2005-6-18 (土)-2
土曜日の昼間というのは、存外に重要である。それは、世間様が休みだから、自分も休みたいという衝動を抑える事とか、いつもの行動半径の人口密度が高くなるとか、そういった問題が積み重なって、自分のスタイルの維持が困難だからである。
本業は、半竹な技術屋(技術者というほどには卓抜しても無いし、志も高くは無いので)であるから、その技術を高めることよりも売ることの方が多少、ウエイトが高い。ある種、教育関係者であっても、民間の技術者であっても、研究やら、学習やらが重要な要素を占めているのは間違いないが、日本のシステム上なのか、本人の気の持ちようかは言い表せないが、大学に残り、研究を続いている人々と違い、売らねばならぬという事実は重くのしかかる。一流の研究者であることを野に下ってからも維持することは困難を極めると言ってよい。
「オープンソース」という考え方は正しい考え方であるし、技術の進歩の多くは、研究機関、企業、在野に関わらず、志を高くして、各々の分野で研鑽を積んだ結果の結露であり、その結露の一部を利用して、私のような半竹な技術屋も糊口を凌いでいるわけであって、その事には敬意も表するし、感謝もする。また、協力は惜しまないが、いかんせん、私の実力では、精々、身近な所の仕事で手一杯であるし、多くのハッカー(この場合は、優れた技術者、研究者の意)の様に大きな物事を達成するには至れない。ここに一つのジレンマがあって、依頼された仕事を黙々とこなしているだけの、オートスクリプトライター化した自分が嫌で嫌でたまらないというのが本心である。また、出来る限り、良質のスクリプトを提供しているつもりではあるが、あくまでも自分の考えるレベルなのである。アナリストからの正当な評価を受けているわけでは無いので、出来れば著名な技術者の評価を一度受けてみたいものだとも思っている。あくまで、私が「技術者として尊敬に値する」と判断している技術者にである。それも身近な人でなく、全く知己の無い人からの冷静な評価を。
9:00起床。今日は最近にしては遅め、いくつかの作業をこなして、メールチェック、返信。その後、作業開始。抱えている案件を処理する。私の所に来る仕事の半数程度は私にプランナーやプロデューサーとしての視点を求めているわけではない。この手の仕事というのは比較的楽であるし、楽しい。やり取りの内に自然と出来上がった「仕様書」(というか、独自に作っている表)に則って、デザインされたページに合わせて、ただただタイプし続ける。目標となる機能を実現できればまずは良い。人にも寄ると思うが、楽しいのは、プロデュース的な部分も含めての依頼を処理している時の方が楽しい。出来上がるまでの実作業にも楽しさはあるが、それ以上に困難な問題(予算、時間、その他の都合)を一つ一つ対処して、解決する。完全に満足が行かない場合でもそれに納得するだけ方法を考える。その後、テストを繰り返し・・・。この辺りの作業というのは、人にも寄るがそれほど楽しい物ではない場合が多い。それに比べれば、好き勝手に意見を出し合い、プランニングをしている時というのは、大変に楽しい時間なのである.。
昼過ぎに一段落、歌舞伎町方面へ足を向ける。近頃、オープンした豚肉系の店。ランチサービスはトンカツ等など、夜はしゃぶしゃぶを中心としたメニューへ変わる。酒の種類も豊富。トンカツセット、カツもさることながら、付属のトン汁が激ウマ。肉の良さがこういった所に現れていると言ってよい。ご飯も五穀飯で、これがよく合う。夜のしゃぶしゃぶタイムには入店したことが無いのであるが、これならば期待できると思われる。値段も決して、割高では無い。場所や店構えを考えれば、十分に良心的であると言える。次回、会を持つときに利用することにしようか。
食後、徒歩で駅方面、書店探訪。ジュンク堂、紀伊国屋に寄る。元々、新刊本書店に立ち寄る頻度よりは古書店へと足を運ぶ頻度が高いが、まったく行かないと毎月「ダ・ヴィンチ」でチェックしている本を購入しそこなう場合もあるし、Web上で話題になっている本などタイムリーに入手しないと消えてしまう場合もあるわけで、寄り道出来るときは寄り道する。一冊、二冊ならば手に持って帰れば良いが、一定数を超えた量の本は配送依頼をせざるを得ない。今日も配送依頼。購入した本の中から二冊を選んで手持ち荷物。浅田次郎著「天切り松・闇がたり/第四巻・昭和狂盗伝」並びに、いつでも買えると油断していた宮部みゆき著「日ぐらし」。どちらも好きな作家であり、現在、売れている作家二人であると思う。書評のプロの間では、既に、終わっている(つまり面白く無くなったという解釈で良いのか?)という意見が出されることも無いことは無いが、不覚にも浅田次郎氏の著作を書店で立ち読みしている最中に落涙してしまった事がある位に涙もろく、浪花節的世界観に弱い傾向にある。いわゆる「本格ミステリ」同様に新刊が発売される度に購入している。また、宮部みゆき氏に関して言えば、デビュー作を読み、その後、初期の時代小説作品を読んで以来の宮部氏書くところの時代小説のファンなのである。故・池波正太郎氏や故・司馬遼太郎氏の書かれた各種の時代小説や歴史小説を濫読した時期を経て、それ以降も現在も健在の作家の書く時代小説も読むようになった。現在、活躍している作家の中では時代物を書かせれば、楽に十指に入る書き手だと私は勝手に思っている。それ位、心地よい空気と懐かしき人情に溢れている。
駅を背にして、お気に入りの公園へと食後の散歩、天気が大変に良い、ジリジリと照りつける日差しが体に堪える。夏が嫌いなのである。ドロドロと溶けそうな勢いである。出来るだけ日陰を選びながら、公園へ向かう。途中、必ず、立ち寄るコンビニで飲み物購入。今日は「生茶」と「さわやかメロン」。「葛きり」が売っていたのであわせて購入。梅雨は夏に含まれるように思う。暑いときの和風涼菓は大変に美味いものである。洋菓子には無い涼しさがある。陰になっている椅子に座る。ビルの谷間になっていて、日陰に入ると流れてくる風は存外に強く、心地よい。近所に住んでいると思しき子供が父親とキャッチボールをしており、既に名物と化している太極拳の演舞を行う女性も既に演舞を開始していた。しかし、よくよく眺めてみると太極拳の演舞の後、太極拳では無い拳法の演舞を開始した。私が見た所、八卦掌では無いかと思う。一時期、武道全般にはまって、色々な憲法について調べたり、練習してみたりした事がある。代表的な拳法の演舞については、なんとなく記憶に残っているので、見ているとなんとなく判る。珍しいモノが見れたなあと思いつつ、持ってきた本の内、浅田次郎氏の著作を読み始めた。相変わらずの”浅田節”とも言える独特の語り口が心地良い。達者である。故・三島由紀夫氏の「文章読本」でいうなら、「泉鏡花型」の作家なのだろうと思うが、豪華絢爛で独特の形容詞の数々も、「しつこいなあ」と最初は思っても、慣れてくると心地良いものである。
2005-6-18 (土)
今日から、日記についてはこちらに書くことにして。
夜、手伝いに行っているバーが最近、混雑至極。大変な忙しさである。
忙しい事は悪いことでないとは思うが、働いている人数が三人しかおらず、予約をフルで受けると到底人手が足りない。解決法は人手を増やすしかないわけだが、そう簡単に使える人間など見つからない。チェーン展開している居酒屋やファーストフード店の最も価値ある部分はどこにあるかというと、店舗数、資金力などの要因も無いとは言わないが、長年を掛けて培ってきた「マニュアル」にあるのだと思う。
とりあえず、初めての接客業という人を一人前にするためには膨大な量の時間と指導が必要で、その一人の為に他の人間の手が止まるわけだが、完成された「マニュアル」があれば、ある程度までのサービスは独学でも身に着けることが出来るだろうと思う。そのマニュアルも「接客用」「調理用」「マネージャ用」などと分かれていて、確実にそれを守ることが出来れば、最低限のサービスは提供できる。それがマニュアルの威力なのだと思うわけだ。そんなものは個人でやっている店には無いものだ。各々が長い年月を掛けて経験したことを蓄積して、各個人が対応している。その経験から手ほどきをする。
本来、その方が、正しいのかも知れない。人は一人一人違うものだし、ロボットの様には行かぬものだ。一人一人が自力で学び、勝ち取ってきたモノは何事にも変えがたいモノなのではないか。それこそが、本来あるべき「サービス」の姿であると思われる。
昨今、公官庁の不祥事、郵政民営化、JRやNTTなどの元国営企業等のサービスについて取り沙汰されることが多いが、すべての人が悪いわけではないのだと思う。そこには、長い経験を積んで、すばらしい能力、サービス精神でもって、奉職している人とているのだと思うが、一の悪評は、十の好評を潰すだけの威力を持っていると言ってよい。人間はいたって利己的な生き物であるから、一の失敗をあげへつらう方が得意なのである。一の善を正しく評価することが出来る人は大変に少ない。だから、いろいろな企業が必死で、失敗しないように失敗しないようにと努力している。「失敗を恐れては何も出来ぬ」などと言うが、恐れていない人など居ないと思うのだが。などと考え込んでしまう。それは新人のアルバイトが、中々、定着しないからに他ならないわけだが。
夜12時過ぎ、「先に上がる」と一言入れて、閉店業務をキャンセル。早出して最後まで残ってたらやってられない。帰りしなの通り道にあるコンビニで甘味検索。疲れるとプリンや豆腐花などの冷たいデザートが美味い。元々、寒天や葛が好物。”ぷるぷる”した食感に弱い。食感の楽しさは”味”を構成する要素のひとつだと思う。甘、酸、辛、苦、旨と味を構成する要素はあるが、食感も重要だ。中国では、味と食感を組み合わせた表現がいくつもある。詳しくは説明できないが、日本人とはまたひとつ違った味わい方をしているということかもしれない。どんな物でも食べる民族、悠久の歴史流れる国は伊達ではないのだと思う。
結局、豆腐花を買って帰宅。付属の黒蜜でなく、メイプルシロップに杏仁豆腐の缶詰に入っていた蜜を加えた特製の蜜をかけていただく。豆腐に黒蜜はしつこいと思っていて、中国の屋台でも、薄くてさっぱりした蜜をかけて食べるほうが一般的だ。
他のサイトの更新並びにニュースのチェック、コラム版を書いて、就寝。4:30。明日は午前中、起床次第、本業の半竹な技術屋としての作業。まだまだ先は長い。妻に使われた分も取り戻さねばならない。