凄く空気読まずに呟くと、、、

今日思った事は、震災以降天災にとても敏感になりすぎているのではないか?と感じる。

長く以上生きてきて、大雨と風邪により身の危険を感じるぐらいまでになった経験がない。
という事はそこまで敏感になる必要は全くないのでは無いだろうか?

ウォールが帰宅一色だった時には言えない事ですが、、、
FB・Twitterの情報が入る事はとても良い事だけれど、
見ている人全て煽られる感覚になる。

この状況で会社としての方針を毎度毎度「何かあったとき」を見据えて
判断しなければいけないとなると大規模な会社をやっている方はきついだろうなぁと…

(弊社、会話で済みます…少人数なんで、それでも、
今日も、「別に大した事にはなんないでしょ。」と思う自分と、
「もしもがあったら」という自分の葛藤が実際は会ったことも事実です。)

もしも100人規模であれば、難しすぎるし。。。

メンバーに企業の倫理観や対応の不満等を言われたら
たまったもんじゃないだろうなぁ。

自分で考えろや!と言い放ったら問題あるんだろうか??

例えば100人いて、3時に会社終了とするといくら分のコストがかかるねん!!と思う。
その分の利益をあげている仕組みを作り続けられる事を求められている経営環境に
なっているのだろうか?

正直大事にしているからこそだし、そうなると結局、
ほとんどが個人の判断にゆだねるしかない。
ってか最初から個人で決めるねんで、ぐらいの気概は全員もつべきだろう。

今日に限っては、会社が帰宅命令を出したから良い会社という
判断になるのかなぁ…と疑問が出ました。


新卒の頃は、大雨が降れば「良し!決裁者がいやすい」と思って飛び込みをしていたし、
結局最終的に頼れるものも信頼できるものも『自分』なのだから自分で判断して
仕事をするかどうかを決めるべき何だろうなぁと思う。

今日飛び込みしていた人は多分多くの決裁者に会えただろうし、
うんうん良く頑張ってる!会社は帰れとは言わないの?個人の判断で仕事しています!よし打ち合わせしよう!となるイメージもつく。(良い解釈すぎますが、、、)

ただ、会社としての方針は伝える必要もあると思うけれれどその方針は

『警報がでています。お客様に迷惑がかからないように個人で判断してください。お客様に電話かメールだけ入れておけば大丈夫な空気感が出てますんで』だけで良くないか?と思う。

最終的には全て自己判断・自己責任という前提が無いと
「何か会った時どうするの?という前提での判断」を人数が多い会社の代表は求められていれば
しんどいやろうなぁと思ってしまった。

「もしも」を全て代表が決められるわけないし分からないから最善を尽くすのだけど、何か会ったときに攻められたらやりきれないだろうなぁと、、、

なので、もしもで迷った時は、メンバーに伝えたい事は、「健康第一」&「天災の時は自己判断」 ということだろうなぁと思っています。

※やばい地震の時はすぐに逃げてください。電話が通じなくても自分の身の安全を第一に行動。
 生きていればなんでもできます。と思っています。

※あと健康第一という事は、昔「目標と自分の健康のどっちが大事か分からなくなりました」と相談した事があり、その時上司に「健康やボケ!」と言われた事が良い指導だったと心から思っているからです。

簡単には語れないですが、本人のやる気から来る心理状況・逃げ場がない職場環境・個人の経済的立場が重なったときにどうしようもない事態が発生すると思っています。それだけは防がないといけないはずです。

とつらつら思う事を書いちゃいました。


黙祷。

神戸東灘区生まれ
神戸東灘区下町育ち
この年になって阪神大好きw。

僕は神戸で生まれ神戸で育ったと言う事。
この年だから思い出す事。
忘れてはいけない事とかではなく
今は何か出来ることがあるはずだと思う自分がいる事。

FBで呟いてくれる友人がいるから
今日と言う日を考える時間を取れた事。
僕も呟いてみようと思った事。


あの日の朝の目覚めを誰も想像してなかった事。
余震でかいなと思っただけの最初だった事。
家具が右から左へ動く光景が目の前にあった事。
何が起きたか全くわから無かった事。
家族と顔を会わせた時の安堵感があった事。
外の景色が変わっていた事。
どこを見ても火が上がっていた事。

中学三年の僕は何もできなかった事。
大人も右往左往してた事。
小学校の友達が家の下敷きになっていた事。
公園に人がぞろぞろ集まっていた事。
水を確保した事。
なんかわからないまま2,3日たっていた事。
でもなぜか非日常に興奮してた事。
周りの友人には誰かしら他界した友人、親戚がいる事実があった事。
当たり前過ぎて誰も死別に対して何も触れなかった事。
今思い返すと誰もすぐに受け止められなかった事。
死んだと言う事実に触れてはいけない空気を子供ながら感じた事。

自衛隊を間近で始めてみた事。
自衛隊は怖くなくて親切だった事。
地域にこんなに人が住んでたんだと感じた事。
仕切りたがるおっさんがいる事。
被災自慢をする大人がいる事。
お風呂の有り難さを知ったこと。
自衛隊の風呂が凄い事。
水がいらないシャンプーが使えなかった事。

意外と食料品が余ること。
受験が無くなったこと。
電気が通った事。
学校が始まった事。
意外と大阪とかは大丈夫だった事。
地域の違いで被害が違いすぎる事。

水が通った事。
ずけずけと聞いてくる大人がいる事。
仮説住宅がたち始めたこと。
何となく誰も震災の事にに触れずに過ごした高校時代がある事。
メリケンパークが全然復興しない事。
仮説住宅に住む友達とどう接して良いかわからなくて
距離を置いてしまった事。

ルミナリエが始まったこと。
神戸出身と言うといつも震災の事を聞かれる事。
そのたびになんかわかんないわだかまりを持つ自分がいる事。
何を話して良いかわからない事。
相手に悪気はないとやっと気づいた事。

仮説住宅が無くなった時はいつかわからないぐらいに
日常に溶け込んでいた事。
僕らが被災したことは特別だったと改めて感じた去年があった事。
実はとてもアイデンティティーに影響を与えていた事実がある事。
無理してでも何かをしようとする自分がいる事。

そんな神戸は今借金まみれな事。
神戸に住んでても神戸空港使わない事。
なんで作ったか疑問に思う事。
でも神戸は帰省するたびに良い街だと思う事。
今日という日を考える自分がいる事。
去年の震災は何倍も被害が大きい事。
津波が加わると想像できない事。
だからこそ長く東北の今を感じ行動しようと思う事。

東北に旅行に行きたいと強く思うこと。
東北の旅行はうらやましいと思われる雰囲気を作りたい事。
1回も行ってないのであれば友人には強く勧めたいと思う事。
そんなこんなで東北の子供には本当に配慮してあげてほしいと願う自分がいる事。

当時の事を今は話せる事。
何かしら動くべき!と感じる自分がいる事。
何かしら発信する地元の友達がいる事。
17年前に無くなった方々がいたからこそ
そう思える自分たちがいる事。
だからこそ、未来に向かって進む事。
今年も頑張ろう!と思う今日である事。

がんばります。

黙祷。

アスリートエールというサイトを初めてようやく1年が
立ちます。
まだまだ、クラウド・ファンドレイジングという名前も
出ていない頃です。
おそばせながら、facebookページ作りました。

http://www.facebook.com/AthleteYell

イイね ポチっと押して下さい!
宜しくお願いします。


次世代アスリート個人協賛サイト
アスリートエールをこれからも宜しくお願いします。




◆弊社のパートナー企業様が作りましたツールをご紹介いたします。  


現在、メディアでは各被災地でどのような物資が求められているか正確につかめません。

Yahoo!APIでtwitter上のデータを抽出し、テキスト解析するアプリケーションができました。
今後、物資提供を行うときに、どこに何が足りないかがメディアでは わかりにくいため課題を
リアルタイムに解決出来ます。 

【不足物資:地域別自動調査システム】(ある程度ご了承くださいとの事です。)

 http://labs.keywalker.jp/busshi/


現地へ直接、物資を届けられることを検討されている方は是非ご利用ください。
今の課題にとてもあう仕組みだと思います。
IT企業の出来る事の一つだと思いますのでご紹介させて頂きました。


いつもめちゃくちゃな先輩が書いた本が発売されました!
とても楽しみです。読んで面白くなかったらめちゃくちゃ批評しようと
思います。(笑)

ただ、メルマガやブログでものすごくひきつける文章と
リサーチ力なので、お勧めな方の本です。

売れるiPhoneアプリの法則

今回の事は、被災地以外で体験した事により、
更に自分のやるべき事がわかってきていると思っています。

今は、個人として『普段の生活を送る』事と『被災地の支援』を出来る限り行う。
会社としては、『メンバーとその家族の安全確保』『通常以上に活動していく!』
この事としています。

この1週間で感じた事と記載します。あくまで、一つの意見です。


◆極論でいうと他人の判断に乗っかる事は意味が無い事だと言う事 


「人生は短い!日本中全員が認識したからこそ激しくいきるのみ」と強く感じます。
今回の大震災で全員が「死」という事を認識したはずだと思います。
その中で、「死」を感じるような判断に関しては他人の判断に乗っては意味が無い。 

今、様々な企業のTOPは今だからこそ経営判断が問われる!という記事を拝見します。
リーダーシップが必要!判断が重要などの記事を拝見して、確かに!と思う事が
あるのですがこのような有事の時に正確な判断が経営者に出来るのか?という事も疑問です。
そもそも正しい判断って何?という事になります。 

例えば、今東京で活動を行い続ける事が正しい事なのか?と言われると
経営者誰も それが正しい!と言いきれないはずです。
その中で会社として従業員に 企業判断を伝える事は良いのだろうか?
もしもの時に責任を取れるのだろうか? 私は、正直そこの責任は取れないだろう。
だからこそ、方針は決めるが、 最終判断は個々人に任せたい。 

生死を感じる時こそ、判断の幅を与える事こそ必要なのではないだろうか?
と思っています。 


事実、大震災・津波・原発・停電・経済の落ち込みリスク等と合わせて
情報を取らないといけない事が、「原発」「停電のリスク」「経済の落ち込み」 
安全を確保という点では「余震リスク」はたまた富士山の噴火…きりが無いです。 


正しい情報が入らない事が不安になる。と言いますが、天災で正しい情報なんて
ないです。その中で判断していかないといけません。


経営判断よりも、『個人の生き方を個々人が持つ』これこそ重要な事だと思っています。
そのためには、何かあった時にすぐに判断できる判断基準と判断の幅を全メンバーが
持つべきです。 現状でも、震災の影響で避難する方が多くなっています。 
(正直僕も避難したいという気持ちになった) 
ただ、私は、個人の生き方としてメンバーの一人とその家族が近くにいる場合は
一番最後に避難しようと思う。 そのために、避難の準備は出来る限り手配したつもりです。 
これで、何かあっても僕の生き方としては本望です。 


その方針を決めると後は『今以上に全力で仕事に邁進する!』のみです。
個人としては昔から『楽しんだもん勝ち』と思っていますので日常生活を楽しみます。



◆今、必要な事は『被災地の支援』   



震災2日目ぐらいに、『冷静に自分ができる事と出来ない事を見極め行動する』
これこそ大事。と思って出来る事を考え、行動しました。またブログにも記載しました。 
どこに募金する事が良い?と数名の方に聞かれたので、知っている方が理事をやられており、
今必要な事が緊急支援と感じて支援先も決めました。

自社で行っているサービス上でも!と検討しましたが、その時の判断基準は
『被災地の方の一番の支援になる事』『ビジネス的な打算は一切出さない』
とした判断基準を立て、検討すると他社のサービスが一番良いと至り、こちらにしました。

こちら、「今出来る事」   僕らの「今出来る事を!」という一つです。 
 https://justgiving.jp/c/3545

ただ、別に額を競うものでもスピードを競うものでもなく、どこが良い?と聞かれた受け口用に
作ったものなので、大義名分を立てて勧める事もしていません。募金窓口も多くなってきました。 
適切な個人の判断として「出来る範囲」で適切な所に行う事を勧めています。 
個人的に、広告効果と加味した義援金のサイトも合ったので、正しく見極めて欲しい。  


都内では、原発・余震・停電で右往左往しています。しかし、一旦『都内にいる』という
方向を出したので、その中で次にするべきは間違いなく『被災地の支援』です。

 ※正直、阪神震災よりももっともっと激しい震災の被害だと思っています。
 前回のブログで記載した部分は配慮が無かったと思っています。お詫び申し上げます。 

中でも、被災地で電気が通った地域はいいですが、電気が通っていない地域
・めどの立たない地域は多々あるはずです。寒さ・食料・不安感等を考えると
少しでも出来る事をやっていきたい。


被災地もレベルがあると思います。体験から非難覚悟で話すと、
「電気」が通れば何とかなります。 水は自衛隊に頼めます。
ガスは無くとも何とかなります。カセットコンロは役に立ちました。 

全ての被災地は厳しい状況なのはわかるのですがメディアの方々も、
取材しやすい所ではなく、 一番激しい所はどこなのか?をわかるようにして頂きたい。

その場所場所で必要なものは変わってくるはずです。
被災地で東京でも有事の時は、物資は念のため念のためという事でためておきたくなります。
今の東京での「買いだめ」の心理です。

今は!一番厳しい場所に、真っ先に届くように行政にもお願いしたい。
でないと、より一層の被災者が出てくるとおもう。 


『被災地の支援』これは、僕らができる事を少しでもやっていこうと思います。
復興には時間がかかります。最低5年は必要だと思います。

その中で、被災地へ観光として行く事であったり、被災地の方が楽しめるもの等
これから考えられる事は多々あります。 

僕は、震災1年目のルミナリエが記憶に残っています。
 (初めてぐらいのデートだった記憶もありまして…) 
その企画をしている方が出てきましたら是非、ご一緒したい。
企画立てたいぐらいです。


◆善意のデマの量と行動は、計り知れない。絶対に出ます!



日本人は秩序を保ち、外国からも評価されている。総論正しいはずです。 
ただ、デマは出ます。 本当に『善意のデマ』になります。

正直、被災地はもっともっとひどいはずです。 
少なくとも都内の方々には警笛は鳴らしたい。 

このデマと行動に関しては、あること無いことが真実のように出てくるので、
 「本当に最低!」とか「恥だ!」と安易に言うことも出来ない。 
こればかりは警笛を鳴らすぐらいしかできないです。

阪神震災であの量だったのだから、今回はもっとひどい。
日本人は組織の中ではルールを重んじます。

ただ、個人になった時に、そのルールを重んじられる強い人ばかりではないです。
今回は、更にネットでの情報格差の問題が大きいと思っています。
それはおいおいまとめていきます。


===============まとめ===============

個人として『普段の生活を送る』事と『被災地の支援』を出来る限り行う。
会社としては、『メンバー身の安全の確保』と『通常以上に活動していく!』


プラスつけたべき事は、
・『今、思い立った時の気持ちをずっと忘れない』
・『不謹慎はNO』は判断基準があいまいです。 
 被災地以外での不謹慎という発言は全く共感できない 
節電に配慮すべきですが、スポーツ・イベントもどんどんやるべきです。


そのような事を感じた1週間です。
大企業のように、大規模な事は寄付は出来ませんが、少しでも「経済活動」をして行こうと思います。
今から、バリバリ働きます!



 前回の文章の反響がとてもあり、少しでも何か出来ることがあればと思い
文章にしたことを後悔はしておりません。ただ、少し乱暴であった部分は否めないと
反省しております。コメント欄でも阪神震災を体験された方の多くのコメントをいただきました。


<反省すべき点>
・2週間、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月等の期間に分けて 必要なものを記載するべきであった点。


伝えたかったのは、『冷静に、自分が出来ることと出来ないことを見極め行動する』事が
有事だからこそ絶対に必要な事だと思っています。

今、出来ることは、「節電」「献血」「義援金」「想い」という事は変わっていません。
被災地に行くことは何も出来ない事が多いです。
一番有効な手段が「自衛隊」「専門のボランディア」ということも変わっておりません。

付け足すべきは、ご家族・知人の方が物資を届けられる場所にいる場合は物資を
供給もあるはずだと思っています。(そちらで助かったことも事実です)

今必要なものは、何なのか?を見極める為に、情報を収集する事も一つの重要な
要素だと思い覚えていない中記載していきます。

twitter でもまとめていきますので @takahirosuzuki にください。
少しでも多くの事をまとめていきます。思い出も追加していきます。

被災地の方に「今ほしいものは何?」と話しても浮かばない事であったりしても
下記の一覧があれば、少しでも効果的な確認がしやすいと思っています。
是非、少しでも覚えている事をコメントに記載していただけますでしょうか?

思い当たるものは何でもまとめていきたいと思います。
まずは記憶ベースで記載しています。そのため、文章どんどん修正していきますので
ご了承ください。また、少しでも、復興の道しるべになる気がしており文章としていこうと思います。


◆当日~2週間

※最初は、知り合いの方が届けてくれたものが下記に多かったはずです。
というのも、何が何だかわからないうちに 日にちがたって行った感覚でした。

◎必要な物資
・ガソリン
・灯油
・米、食料全般
・毛布等寒さを防げるもの
・カイロ
・水
・下着
・トイレットペーパー/ティッシュ
・水を炊くお鍋的なもの
・電池
・懐中電灯
・保存食(カップラーメンは美味しかったです)必要なもの
・トイレの確保
・お風呂(自衛隊のお風呂が一番適しています)

※確か、3日後ぐらいに自衛隊が到着し、手際よく すべての手配が出来て行きました。

◆2週間~1か月

※ここら辺から物流が確保されていく地域が増えます。
 最初に通ったのは「電気」 その次に「水」その次に「ガス」 だったと記憶しています。 
※仮設テントがはられ、そこで寝泊まり出来る人が出てきます。
※小学校のグラウンド・公園など様々なあいている場所にテントが張られた記憶があります。
 (ほとんど自衛隊のテントです)


◎必要な物資
・水 (自衛隊にポリタンク的なもので汲みに行っていました。)
    その並んでいる事を思い出しました。
・ポリタンク
・食べ物全般(企業からのもの)
・ガスコンロ
・ガスボンベ
・歯ブラシ
・缶詰
・ウェットティッシュ
・下着
・トイレットペーパー/ティッシュ
・スコップ等掃除用具全般

◆1か月~3か月

※このあたりで「水・ガス」が通った記憶があります。
※汚れ作業が出来るボランティア(本気のボランティア)の人がとても助かった気がしています。
  遊び半分な人は、大人に追い出されていました。
※鉄道の一部開通もこのあたりだった気がします。
 JRと阪急を乗り継いで 登校した記憶があります。
※テントが仮設住宅になった記憶があります。
 近所の空き地はすべて仮設住宅になっていきます。
※仮設住宅を写真に撮る観光気分の人はとても嫌な感情を持ちました。

◎必要な物資
・食べ物全般(企業からのもの)
  被災地は、避難所ごとに分けて避難しているので 出来るだけ統一した
  安全な食べ物が統制してくれている 方もやりやすそうだった気がしています。

・音楽 ギターとか…
・スポーツ用品全般 子供はなんだかんだで遊べるものは喜びます。
・ゲームボーイもらって喜んでいた弟がいました。

◆6か月

※水道・電気・ガスは復旧した記憶があります。

◎必要な物資
・購入できるところが多くなります。

◎必要な事
・普段の生活を送り続けること。
 ここら辺記憶あいまいです。いつの間に戻ったのか?わかりません。


◆1年~

仮設住宅は、ずいぶん長く近所の公園にありました。
1年以上はありました。2年かもしれません。
仮設住宅がある中、ルミナリエが始まった時に
「いいことやん」ということと「まだ早い」という事で議論があったことも記憶しています。

震災が1月だったので、その年の年末だったと思います。
ただ、はじまると皆行っていましたし楽しんでいました。

観光の方が多く来て復興に役立ったとも思います。
その最後の所で、黙祷をするのが初年度のお約束的なもので、
多くの人が手を合わせていました。

その年に、オリックスが優勝しました。

そごう神戸店の復活は早くて、1年後にはOPENしていました。
ただ、中身があんまりそろってなくて見切り発車じゃねぇ?的ないわれ方もしていましたが、
なんだかんだで買い物には行っていました。

大丸は、全部壊して直したので、その1年後ぐらいだったと思います。
「大丸もオープンやわー」と母が初日に行っていた事を思い出します。

地震前はよく行っていたメリケンパークは復興が遅くて3年ぐらいは
行ったらダメな場所もありました。

今、思い出せることはこのぐらいです。


被災地の方に「今ほしいものは何?」と話しましても浮かばない事があったり
しても少しでも一覧があるとわかりやすいことと、復興への希望が見えると
うれしいと思い文章にしてみました。

とりわけ、大人は、こういうときに子供に「不謹慎」と行ってしまうことがあります。
無邪気に遊ぶ子供をみて、楽しくなれる気分になることは本当に多いです。
その子供のほしいものは被災者の口からは言えない気がしますし、
送ることも控えがちになりますが、是非、送りたいし、わたくし個人としても
そういう活動はしていきたいと思っています。

是非、皆さまのご意見いただけると幸いです。


最後になりますが、現状では被災された方の一人でも多くの救出を
願うと共に、少しでも希望が感じれるように、神戸の復興を思い出しながら
記載しました。自分に出来ることを少しずつやっていきたいと思っています。


昨日発生した大震災。

時間がたつにつれ、震災や津波による被害にあわれた数は増えて行くと思います。
被災地の方々が置かれている今の状況を考えると、胸の詰まる思いやいたたまれない

感情を抱かずには居られません。また、現在被災され他界された方のご冥福を心からお祈りいたします。


今回の震災で、自衛隊の動きの速さ、情報の流布の少なさ(現地ではわかりません…)

支援活動の各社の速さ、どれをとっても本当に素晴らしい。

日本人であることに誇りを覚えています。自分の無力さを感じるとともに、その中で、

阪神震災を体験した一人として少しでも有効な情報になれればとの想いで記載します。

※文章至らない所あればご了承ください
※私が被災したのは中学3年なので、被災した方の心境は中学生の気持ちだと思ってください。


=========転載歓迎===============


◆今、東京にいて、震災後1週間で出来ること


『冷静に、自分が出来ることと出来ないことを見極め行動する』


まず、東京は被災地ではなく、電気も水もガスも通っています。

今後の注意は絶対に必要ですが、余震も大きさも小さくなってきています。

その中で、一般の方は迷惑になるので、絶対に現場に行けません。
行くべきではないです。現場に行くのは自衛隊・専門のボランティアに任せるべきです。

顔が見える方がいる方は、その方が必要とするものを送るべきですが、

東京や他の地域で出来ることというと
「節電」「献血」「義援金」「祈り・思いやりの気持ち」だと思います。



◆被災した経験から、天災の場合には意識していること


-余震は気をつけた方がいい。気を緩めた時に大きいのが来ます。)
-カイロは買っといた方がいい。(寒さだけは本当につらかったです。)
-なんかあった時に燃やしやすいものは持っておくことがいい。
  ライター・マッチ・新聞紙(どうしようも無くなってもまず火がたけます)
  ちなみに私が、タバコをやめない理由もちょっとだけこういう気持ちもあります。
-水は本気でためておく (これは絶対です)
-お金はおろしておいたほうがいい。(すぐに使えるようにしておくべきです)
-食べ物は意外となんとかなる。(3日たてば日本では大丈夫です)
-トイレの場所・避難場所は決めておいた方がいい。
-靴下は絶対はいた方がいい。(足怪我した覚えありますので、これもすべきです)

-出口はすぐに確保した方がいい(ドアが一瞬開かなくて、本当にどきっとしました)



◆神戸の被災の時の1週間の状況と、後々思ったこと


①『現場は思っている以上にもっともっと情報が入らない。』 

twitter やFB・mixiを使っていてくれることを願うばかりですが、
(わたくしが被災した時は、中学3年なので、携帯もtwitter も
ありませんので、今は情報が入っているかもしれません。でも
電気がないから使い物にならないと思うので、下記も参考になると思います)



まず、情報が入らない理由として『現実を受け止められない2~3日がある』
いう事です。今の状況が理解できないので、どーするも何も情報を取得してから
動くではなく、まず動く必要性があるからです。


私の場合、朝、余震で起きて、本格的な直下型の地震になる時は
たってもいられず、ただ、机や棚倒れ、その後部屋の端から端へ動くことを
見ながら耐えるぐらいでした。落ち着いてから「生きてる?」と隣の姉の部屋に
向かって叫んだ事を覚えています。


窓から外を見ても、全然別の景色になっています。
(後で高速が倒れた事がわかりましたが、その時は何か建造物が出来たと思って
しまいました。。。) 家を出ると目の前の家の1階が押しつぶされていて、
小学校の同級生が生き埋めになっている。こんな状況をすぐにのみこめるわけが
ありません。何をしたらいいかわからないまま1日がたってしまう。


確か、その時は、道端に各家族が出てきて、まずは近所の人でどうなの?
どこに行くのがいいの?等と話していた気がします。

阪神震災の場合は、特に私は東灘区で、あちこちから火が
出ていましたので、男は、埋められている人を助けることと、火を消すこと、
女性は、水の確保と、避難所の確保と大枠分けて、動きました。

近くの小学校に集まった方がいいとか、公民館だとかどこに行けば
安全かも全く分からなくなります。1日目は小学校に集まりました。
そこに行けば情報が入るはずという父の話で家族全員で泊まりました。


2日目か3日目に初めて、5駅ぐらい離れた祖母の家に行けましたが、
その時には1階が押しつぶられており、助け出すことも出来ないまま夜になるので、
悔しい気持ちのまま、次の日を迎えます。(結果的に他界してしまっていました)
生きているのか?すらもわからないまま本当に何も、出来なかったです。
結果的に、3日目か4日目に顔だけ確認でき、息を引き取っていることがわかりました。
遺体を取り出せたのは、もっともっともっと後です。


この時まで、一部の方のラジオでしか状況がわかりません。
大丈夫なラジオを持っている人も少なく、TVも見えなかったので、情報は本当に入りません。

少し、余震が落ち着くと、あまりにも人が小学校に火とが多すぎるために、
誰かが、ここの公園や!といってそこが、青木の一部の避難場所になりました。
後々、その場所はテントが立てられ、避難所になっていきます。
暖炉的なものも取られ、よくそこで話していました。



②デマは出ます。


今のtwitterをみて思うのですが、送る側も必要な情報だとおもうから善意で伝えます。
情報が思っている以上に入らない現地はもっと善意によるデマだらけだと思います。

今になってみるとありえへん!と思うことが実際にはいくつもありました。

「あそこの家事は、◎◎人が放火した!」とか
「◎◎地域は、水が通った!」とか
「ラジオで、今日もっと大きな地震が起きる!といっていた」とか
「◎◎でレイプがあった」とか

記載したら問題になることが多いので記載しませんが、
その時は状況をのみこめないので、信じてしまうのです。

大人が喧嘩している場面もいくつも見ました。
デマは少なかったんだよね?と聞かれた時に「ん??」そんなことはなかったでと思った記憶があります。


なので、現地にいない僕たちはスピードが大事ですが、
えっ。とちょっとでも思ったことは確認していった方がいいです。
だからこそ、東京で、しんでしまうという嘘のつぶやきは、
どうしようもないぐらい憤りを感じます。

東京では自助作用でデマは少なくなっていきますが、現地では電気が
とおって、TVやインターネットがつながるぐらいまで続く気がします。
(3日~1カ月ぐらい)



◆神戸の被災の時の2週間~3か月ぐらいでの状況と、後々思ったこと



①『支援での思い込みはNG』 いらないものがあふれます。


震災1週間が過ぎたころから物資が山ほどきます。
正直ベース、カンペンは美味しくないので、余ります。
2日目・3日目だと食べたかもしれませんが、それ以降は食べたくありません。
幹線道路が近かったため、必要ないぐらいに来る地域だったのかもしれません。
※他、思い出したら追記していきます。


◆うれしかったもの

「自衛隊のお風呂」 (ガスが通るまでは本当に必要で・・)
「ホッカイロ」 (雨が降って、寒いのは本当に耐えれない時があるんです・・・)
「歯ブラシ」 (3日ぐらいはいいんですが、そのあとは必要なんです)
「美味しい缶詰」 (なんだかんだで美味しいものが一番です)
「ウエットテイッシュ」(便利!)

母親が嬉しがっていたもの

サランラップ、カイロ、トイレットペーパー


◆いらなかったもの

「長持ちするだろうと思って送ってくれたカンペン」
「古着」
「水のいらないシャンプー」(興味本位で使ったけれど、ちょっとなれなくてすぐに風呂に入りたくなる)

正直、顔の見える方からであればこちらも気兼ねなく ◎◎がほしいと言えるのですが
公園に古着がどさっとおかれ、救援物資です。といわれても、誰一人とることなく
暖炉の火に変わりました。
実は、3日ぐらいは、意外と食料は、家にあるものでなんとかなるものでした。
両親は、『善意疲れ』と言っていた事も思い出します。

今思うと、正直、顔の見えない人以外に送る場合は、『お金』これが一番いいです。
募金サイトもありますし、ジャストギビングもお勧めです。文末に私も今出来る事

でチャレンジ始めました。



②『見たい気持ちで現場に行くことは、絶対にやってほしくないこと』




阪神震災の時に見物みたいな兄ちゃんが来ていて(すぐにわかりますが、、、)
見世物になってしまった時の何とも言えない恥ずかしさと悔しさは思い出します。

家にすぐに住み始める事が出来たわたくしは、まだましでした。

地元の友人は、テントで何カ月も住んでいた時に、本当に悔しがっていたことを
思い出します。

そんな方こそ、ボランティアが必要なんですが、見物目当てで行く人が、
少しでもいると本気のボランディアの方も受け付けなくなる方もいますので、
本気な方以外は被災地にはいかないでほしい。



周りで、そういう気持ちで現地に行く人がいたら絶対に止めてほしい。
体験していないからその人の価値観が変わることもないですし、
何もプラスにはならないです。

今回、自分が出来ることを考えて行動していくかたも多いと思います。その場合も、
・「押しつけ」になっていないか?
・「かわいそう」という気持ちを持っていないか?
を自問自答して行ってほしいと切に願うばかりです。

私も、自分の出来ることを精一杯行っていこうと思います。


◆震災後、ずっと思うこと

まずは、人命救助・その後復興する支援これは言うまでもないですが、

① 『子供~高校生には、心のケア・接し方のモラルを持ってほしい』


3ヶ月後・1年後 今の被災地の方とお会いする事も多くなっていきます。
大人は判るかもしれませんが、特に高校生ぐらいまでの子どもと話すときは、
話し手の方が配慮してあげてほしい。

被災の子供と話すときの、僕の結論としては、『お疲れさま、頑張ったね。』の一言でよい。


これもよくないかもしれないが、経験談から言うと、
本当に心配して思いやりを持って聞いてくれる方もいるのですが、
今思うと、明らかに、『興味本位』な質問が多くてたぶんそれは、
胸の詰まる思いやいたたまれない感情を抱いたけれど何も出来なかった
その方の自己満足もあったんだろうなぁと後になって思います。


本当に、それ聞いてどないするん?って今思うと何度も思った質問
・「震災大丈夫だった?」 → そんなわけないやん??TVみてたんやろ!とか・・・
・「周りは大丈夫だった?」→ 祖母が他界しました。聞いた方が言葉を詰まらせるとか。。
・「家は大丈夫だった?」 → 半壊しています。

震災の被災の方は、ほとんどは、大変です。確実に周りの方の誰かは
亡くなっているという前提で話をしてもいいと思う。

特に子供に関しては、何年間は話し始めるまで触れなくてもいいと思う。
最近、神戸の友人と話してやっと震災であったことを踏まえて僕たちは生きている
という事を素直に話し始められています。
でも、大学の時もまだまだそこまで話していなかった。

印象的だった経験は震災7~8年たったころに大学のころに子供をキャンプに
連れて行って時に、少しの地震で、夜中寝れなくなっていた。
そのぐらい、トラウマになる。

そのトラウマを毎回大人に会うたびにえぐられると思うと理解してもらえると
思います。ちなみに、被災者通しの神戸の人通しは逆に聞かれることも
聞くこともなかった。


②人は「強い!」 どんな環境でも楽しむ感情を持っていること


たとえば、神戸の震災もひどかったけれど、現地では笑顔もあるし、助け合うし
普段接しない人と接するし、意外とテンションが上がるところもあるんです。

僕で言うと、自衛隊の車に乗せてもらったことは初めてでとてもうれしかった
記憶がある。

子供は無邪気で、非日常な事が逆に好奇心をそそる部分もあると思っています。

今、一人暮らしなので被災した場合の気持ちを今の状況で想像するのは難しいですが、

「仕事は何んとかなる!今が大事」としきりに言っていた父を思い出す。
たぶん、今被災しても、仕事より命・家族優先と当たり前に思うのだと思っています。


①②をつうじて、この被災地と被災地の情報を見ただけの人のギャップがあるという事
を理解して接するべきだと思っています。

被災地の方はその場で同じ環境の人と「前を向いて生きていく」事を絶えずしている。
被災地でない方から「かわいそう」的な感情で接しられると「いやいや、大丈夫ですから」と
いう感情になる。



③天災の時は、ビジネスはしたらあかん!

便乗商売をした企業は地元では絶対につぶれている。
スーパーの◎◎とか地震の後にすぐに値上げをしたことを僕も含めて、
今でも根に持っている人は多い。結局数年後に撤退していった。


今回の渋谷で便乗値上げした会社であったりは、長続きしないはず。
そういう会社はなんだかんだで、離れる。レンタルビデオ屋のPRは許し難い。

被災地で、商売してしまうと本当につぶれる。

そんな商売は持たない。


今の震災の対応としてのIT系サービスの支援事業は本当に素敵な事で、
私は、どんどん利用していくつもりです。
(弊社でも出来る限りのことはするつもりです。)

ただ、保険会社は大丈夫かなぁ?と思ってしまいます。
たぶん、相当被害額になるのに、既に「負担する!」と明言されている。
あと後、震災は適用外です。となった阪神震災の二の舞はなってほしくない。
IT系サービスの情報のスピードに流されず、状況をすべて理解したうえで発表してほしい。



◆まとめると

・今は、『冷静に、自分が出来ることと出来ないことを見極め行動する』
・支援は、顔が見える方がいる方は、その方が必要とするものを送るべきで、
  それ以外は、物資ではなく「お金」の方がよい。
・震災後の事も意識して今と同じぐらいのモラルの高さで対応していきたい。



助け合い・思いやりは確実に日本人は皆持っている事が証明されているので、
なおさら、被災された方々と同じぐらい強い気持ちで、絶対に復興する!と信じて

自分がが出来ることをする!そういう気持ちを全員が持つ。
また、来週になると平常に戻り仕事を開始すると思いますが、

その時でも「継続支援」という気持ちを持ち続ける。

それこそが大事だと思っています。


まずは、今出来ることを精一杯やります。



まず、出来る事としまして下記始めました。
ここからでなくて全く良いので、まずは「自分に出来る事」を 
東日本大震災 目の前で出来る事



最近気づいたんだけれど
世の中には、「計画」を立てない人が
以外と多いんだと・・・。

計画を立てた方が
何をいつやるべきか?が
わかるので、やりやすいはずなのに
なんでかは理解しにくい。


・行き当たりばったりでも何とかなる。
・計画は誰かが立ててくれるからその通りにする。
・人が立ててくれるものを修正した方が早い。
 
他には何があるだろう・・

・そもそも、計画を立てられない。
・何から立てていいかわからない。
・計画を立てる時間が無い。
・計画を立てたくない。
・その他・・・

こんなところかなぁ・・・。

はっきり言うと
・行き当たりばったりでも何とかなる。
 ⇒何とかなっていると思っているのはその人だけである。
  その人の仕事を見ているし、行き当たりばったりで
  成果を継続する事≒仕組み化は絶対に出来ない。

・計画は誰かが立ててくれるからその通りにする。
 ⇒これは、自己の成長を自分で止めているだけである。
  これからの時代、言われた事をやる事においては
  相対的に価格勝負になっていく。
  つまりは給料が減るのである。

・人が立ててくれるものを修正した方が早い。
 ⇒これは、「分かっている」と「出来る」を履き違えやすい。
  分かった気になって、出来ているつもりになっても
  いざという時に、全く出来ない。
  いつも自分で建てる時はこういう計画であるべきだと
  代案を用意しておくべきである。

・そもそも、計画を立てられない。
 ⇒勉強しなさい。
・何から立てていいかわからない。
 ⇒まず、考えてブレイクダウンしていき
  詰まったら周りに相談。
・計画を立てる時間が無い。
 ⇒絶対嘘。
  TVはみてんじゃん。
・計画を立てたくない。
 ⇒ビジネスマンには向かない。
・その他。
 ⇒教えて下さい。


改めて書くと
ふむふむ。。。

とおもう。
 
計画を立てないと、メンドクサイ事が多くなる。
メンドクサイ事が多くなると時間が取られる。
時間がとられると成果が落ちる。

逆に、
計画を立てると、メンドクサイ事が先に分かる。
メンドクサイ事が先に分かると小さい時に解決出来る。
小さい時に解決すると大きくメンドクサイ事にならない。
時間がかからない、成果が上がる。
計画との差異がわかる。
次に何をしたらいいかがわかる。


計画を立てない人の特徴は、「責任感が無い」
それは自分が立てないから当たり前。

自分は責任感がある方だ!と思っている人は
直ぐに見直した方がいい。
責任感があると思っているのは自分だけかもしれない。

頼まれた事をやる事は責任感ではなくて、
引き受けたのであれば、当たり前の事だと思う。

責任感とは、自ら計画を立てて、遂行していく事でしか
生まれないと思う。


自分で計画を立てる事は難しい。
自分へのプレッシャーだから。

そのプレッシャーに負けるメンタルの持ち主は
社会の厳しさに負けて行くとおもう。

メンタルが強くなるために日々準備している人
(読書等の勉強や、体力増強)
は一重に、責任感が年々高まる。

計画を立てず、問題が起きるべくして起きている人は
本人は、責任感をもって、解決に翻弄している気になっているが
それは責任感ではなくて、仕事の仕方・思考が間違っていると思う。

まずは自分で計画を立てて、遂行する所から始めなければ
意味が無い。

あんまり、手を差し伸べたり教育していくタイプではないので
伸びない考え方や行動の人はその人の中で頑張ってもらうしかない。
その人にはその人にしか任せられない仕事しか来ない事を
気づくべきだとおもう。





今週は、弊社のビジョン・ミッションの文言を修正しました。
これは個人的にものすごく大きな事で、

・何のために生きているのか?
・何のために仕事をするのか?

を問うものでした。

そんな中で、今週は残念ながら
2つ訃報が届きました。
その周りの人が頭に浮かび、
涙が止まらなくなってしまう。

もっと大きく仲間と共に仕事を通して
世の中の為になっていく。

改めて心に誓いました。