藤田多美子女史の胸像、歌碑が建立されたことが『茨城新聞』に掲載されました。

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安全見守る「大空の女神」 胸像と歌碑、67年ぶり霞ケ浦で復活
藤田さんの遺志、再び

第二次大戦直前に空の安全を願って陸軍航空通信学校(水戸市住吉町)に建立された大空の女神・藤田多美子さん(故人)の胸像と歌碑が22日、土浦市右籾の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地にあらためて設置された。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に破壊されるのを恐れて近くの農家に隠された後、多美子さんの水戸市内の生家にひっそりと保管されていた。多美子さんの妹、増田芳江さん(91)が多美子さんの思い出を本にまとめたのをきっかけに同駐屯地に寄贈、再び隊員たちの空の安全を見守ることになった。

増田さんの著書によると、藤田さんは1940年11月、地元で飛行機の墜落事故を目撃した体験や当時の所沢陸軍飛行学校(埼玉県所沢市)に在学した親戚の話から、同世代の若者が事故などで犠牲になっていることを悲しみ、大空の安全を願い、22歳の若さで同通信学校の井戸に身を投じたという。

藤田さんは「大君の御楯となれる益荒男の 空の勇士にこの身捧げん」「大空に産声挙げし吉田原 この身捧げて守りまつらん」の二つの歌を遺書に残した。

胸像と二つの歌を刻んだ歌碑は41年11月、藤田さんの遺志をかなえるため、陸軍航空通信学校の敷地内に建てられ、「大空の女神」として祭られた。終戦後は難を逃れて生家で静かに保管され、67年間、日の目を見ることはなかった。

増田さんは2004年、「山桜の花影に-姉・多美子の追憶」(茨城新聞社刊)を自費出版。藤田さんの遺族や当時の水戸陸軍航空通信学校の関係者らが、藤田さんの遺志を今に生かそうと、県内で唯一、陸上自衛隊の航空科部隊の飛行場がある同駐屯地に寄贈した。

同駐屯地は、広報センター前の管制塔が見える玄関前に歌碑を設置。同センター2階に胸像を展示した。

多美子さんのおいで桜川市議、増田豊さん(61)は「霞ケ浦駐屯地ではヘリコプターパイロットの訓練も行っている。伯母の遺志を受け継ぐ意味で駐屯地に寄贈し、空の安全をいつまでも見守ってほしい」と話した。
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http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13535957172385

増田さんにも本当に喜んでいただいてよかったです。(*´∀`*)

ちなみに建立された昨日、増田さんのご息子が入籍されたということで、二重の意味でめでたい日となりました!

※息子様は、今年5月5日に崔三然韓国空軍元大佐と水戸市を訪れたときにお会いしております。
奥様になられる方は、初めて私が桜川市の増田さんを尋ねたとき、たまたま家に来られていてお会いしました。

お二人ともステキな方で、きっと良いご家庭をつくられることと思います(*´∀`*)


式典についてですが、主催は日本郷友連盟がおこなってくださいます。
私は組織を持っていないので、こういうときに困るのです(笑)が、寺島泰三元統幕議長に助けて頂きました。

「もう2度とない」式典になるので、最高のものに出来るよう、最後まで頑張りたいと思います。