「いや、逃げちゃえよ。ただし、その逃げるって選択に責任を持てよ」


別に僕は逃げた方がいいと思ってる。

どうしてもやりたくないこと、すごく逃げ出したいこと。

逃げたいけど、やりたいという選択をできるならそれでいい。

だけど、一般論的に「苦しいことの先に新しい世界がある」なんてこれっぽっちも信じてない。


なんか違うと思ったんでしょ?

これは自分向きじゃないと思ったんでしょ?

とりあえずやってみて、「これ違うな」って思ったんでしょ?

それならやめたっていいじゃん。


本当に好きなものって、「これ違うな」とか「向いてないな」って思わないでしょ。

一瞬でも思わせる時点で何かが違うわけ。

正確に言うと、飛び込むための準備ができていないわけ。


例えば僕はバドミントンをやってたんだけど、バドミントンが楽しいから苦しい練習もできる。

ゲロ吐くほど追い込まれたってやり続けることが出来る。

だけど、その覚悟ができてない状態だったら間違いなく逃げた方がいい。


まだその時じゃないから。

本当に自分がやる必要があると感じたら、もう苦しいとか関係なくなる。

だってやらなきゃいけないんだもの。

自分でやるって決めたんだもの。

どんなに苦しくても、つらいことがあっても、その先にあるゴールを目指すだけって思える。

これが初めて心の準備が出来ている状態。

巷にあふれている言葉で言うなら「100%自己責任」な状態。



「責任感」はいつだって自分にしか働かない。

僕は他人に対して責任を負うことはできないと思ってる。

究極的には全ては自分の選択に対して責任を持てるかどうか。


例えば、僕は最近職場でイヤなことがあった。

病院で働いているけど、患者さんから全くいわれのない拒否を受けた。

じゃあそれって誰の責任になるのか。

それは僕以外の何物でもないってこと。

担当の人の対応が悪かったのか、たまたま虫の居所が悪かったのか。それはわからない。

でも、この仕事、この職場を選択したのは間違いなく自分であるということ。

ならば、「この経験をした責任」は間違いなく僕自身にある。


他の誰のせいでもない。

色々な要因が重なって生まれた「結果」だとしても、それを受けるあなたはそれを「選択」したということ。

別に殺人事件の犯人とかを肯定するつもりはさらさらない。

責任は他人に対して持つものではなくて、自分に対して持つものだということを言いたいだけ。


まぁ偉そうに言ってるけど、僕だって常日頃からできてるわけじゃない。

イラッとすることだってあるし、理不尽だと思うことだってよくある。

だけどそうなったことを理解することで、次を考えることが出来る。

毎日ベースで進化できる。


他人から押し付けられたことに責任をとる必要はない。

積み上げられたタスクをやれないならやめればいい。

それが自分の選択として責任を持つのであれば、それでいい。

好き勝手すればいいじゃん。

僕はさっさと仕事を終わらせてなるべく定時で帰る。

そして自分のやりたいことをやる。

その方がずっと生産的だし、会社にとっても残業代ないからいいじゃん。


いつまでも残ってダラダラ同僚とくだらない会話をしてもいいし、

無駄に長時間仕事をして「仕事をした気」になってもいい。

そこに自分の選択の責任があれば、それでいい。


すべて自分の選択の責任。

ならば、あなたは何をしたい。

ここだけはちゃんと考えた方がいい。

その選択の結果はあなたの行動の中にしっかり根付いていくんだから。