前回の文章の反響がとてもあり、少しでも何か出来ることがあればと思い
文章にしたことを後悔はしておりません。ただ、少し乱暴であった部分は否めないと
反省しております。コメント欄でも阪神震災を体験された方の多くのコメントをいただきました。


<反省すべき点>
・2週間、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月等の期間に分けて 必要なものを記載するべきであった点。


伝えたかったのは、『冷静に、自分が出来ることと出来ないことを見極め行動する』事が
有事だからこそ絶対に必要な事だと思っています。

今、出来ることは、「節電」「献血」「義援金」「想い」という事は変わっていません。
被災地に行くことは何も出来ない事が多いです。
一番有効な手段が「自衛隊」「専門のボランディア」ということも変わっておりません。

付け足すべきは、ご家族・知人の方が物資を届けられる場所にいる場合は物資を
供給もあるはずだと思っています。(そちらで助かったことも事実です)

今必要なものは、何なのか?を見極める為に、情報を収集する事も一つの重要な
要素だと思い覚えていない中記載していきます。

twitter でもまとめていきますので @takahirosuzuki にください。
少しでも多くの事をまとめていきます。思い出も追加していきます。

被災地の方に「今ほしいものは何?」と話しても浮かばない事であったりしても
下記の一覧があれば、少しでも効果的な確認がしやすいと思っています。
是非、少しでも覚えている事をコメントに記載していただけますでしょうか?

思い当たるものは何でもまとめていきたいと思います。
まずは記憶ベースで記載しています。そのため、文章どんどん修正していきますので
ご了承ください。また、少しでも、復興の道しるべになる気がしており文章としていこうと思います。


◆当日~2週間

※最初は、知り合いの方が届けてくれたものが下記に多かったはずです。
というのも、何が何だかわからないうちに 日にちがたって行った感覚でした。

◎必要な物資
・ガソリン
・灯油
・米、食料全般
・毛布等寒さを防げるもの
・カイロ
・水
・下着
・トイレットペーパー/ティッシュ
・水を炊くお鍋的なもの
・電池
・懐中電灯
・保存食(カップラーメンは美味しかったです)必要なもの
・トイレの確保
・お風呂(自衛隊のお風呂が一番適しています)

※確か、3日後ぐらいに自衛隊が到着し、手際よく すべての手配が出来て行きました。

◆2週間~1か月

※ここら辺から物流が確保されていく地域が増えます。
 最初に通ったのは「電気」 その次に「水」その次に「ガス」 だったと記憶しています。 
※仮設テントがはられ、そこで寝泊まり出来る人が出てきます。
※小学校のグラウンド・公園など様々なあいている場所にテントが張られた記憶があります。
 (ほとんど自衛隊のテントです)


◎必要な物資
・水 (自衛隊にポリタンク的なもので汲みに行っていました。)
    その並んでいる事を思い出しました。
・ポリタンク
・食べ物全般(企業からのもの)
・ガスコンロ
・ガスボンベ
・歯ブラシ
・缶詰
・ウェットティッシュ
・下着
・トイレットペーパー/ティッシュ
・スコップ等掃除用具全般

◆1か月~3か月

※このあたりで「水・ガス」が通った記憶があります。
※汚れ作業が出来るボランティア(本気のボランティア)の人がとても助かった気がしています。
  遊び半分な人は、大人に追い出されていました。
※鉄道の一部開通もこのあたりだった気がします。
 JRと阪急を乗り継いで 登校した記憶があります。
※テントが仮設住宅になった記憶があります。
 近所の空き地はすべて仮設住宅になっていきます。
※仮設住宅を写真に撮る観光気分の人はとても嫌な感情を持ちました。

◎必要な物資
・食べ物全般(企業からのもの)
  被災地は、避難所ごとに分けて避難しているので 出来るだけ統一した
  安全な食べ物が統制してくれている 方もやりやすそうだった気がしています。

・音楽 ギターとか…
・スポーツ用品全般 子供はなんだかんだで遊べるものは喜びます。
・ゲームボーイもらって喜んでいた弟がいました。

◆6か月

※水道・電気・ガスは復旧した記憶があります。

◎必要な物資
・購入できるところが多くなります。

◎必要な事
・普段の生活を送り続けること。
 ここら辺記憶あいまいです。いつの間に戻ったのか?わかりません。


◆1年~

仮設住宅は、ずいぶん長く近所の公園にありました。
1年以上はありました。2年かもしれません。
仮設住宅がある中、ルミナリエが始まった時に
「いいことやん」ということと「まだ早い」という事で議論があったことも記憶しています。

震災が1月だったので、その年の年末だったと思います。
ただ、はじまると皆行っていましたし楽しんでいました。

観光の方が多く来て復興に役立ったとも思います。
その最後の所で、黙祷をするのが初年度のお約束的なもので、
多くの人が手を合わせていました。

その年に、オリックスが優勝しました。

そごう神戸店の復活は早くて、1年後にはOPENしていました。
ただ、中身があんまりそろってなくて見切り発車じゃねぇ?的ないわれ方もしていましたが、
なんだかんだで買い物には行っていました。

大丸は、全部壊して直したので、その1年後ぐらいだったと思います。
「大丸もオープンやわー」と母が初日に行っていた事を思い出します。

地震前はよく行っていたメリケンパークは復興が遅くて3年ぐらいは
行ったらダメな場所もありました。

今、思い出せることはこのぐらいです。


被災地の方に「今ほしいものは何?」と話しましても浮かばない事があったり
しても少しでも一覧があるとわかりやすいことと、復興への希望が見えると
うれしいと思い文章にしてみました。

とりわけ、大人は、こういうときに子供に「不謹慎」と行ってしまうことがあります。
無邪気に遊ぶ子供をみて、楽しくなれる気分になることは本当に多いです。
その子供のほしいものは被災者の口からは言えない気がしますし、
送ることも控えがちになりますが、是非、送りたいし、わたくし個人としても
そういう活動はしていきたいと思っています。

是非、皆さまのご意見いただけると幸いです。


最後になりますが、現状では被災された方の一人でも多くの救出を
願うと共に、少しでも希望が感じれるように、神戸の復興を思い出しながら
記載しました。自分に出来ることを少しずつやっていきたいと思っています。