岡山市にある土光敏夫先生記念苑にいってきました。岡山城の近くにあります。





土光敏夫先生記念苑とは、彫刻家淀井敏夫の彫刻「飛翔」を中心に、土光敏夫先生の業績を偲ぶために造営された公演です。

土光敏夫先生の業績を端的に言えば、経営難となった石川島重工業や東京芝浦電気(現東芝)などの社長を歴任し、次々と再建させたほか、第二次臨時行政調査会(土光臨調)会長となり、国鉄民営化や電電公社の民営化などを成功させた人物となります。

現地の案内板には次のようにあります。

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土光敏夫先生の生涯は、日々新たな精進の積み重ねである。
失敗を恐れず終生チャレンジ精神を持ち続け幾多の難関を打ち破ってこられた。
晩年に及び国の行政改革を担うや、日本の将来を思う強い決意をもって全力を尽され「社会は豊かに 個人は質素に 思想は高く 暮らしは低く」の信条を自ら実践された。
「メザシの土光さん」と親しまれた先生の質素な生活、率先垂範の行動は多くの人々に感動と勇気を与えた。
我が国の将来に新たな飛躍の礎を築かれた。
先生の御功績を、後世の人々に永く伝えるため、多くの人々の浄財により、先生ゆかりの地岡山に之を建立する。
平成3年11月吉日
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こちらは土光敏夫先生の肖像画が彫刻されています。

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土光敏夫
どこうとしお
(1896―1988)

経営者、財界人。岡山県御津(みつ)郡大野村(現、岡山市北区)に生まれる。1920年(大正9)東京高等工業学校(現、東京工業大学)機械科を卒業し、石川島造船所入社。1936年(昭和11)石川島芝浦タービン技術部長、1946年(昭和21)同社社長。1950年石川島重工業に社長として復帰、1960年石川島播磨(はりま)重工業(現IHI)社長、1964~1972年会長。1965年東京芝浦電気(現、東芝)の社長に就任し再建に努力、1972年会長となる。1968年経済団体連合会(現、日本経済団体連合会)副会長、1974年経団連第4代会長として「行動する経団連」を実践(名誉会長)。1981年第二次臨時行政調査会会長となり、行革問題に取り組むほか、橘学苑(たちばながくえん)(中・高校)理事長として女子教育に尽力。「簡素」「シンプル・ライフ」が信条。
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裏面には土光先生の「日新日日新」(日に新たに、日々に新たに」という文字があります。

これは中国古典『大学』にある言葉で、「昨日よりも今日、今日より明日と日々よくなるように行いを正していかなければならない」という意味です。

ちなみにフジサンケイグループが、昭和60年に始めた国内最高峰の弁論大会、「土光杯全日本学生弁論大会」は、土光先生が「行革の実行には若い力が必要」と呼びかけたことから始まっており、多くの保守派学生が参加することでも有名です。