぼ全てPC。報告書などの作成は増えたと思いますが、PCは文書データが残っているので、引用・貼り付けが可能です。

だから、部活動や学級担任としての”仕事”のファイルはすべてCDに焼いて渡しました。学校のサーバーに残しました。

③子どものためなら……という善意

 教師ならだれでもそう思うでしょう。しかしその「善意」を管理職や意図的でないかもしれないが、利用する。勤務時間にしても、超過勤務は当たり前。それを疑問視すると、逆に白い眼で見られる。

いまだに「教師聖職論」がまかり通る。勤務条件、労働条件の改善を主張すると、「日教組」と言われる。日教組が労働条件の改善した寄与した功績は大きいと思うが、獲得された労働条件は、今の教師たちは享受している。安倍首相は何かにつけ「日教組」を目の敵にしているが、実は日教組の組織率は3割にも満たない。むしろ7割の「従順」な教師を問題にすべきではないか。現場では、政治的な発言も含め、勤務時間や労働条件に注意を払う教員は、職員組合員しか言わなくなった。

④時間と手間をかけたがる文化

 ペーパーレス化が進みつつあるが、相変わらず職員会議のペーパーは多い。そのほとんどがゴミ箱へ(リサイクルへ)。

 職員会、学年会、分掌会議、教科会、特別委員会などで会議も多い。

 週課(時間割)の中に組み込まれる会議も多い。学年主任は運営委員会も加わり、週課の中に3~5時間ほど埋まる。学年会は最も重要な会議、月に2回ほどあり、放課後、4時ぐらいから1~2時間は行われる。勤務時間は無視される。職員会議の延長は、管理職(校長)は、「15分延長をお願いします」「15分延長されたので、明日は15分の勤務短縮になります」と言うが、短縮になったためしがない。

⑤前例踏襲が積み重なる

 大きく変えるのは、相当な準備と指導案が必要。ただ例年の行事(避難訓練とか)は前例をほぼ踏襲する。日付と担当者を打ち変えるだけでいい。

 平和教育や人権教育などマンネリ化しやすい。

⑥裏では大仕事のクラス替え・行事

 入学準備も入学の行事も大変です。小学校6年の担任との打ち合わせ(小中連絡会)を開催し、クラス編成の資料を作る。

 編成カードは学校に寄って違うだろうが、

 ○リーダー 生徒会や学年のリーダーになれそうだとLA、学級レベルだとLBに分ける。これをクラスの均等配置する。だからリーダーレベルの生徒はほぼ同じクラスになれない。

 ○問題生徒 学年レベルだとMA、小学校段階で非行問題行動を参考にする。学級レベルがMB、MCは{可能性」も含めている。

 これも均等配置する。特にMAにはLAをくっつける。LAがいないときは、LBを複数配置する。Mは同じクラスだったのは避ける。集団化すると学級崩壊につながる。

 ○Pは、ピアノが弾けるかどうか。中学校では「合唱祭」や「合唱コンクール」があり、3部合唱や4部合唱に取り組みます。エレクトーンレベルだと伴奏にならないのです。

 ○いじめ いじめられた、あるいはいじめた生徒。

 ○離す、くっつける 生徒同士、仲がいいか。あるいはサポートしてくれるかどうか。同じクラスの方が、助けてくれる場合もある。逆に喧嘩したとか、親同士が関係が悪いとかは離す。

 ハンデを持った児童を小学校ではサポートしてくれていたのに、本人が「負担」に思って同じクラスを希望しないこともありました。

 ○他には、学校に協力的な親かどうか、PTA役員になってくれそうかどうか。逆にモンスター・ペアレンツはどうか。

 ○他には、母子家庭、父子家庭、生活保護家、障がいの有無、既往歴、アレルギー、信仰など。信仰によっては、集団行事や救急措置を希望しないもこともあります。他にも色々あります。

 ○新入生の場合は、入学受付が済むとカードを作り学級編成を行います。2年生、3年生も2日~3日ぐらいかけます。

⑦タイムカードも残業代もない

 超過勤務調査のため、PCでの勤務開始時間、終了(退庁)時刻の入力をするようになりました。超過勤務手当は出ません。基本的に教員は、「教員特別手当」「調整手当」によって、少し他の公務員より額が多くなっています。夜8時、10時まで勤務していても超過勤務手当は出ません。

この点でも教員はブラック企業です。

⑧実は高くない給料

 地方公務員の中で一番高いのは警官です。土日に部活動で出勤しても、4時間で1,600円ぐらいだったでしょうか。

校外で試合(中体連の試合、練習試合、演奏会や以後・将棋大会、講習会など)があったときは、特勤手当か代休を選択していました。

 特勤手当なら1日3,200円ぐらいだったか。交通費は出ませんでした。代休を選んだ場合は、平日に学校を休む(代休措置)。交通費は学校からの距離です。昔はバス券で支払われていました。バスを乗らないのにひどい話です。代休?選べません、なぜなら代休=授業は自習です。なかなか自習にできない。自習監督を配置しないと今の生徒は”わや”になります。ガヤガヤで隣の授業に迷惑です。朝、年休の連絡が入ると、学年主任は、授業監督を編成します。ほとんど1日1~2コマぐらいしか空き時間がありません。貴重な空き時間が自習監督で消えるのは辛いものがあります。

生活ノートのチェック、印刷、連絡、授業準備・・・やるべきことは多いです。⑨労働時間は世界第一位

 県庁や市役所の職員は、昼時間、食堂でゆっくりご飯を食べ、休憩室で休憩できますが、生徒がいる以上は離れることができません。夜や土日に問題行動、大体は万引きとかが多いのですが、親の代わりに店や交番に行きます。後日の謝罪にも同行します。

 地域の祭りなどにも動員されます。特に生徒指導部に所属すると行きます。女性教員を行かすわけにはいかないので、男子教員が行きます。

⑩勤務時間後も電話対応

 電話対応ならましです。家庭訪問もあります。

朝の会(朝学活)で休みの生徒には電話連絡を入れます。学校に電話は数回線ありますが、集中すると個人の携帯を使います。これが結構かかります。昔、とある私立学校(進学校ですが)の知り合いが、月に1万円の図書費が支給されているのを知り驚きました。私学助成金があるはずなのに、と思ったものです。

⑪見せる指導案ばかりに時間がかかる

⑫公務分掌が複雑化

 ここまで相当書くのに疲れました。

⑬部活動顧問の半分は素人、しかも無給、断れない部活動顧問

 "熱心”な教員の中には、部活が生き甲斐になり、休みは盆と正月しかないという方も。対外試合でGWはほぼつぶれます。屋外スポーツ、特に野球は時間も長く、試合数も限られます。雨で順延すると家族奉仕どころではありません。盆、正月、土日がない、ということは生徒にとっても家族との休日はないということです。

 一番心配なことは、退職後はどういうモチベーションで生きていくかです。

子どもも多忙化

 教師の労働条件=子どもの教育条件だと思います。教師の多忙化で、生徒への目配りも薄れていないか。
⑮授業づくりをもっと研究したい

 若い頃は、職員団体の教育研究や民間教育団体に所属し教材研究に取り組んでいました。初任校の教科会は、OBの教員を加えて、年間指導画や目標づくりの取り組んでいました。夏休みで泊りがけで自主研修を行っていました。県内や時には周辺の県にも行きました。もちろん身銭。

歴史教育の研究団体に所属していたときは、全国の大会に参加したものです。

⑯子どもを管理したがる学校

 コロナの影響で学校が休業になりました。ある小学校はマスクは白と指定したとか。とかく管理したがります。というか、本来は家庭(親)が担うべきことを学校が引き受けています。

制服(基準服)は典型的な例でしょう。インターネット授業で、ある高校はカメラの前では”制服”を指定しました。バカげた話です。中には下はジャージで受けている生徒もいましたが。

制服や髪形など、本来は個人の人格や個性に関するものは関与しないほうがいい。そういう所にエネルギーを使うのは本末転倒だと思います。
⑰変形労働時間制でより多忙化

 個人的にはコロナ対策で休業措置は適切なのか疑問を持っています。北海道で児童同士の感染の報道はありますが、クラスターになったという報道があった記憶はありません。先日、日本小児学会が「学校休業はクラスター対策になっていない。むしろ学力低下、ストレス増大になっている」というような報道がありました。

教室の3密は無理です。35~40人の生徒は教室に入れば、無理です。休憩時間、生徒がお互い離れているでしょうか。トイレで距離を空けて待つでしょうか。

最近、専門家は「コロナ克服」と言わないで「コロナとの共存」と言っています。つまりコロナ対策を講じながら、どうコロナと付き合っていくか、どう日常生活を送るかが課題となりつつあるのです。

例えば、学級で一人感染者が出れば学級閉鎖する、学年で5人出れば学年閉鎖するとかの基準を設けて再開したらどうでしょう。地域の特性、状況も考慮すべきではないでしょうか。岩手と東京の休業措置が同じとは疑問です。

 20人、せめて30人に生徒数を減らしてほしい。

 教員を増やし、ブラック企業の実態を改善してほしい。

 昨日の中国新聞で、広島県立の高校では、保護者から月1,000円のエアコン維持費を徴収していたそうです。信じられない話です。今回のコロナで止めるそうです。政府の援助はなく県も予算逼迫でそうなったでしょうが、マスクに400億円以上かけるよりエアコンを設置するほうがはるかに教育効果、経済効果があるでしょう。富士演習場では昨日演習で5億円以上弾薬に使いました。軍事費より教育優先でしょうに。

⑱それでもかけがえのない教員という仕事のやりがい

 コロナ後の教育、というか、コロナ共存の時代となりました。別に教員だけがやりがいのある仕事とは思いません。学校生活は長いです。人格の形成や個性の伸長、技能や人間関係の深まりに関われるのは、おそらく教員だけでしょう。

 最初の卒業生とは今でも関わりがあり、二人とはグループLINEで”会話”をしています。人生や子どものこと、コロナのこと、カープのこと・・・・話題は様々です。ほとんどソーシャル・ディスタンス、つまり家族以外の付き合いのない日々の中で、繫がりに感謝するばかりです。退職パーティーを開いてくれましたし、カープの試合観戦にも同席しました。

たいした教員ではなかったと思いますが、有り難いことです。

 

最後に、教育に臨時はありません。本採用の教員は福利厚生も保障されていますが、臨時採用、時間講師、非常勤、産休・育休の代理、様々な”教員”によって成り立っています。もちろん事務職、現業も含め。

彼ら、臨時”教員”の労働条件は劣悪です。

教員の労働条件=こどもの教育条件です。