“But, Master,
if it is my destiny how can it be changed?”
“It was your destiny to be told what you were told.
It was your destiny to be prepared in
the way you have been readied…
It was your destiny to believe at the time
that this would be your destiny…
How else can you play the role God wishes you to?
“That is all you can do.
Think of God. Continue to contemplate on your Guru.
Play your part, whatever role you are given,
with sincerity, with trust.
Believe what you are told…
Have faith…
That is what you are being asked to do…
But know that ultimately only God knows what is best.
Ultimately, only God knows the Truth.
「しかし、師よ。
もしそれが私の運命であるならば、
どうしてその運命が変わり得るのですか?」
「人から何か言われたら、それは
そう言われることが君の運命だったのだ。
君に何かが用意されたとしたら、
そのように用意されるのが君の運命だったということだ。
君が『これが自分の運命だ』と信じたとしたら、
それはそのときそう信じることが君の運命だったのだ……
それ以外に、どうやって神が君にしてほしいと思っている役を
君が演じられるというのかね?
要は、二元性の中においては、
我々が自分の運命だと思われるものは、
すべて単にそう見えるだけなのだ。
運命の一部ではあっても、運命そのものではない。
変えられる運命なのか変えられない運命なのか、
それも絶対なるものにしかわからないのだよ」
【バルド・オブ・ビカミング206p 引用】
文面の前後がないで、
どの場面なのかわからないと思うが、
ここぞこの本の「ツボ」である!
この本をすでに英文で読んだ方が
「葉のシステムがようやく理解できました」
と深く納得していた箇所である。
それを著者に伝えると
「そう、そのとおりよね。
未来を推し量れるのは神々だけ。
我われの解釈で云々するものではなかったわ。
息子を連れて行くわ、葉の館に」
10年前に書かれた本の内容を
回想するかのように繰り返していた。
前回彼女に会ったときが、
ちょうどマイナヴァティの母が他界した直後。
「葉っぱでは、とてもいい時期だと書いてあったのに、
その期間に母が亡くなったのよ!」
と、わたしに嘆いていた。
何年も寝たきりの母を、
スコットランドとインドを行ったり来たりしながら
息子(母からは孫)と交代で看ていたマイナヴァティ。
その間、20年近くインドに滞在している彼女の下に
祖母の看病をしている息子が訪れることはなかった。
しかし今、彼女の息子家族は
マイナヴァティの住むインドに頻繁に訪れている。
さらには、
母の有していた家を売って
イギリスの郊外に、マイナヴァティ自身が
生涯住む家が見つかったと喜ぶ。
これを「いい時期」なのか「わるい時期」なのか
判断するのは本人の主観である。
葉の特徴として、身内の死は
明確に記されていないことが多い。
なぜなら、
それを知ることによるデメリットが大きいから。
「死」については、
単なる古着を脱ぐようなもの
と、記している彼女でさえ
いざ身内の死に直面すると、
他に受けた恩恵が見えなくなる。
なんとも不思議なものである。
重要なメッセージを記した著者に
読み手であるわたしが解説するなんて。
つづく・・・
