仕事で天橋立近くにいく予定があったので、少し早めに出て、京都を探索してきました。

以前から行きたかった「耳塚」です。


$拳骨拓史の『眼横鼻直日記』


耳塚とは、文禄・慶長の役の朝鮮、明兵の戦死者の耳、鼻を弔った墓です。

拙著でも度々取り上げておりましたが、実際にいくのは初めてで、やっと写真が撮れました(*´∀`*)


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その後、豊臣秀吉をご祭神とする豊国神社へ。

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これで今年に入って、長浜、大阪、京都と三箇所の豊国神社を参拝することができました。

秀吉が好きな私にとっては、今年は良い一年です(*´∀`*)

有名な方広寺の鐘です。

$拳骨拓史の『眼横鼻直日記』

この鐘に刻まれた、「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家康を呪う言葉であるとの難癖をつけられたことで、大阪の陣が勃発。豊臣家は滅亡することになります。





豊臣秀吉のお墓である豊国廟に行こうとしますが、時間切れでいけませんでした(´;ω;`)

またの機会に行きたいと思います。

でも途中で佐藤継信・忠信の墓を発見。

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この地は写真でわかるように、源義経の武士であった佐藤継信・忠信の墓と伝えられる石塔がありますが、あくまで伝承であり実際とは異なるとのこと。

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佐藤継信

平安末期の武将。源義経の家人,元は藤原秀衡の従者。信夫庄司の元治の3男。三郎兵衛尉。『吾妻鏡』によれば,義経が挙兵した兄頼朝の下に参陣しようとした折,秀衡が継信,忠信兄弟を義経の従者として遣わしたと記されている。以後彼らは義経と共に各地で平氏と戦い,戦功をあげた。彼らの活躍については,『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しい。文治1(1185)年2月の屋島の戦において,義経をかばって戦死したと伝えられている。
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佐藤忠信

鎌倉時代初めの武士。陸奥国の信夫荘(現,福島市)司佐藤元治の子。継信(つぎのぶ)の弟。源義経の郎等となり,兄の継信とともに西日本各地を転戦し,1185年(文治1)には兵衛尉に任命された。同年源義経とともに吉野に逃れたが,山僧横川(よかわ)覚範の来襲のさいには義経の身代りとなり,ひとりのこって奮戦し,主人の危機を救った。その後は京都に潜伏していたが,86年9月糟屋有季に襲われ自殺した。
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その後、日本三景の一つ、天橋立へ。

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林羅山の三男である林鵞峰の著書、『日本国事跡考』で「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)とあったことから、日本三景が生まれました。


ちなみに林羅山こそが、先の「国家安康」「君臣豊楽」の難癖をつけた張本人。

自転車をレンタルし、天橋立を疾走します。

美しい海岸です。

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天橋立にある磯清水です。

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磯清水は日本名水百選に選出された名水であり、四方が海で囲まれているのに、水には塩気がないことから「長寿の霊泉」とされています。

さっそく水をすくって飲もうとしたとき!!!!!

「この水は飲料水ではありません」

の文字が(;゚Д゚)!

喉元3分の1を過ぎたあたりから、あわてて吐き出しました。。。(-_-;)

名水百選なのに、飲料水じゃないとは。。。。(-_-;)

飲めないなら、百選をアピールせず、「飲むな」と大きく書いてほしい(´;ω;`)

その近くにある橋立明神です。


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丹後守護一色氏の家臣で弓の木城主稲富直家(一夢)が鉄砲でやみ夜に鳥を射つけいこをした所だと言われています。

岩見重太郎 仇討ちの場

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剣豪として名高い岩見重太郎が、父の仇討ちをしたと伝えられています。
この地において、仇敵であった三人を討ち果たしました。
岩見重太郎は、薄田隼人と同一人とされ、豊臣家に従って大阪の陣で活躍しますが戦死したと言われています。


ロープウェイで登って、天橋立を一望。

ため息が出るような美しさです。。。

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上にはお寺がありますが、時間切れのため、天橋立を5分程度眺めて下山。


元伊勢籠神社にいきました。


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元々、天橋立はイザナギ大神がイザナミ大神のもとに通うための梯子が倒れて出来たと言われており、神話のふるさとでもあります。

伊勢市にある伊勢神宮は雄略天皇の時代に伊勢に遷ったものであり、それまではこの地にあったと言われています。


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この狛犬は、さきの岩見重太郎に前足を切られたという伝承があるそうで。

こうして終電がなくなってきた私は全力疾走で自転車をこいで帰宅した次第です。

$拳骨拓史の『眼横鼻直日記』


ちなみに自転車に久しぶりに乗っていたら、アタマのなかで、モダンチョキチョキズの「自転車に乗って」が何故か再生されてしまいました。。。懐かしい。。。。