2024年夏の災害への教訓 | Do More with Less

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メインタイトルは尊敬するCG創設者の故小林彰太郎さんの書から引用しました

今日は関東大震災に関連した防災の日?台風がまだチンタラ歩いている!だからこそ先日Xで連続ポストした内容を貼ります。なぜならこれこそが2024年に生きた我々の教訓だと思うからです。

 

要は現在の技術で予測出来ない事はあきらめて、もし事が起こったらどうするかの対策を立てましょう→地震

 

現在の技術である程度予測出来る事はそれを利用すればいいです→天気、特に台風とか

それはそうと、だったらそれをコントロールする技術開発はやるべきではないですか?

 

 

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私は人工的な気候操作には失敗や副作用のリスクが予測出来ないため基本反対なのだが、研究は進めるべきだと思っている。なぜか?
実は人類に限らずこの地球上でこれまでに何回も生物の栄枯盛衰がくり返されて来たのはご承知の通り。だったら(人類が傲慢になり過ぎたとしても)

 

今の気候変動が仮に人類の文明の負の側面だったとしても(もちろんこれに対する反論は有る)、それを受け入れた上でさらにそれを技術で解決する手段を取るべきだと思うのです。
実は人類以前の生物も自分達の利益のために他の生物を絶滅させたりした事は有るのです。
 

これについては本当は系統的な勉強をした方がいいのでしょうが、それこそ数年前にベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの本を読めば簡単にわかるはずです。
そういう視点で見たら例えば日本で直近で話題の米騒動なんてのがいい例でしょう。

 

今なぜか米が品薄だそうですが、同じ様な事は1993年にも有りました。例の平成の米騒動です。要は冷害(梅雨が長くて夏が無かった)のため米が不作で大変な事になった。
しかし日本人はそれを乗り越えました。冷害に強い品種を開発して実用化したのです。もはや北海道でも米が収穫出来るのです。

 

これをもし江戸時代の人がタイムスリップして来て見たら腰を抜かすでしょう。東南アジアの湿潤温暖な気候でしか育たない稲が北海道で収穫出来る!革命です。
いやその江戸時代にもその手の革命は有りましたよね。鹿児島のさつまいもとか。そういう技術革新を経て今の我々は生きているのです。

 

そういう植生の変化が気候に影響を及ぼした可能性は否定出来ないでしょう。だからこそそれによって被った可能性の有るマイナス面はとりあえず受け入れるべきだと思うのですね。
さらにそれを踏まえた上で、そんなマイナス面を払拭、出来ればプラスに変える技術開発は進めるべきだと思うのです。

 

陰謀論とかそういう事は抜きに、気候制御の技術開発はやるべき。いやむしろ国家としても全面に押し出してやった方がいいのではないですか。陰謀論を払拭するためにも。
逆に言うと見込みの無い地震予知の研究は、中止までしなくていいとしても大幅に予算を減らすべきです。それが2024年夏の教訓です。