愛国心なき兵法経営がなぜ存在しえないか?
ビジネスマンは戦後の敗戦によって、愛国心を愛社精神に置換して戦ってきた。
しかし先の北朝鮮に密売する企業の例にしても、愛社精神には叶っても愛国心なき経営は、いずれは縄目の恥を得るであろう。
しかしこの愛国心というのも、恐ろしい魔物である。ときにこれは正常の議論さえも封じるからだ。
聞いた話だが、あるジャーナリストの方が、国際政治の大家として名高い某保守派論客に「大統領選はオバマの勝ちですね」と言ったところ「貴様はいつからリベラルになったのだ!」と激怒されたという。
そうなって欲しいという願望が、人間の分析力さえ愚鈍にさせる事例だろうが、これに愛国心というフィルターが貼られるとなおタチが悪い。
日本で初めて銀行を創った渋谷栄一は、現在では愛国心ある経営者として異論を挟むものはいないだろうが、そんな彼が売国奴と呼ばれたことがあった。
日本に水道管をひこうとしたとき、技術が未熟であることを理由に日本製でなく海外製品を選定したからである。
渋谷は日本製を採用せず、とりあえず海外製品を使い、日本の技術向上の足がかりにしようと考えたのだが、「日本製を採用しない売国奴」として暗殺されかけたのである。
愛国心が必要だという議論は、余程の「変態」でなければ総論賛成だろう。
だが、何をもって愛国心と呼ぶかは、議論の別れるところだと思う。
例えばこんな例はどうだろうか?日本の防衛技術は先進国には及ばないから、海外製をドシドシ取り入れよう。こう話せば、「日本技術をなおざりにする国賊」と呼ばれるのではないか?しかし実際、現実問題として日本技術は先進国に比べて遅れている。本来の防衛の目的は「国民の生命及び財産」を守るものだから、生命財産を守れれば、国産の有無は関係ないはずだ。
しかし、愛国心は立場によって、これを是とし非とするだろう。
特に愛国心の議論になれば、よりナショナリズムの強い方が「勝つ」。事の正否以前の問題として。
それは時に、亡国、企業であれば破綻への道になるのだが、それは恐るべきことである。
しかし現在は、それを危惧するよりも、非愛国心の方が強い。かつて志方俊之先生が「今は右翼的な事を言っているが、日本が総右翼になれば、私はいつ左翼に転じるかわからんぞ」と私に話してくれたが、その心がけが大事なのだと思う。
ビジネスマンは戦後の敗戦によって、愛国心を愛社精神に置換して戦ってきた。
しかし先の北朝鮮に密売する企業の例にしても、愛社精神には叶っても愛国心なき経営は、いずれは縄目の恥を得るであろう。
しかしこの愛国心というのも、恐ろしい魔物である。ときにこれは正常の議論さえも封じるからだ。
聞いた話だが、あるジャーナリストの方が、国際政治の大家として名高い某保守派論客に「大統領選はオバマの勝ちですね」と言ったところ「貴様はいつからリベラルになったのだ!」と激怒されたという。
そうなって欲しいという願望が、人間の分析力さえ愚鈍にさせる事例だろうが、これに愛国心というフィルターが貼られるとなおタチが悪い。
日本で初めて銀行を創った渋谷栄一は、現在では愛国心ある経営者として異論を挟むものはいないだろうが、そんな彼が売国奴と呼ばれたことがあった。
日本に水道管をひこうとしたとき、技術が未熟であることを理由に日本製でなく海外製品を選定したからである。
渋谷は日本製を採用せず、とりあえず海外製品を使い、日本の技術向上の足がかりにしようと考えたのだが、「日本製を採用しない売国奴」として暗殺されかけたのである。
愛国心が必要だという議論は、余程の「変態」でなければ総論賛成だろう。
だが、何をもって愛国心と呼ぶかは、議論の別れるところだと思う。
例えばこんな例はどうだろうか?日本の防衛技術は先進国には及ばないから、海外製をドシドシ取り入れよう。こう話せば、「日本技術をなおざりにする国賊」と呼ばれるのではないか?しかし実際、現実問題として日本技術は先進国に比べて遅れている。本来の防衛の目的は「国民の生命及び財産」を守るものだから、生命財産を守れれば、国産の有無は関係ないはずだ。
しかし、愛国心は立場によって、これを是とし非とするだろう。
特に愛国心の議論になれば、よりナショナリズムの強い方が「勝つ」。事の正否以前の問題として。
それは時に、亡国、企業であれば破綻への道になるのだが、それは恐るべきことである。
しかし現在は、それを危惧するよりも、非愛国心の方が強い。かつて志方俊之先生が「今は右翼的な事を言っているが、日本が総右翼になれば、私はいつ左翼に転じるかわからんぞ」と私に話してくれたが、その心がけが大事なのだと思う。