☆ 白ばら(童話)2002年 | fitz111のブログ

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日々に ちいさく 生きた道

  白ばら 

 

 

 あるところに山をはさんで二つの町があった。町と町はその大きな山に隔てられていたので、お互いの町への交通は、山頂とふもとの間にもうけられた山腹路を使うほかなかった。その山腹路の道すじに、「白ばら」という喫茶店がある。ちょうど谷側に展望がひらけた場所だ。

 白ばらは女の人がひとりでで切り盛りしていた。近くに岩清水があって、その水でたてたコーヒーがおいしいというので、これはちょっとした評判だ。彼女は椅子づくりもやっていて、店の中には、彼女のつくった木の椅子がいくつかあった。そのすべての椅子には、色の違ったリボンの形をした木片が、二つ三つ、小さく組み込まれてあった。

 

 朝の白ばらは、山をこえて町へ仕事に向かう人で、いつもごったがえす。その時間ばかりは、町の大きな喫茶店にも負けないくらいのにぎわいだった。けれども、午後を過ぎると、店は大変しずかになる。その、ひまな時間を、彼女は椅子づくりに費やしていたのだった。

 あるときは、店にやってきた客の一人が彼女に言うのである。

「また椅子が一脚ふえてますね。趣味がこうじるのはいいが、わたしどもも椅子に追い出されんようにしないとなあ。わはは。いや、それにしてもここのコーヒーはうまい」

 またあるときは、べつの客が言うのである。

「毎晩、仕事の帰りに店の前を通ると、まだ明かりがついている。こんな時間に客もないだろうに・・・、いや失礼。立ち寄ろうと思ってもついつい家路をいそいでしまう、わはは。いや、それにしてもここのコーヒーはうまい」

 彼女は、そういった客の一言一言に笑みをかえしてこたえるのだった。 白ばらは谷側に展望がひらけていたので、そこから四季おりおりの景色が眺められる。季節の気持ちを感じとりながら、彼女はやはり椅子づくりにはげんでいたのである。

 

 ある晩のことだ。いつものように遅くまで店をあけていると、呼び鈴がなって、ドアが開いた。おおぜいの客が一度に店に入ってきたのである。時刻とその人数からして、おどろいた彼女は、

「あ、あの、もう閉めようかと思っていたところなんですが・・・」と、言わざるをえなかった。

「いえいえ、お手間はとらせません。ここにある、ここにあるあなたのおつくりになった椅子に腰かけるだけでよいのです」と客のひとりが言った。

「そうです、そうですとも。騒ぎもしなければ長居もしません。ただこの椅子に座ってみたいだけなのです」と、べつのひとりも付け足すように言った。こうなると彼女も断るわけにはいかなかった。いや、むしろ、自分のつくった椅子に親しみを感じてくれていることにうれしくもなったのである。

「ええ、じゃあどうぞー。あら、でも椅子が足りるかしら」

「ご心配なく。ぴったり10人いますから」

見ると、店のなかの椅子はちょうどの人数でうまっていて、みなしずかに、かしこまっているのである。彼女はなんだか可笑しくなった。

「あはは、なんだかふしぎな晩だわ」

 すっかり笑顔にもどった彼女のをみて、客の一同も安心したようだ。

「じゃあ、せっかくだ。コーヒーでも飲むか。すみません、コーヒーを一杯くださいますか」

 彼女は一杯のコーヒーをたてて差し出した。10人の客は一杯のコーヒーをみんで回しながら味わった。手間をとらせないってこのことかしら、と彼女は客全員に愛着をおぼえながら、そう思った。

 わずか15分たらずで、客らは帰り支度をはじめた。一杯のコーヒー分の儲けだったが、彼女にはとてもすてきな一晩の出来事となったのである。

 

 あくる日、彼女は朝のおなじみの客に昨晩の出来事を話した。客は言った。

「そんな夜更けに10人の客なんて・・・。それに皆がみな、身なりが立派な青年だったっていうんだろう、そりゃあんた、夢じゃなかったら幽霊だ」

 すると、またべつの客が言った。

「幽霊だったら、悪さもするだろう。まあ、人のいい幽霊だって、いるにちがいないだろうが・・・だいいち怖くなかったんだろう?」

 彼女はこくりとうなづいた。そして、仮に彼らが幽霊だったとしても、怖くもなんともないだろう、と思った。

そして今晩もあのひとたちは来てくれるのかしら、とさえ思うのだった。

 

 晩になっても彼女は遅くまで店を開けていた。ふだんならもう閉めようと思う時間だったが、あと少し、あと少し、といっているうちに、いつもより小一時間も長く、店のあかりをともしていたのである。ああ、やっぱり、今日は来ない、と思ったそのときだった。呼び鈴の音とともに、入り口が開いて、そこに10人の彼らがいた。彼らのひとりが言った。

「コーヒーを一杯、よろしいいですか・・・」

   彼女は疲れなど吹き飛んだように立ち上がると、本当に顔をくずすくらい幸せそうな顔になり、コーヒーを差し出した。彼らはその一杯のコーヒーを、昨日と同じように、みんなで回して飲むのだった。

「あら、きれいだわ」

 彼女は、ひとりの胸元にある、小さな赤が映えたネクタイピンを指して言った。そして他の人を見てみると、なんと10人全員が同じネクタイピンをしていたのである。

「これは木の枝でつくったネクタイピンです。赤いのは、ほら、木の実ですよ」

 そう言って見せてくれたが、彼女はそれが木で出来ているとはとうてい思えなかった。きょとんとしている彼女にむかって、ある少し色の白い客が言った。

「それはあなたのつくる椅子だって同じことです。あなたのつかった、このすべすべとした美しい椅子だって、もとは荒々しい木肌の大木だったと言っても他の人はなかなか想像できないでしょう、それと同じことです」

 そう言って、その客は、にっこりと笑いかけた。けれどもまた、その表情は、さびしそうでもあったのである。そのわずかに見せたかなしそうな表情を、彼女は見逃さなかった。ふと、彼女は、もしかしたら彼らは木の精霊ではないのかしら、と思ったのだった。わたしのつくった椅子たちのもととなる木の、精霊たちなのではないのかしら、とそう思ったのだった。

「おいおい、いらぬ心配をさせんでよろしい。おいしいコーヒーにすてきな椅子だ、それでいいじゃないか」と、彼らのうちのまたべつのひとりがさっきの少し色の白い仲間をたしなめてそう言った。そして彼女に向って、

「すばらしい晩でした。ありがとう。わたしたちはそろそろおいとましますよ・・・」と言うと、さあさあ、周りの仲間を大きな手で囲うように、帰り支度をするよう、うながした。そして、扉を閉めるときに、もう一度、彼女のほうを振り返って、「ほんとうにありがとう」と、しずかにやさしくそう言って、ふかぶかと頭を下げたのである。

 

 しばらくの日がたった。その間も彼女は遅くまで店を開け、例の客が来るのを待っていたが、結局、あのとき以来、彼らに会うことはなかった。そのかわり、べつのニュースが彼女の耳に入ってきた。ちかぢか、山に大きなトンネルが掘られ、町と町をむすぶ直接の交通ができるというニュースである。トンネルができれば、誰もわざわざ、このうねうねする山腹路を通って峠を越えるものもないだろう、そうすれば、このお店もやってはいけなくなる・・・・彼女はたいそうつらく思った。でもこれも時代の流れだ、仕方がないと、あきらめる他なかったのだ。常連の客たちは、口をそろえて、

「なあに、トンネルができても、ここのコーヒーが天下一品であることには変わりない、ここにある椅子だって、こんなぬくもりのある椅子になんか、他ではお目にかかれないぞ」と、励ましてくれたが、やがてトンネルが通ったら、この人たちもそうは言ってられなくなるだろう、けれども、そのことは責められないことだ、と彼女は思った。彼女は、今の彼らのやさしさを素直にありがたく受けとめようとした。

 トンネルの開通をねがう声はよほど多かったのだろう。工事はまたたく間に進んだ。そして気がつけば、町と町を、ひとつの大きくて長いトンネルが、山を突き抜いて通っていたのだった。白ばらにやってくる客はなくなった。今まで親しかった客のだれもかれもが、白ばらを去って行ってしまった。

 白ばらをいとなむ彼女は、山をおりることにしたのだった。それは仕方のないことなのだ。彼女が信じるところの、木の精霊たちが最後に訪れた晩から、彼女の椅子はひとつも増えてはなかった。彼女は、椅子を木の精霊たちのそばに残しておきたかった。彼女が白ばらを閉め、山をおりる日、彼女は自分のつくった椅子10脚ぜんぶを、店のわきの敷地に並べたのだった。

 

 彼女が白ばらを去ってしばらくたった、ある昼の明るい時分だった。しずかな足音をたてて、ある青年の団体が白ばらの前まで歩いてやってきた。彼らは一言もしゃべらず、店のわきに並べられた椅子を見るとそこに立ち止まった。おだやかな山あいの風があたりをまわっていた。彼らは椅子に向かってかるく目を閉じた後、ひとり、またひとりと、しずかにその椅子に腰かけた。10脚の椅子がちょうど埋まって、青年たちは顔をあげ、そこからのぞめる景色を眺めているようだった。顔にやさしくあたる風に、彼らの髪の毛はカサカサと音をたてて揺れていた。彼ら全員の胸には、赤い木の実のネクタイピンがあった。ネクタイピンの赤い実を手で触れながら、彼らは長い間、並べられた椅子にすわっていたのだった。やがて、ひとりが立ち上がった。そして赤い実のネクタイピンをはずすと、、それを白ばらの入り口に、そっと置いたのである。他の者たちもそれにならった。こうして、白ばらの扉の前には、10個のネクタイピンが並んだのだった。そして彼らは白ばらをしずかに立ち去ったのだ。10脚の椅子をそこに残したままで。

 

 トンネルが掘られた当時、白ばらの店のまえは、車の行き来もなくなったが、そのことすらも時の流れのなかにある。月日がたつと、数こそ少ないが、効率のよいトンネルを選ばずに、わざわざ遠回りの、この山腹路をドライブする人が出てきた。その途中にある白ばらも、今はすっかり朽ち果ててしまったけれど、わきにならべられた椅子だけは、いつまでもきれいに置かれてあるらしい。そして今では、その椅子に腰をおろして、山あいの景色を眺めようとやってくる若い恋人たちの、大切な、たいせつな場所になっているということだ。

 

 

                                                 (了)