社交ダンスは本当の自分を取り戻す場です | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

社交ダンスは芸術的スポーツと言われます。

舞踏の要素以上に対人的スポーツの特性を持っていて

踊るお相手により音楽により組み立てられたルーティンにより

様々な音楽表現を創り出す事が出来ます。

体格差技術差年齢差が有っても誰とでも楽しく踊れる様に進化

して来ました。

またその一方で芸術性を高める為様々な音楽表現が開発され

踊り手の運動表現もより豊かと成てきました。

 

社交ダンスは踊る環境により習っている先生によっても演じ方が

異なって例え同じフィガーを使いルーティンを組み立てても

踊り手の感情に因って様々な音楽表現を生み出す事が出来ます。

その為踊り手により千差万別の表現表情を創り出す事が出来

踊りの中でも秀でた自由性の有る誰もが一様に楽しむ事が出来る

素晴らしいダンスと言えるのです。

 

しかしながらそのような特性を持ちながらも実際の踊り手が

演ずる社交ダンスは極めて閉鎖的でただ習った踊り方や

ルーティンを繰り返し習得し再現するに留まっているのが

問題です。

確かに踊る曲によって多くのフィガーや運動表現が用意され

習った通り演ずる事で社交ダンスを楽しむ事も出来るのですが

その演技は先生や教える人の演技をただ踏襲するに留まり

踊り手の個性が反映される事は殆どありません。

 

運動表現のみならず表情すらもエキスパートが演ずる様を

真似ているに過ぎずどんなに上手に踊っていても踊る為の

技術や表現は素晴らしくとも踊り手の個性や思いが反映されて

いる事は少なく首を挿げ替えれば誰が踊っても不自然と

ならないのが現実です。

エキスパートが踊るような音楽表現では無く初めて社交ダンスを

習った方々が最初にぶつかる壁が自らの感情や思いを封印され

踊る為の技術や表現をそのまま覚えさせられる事です。

 

普段思ってもいない様な運動表現や作った事の無いような表情は

楽しさと言うよりストレスを生む事と成り社交ダンスの楽しさ

と言うより難しさが先行し習う前とは異なった願ってもいない

状況を突き付けられるのが現状です。

一体社交ダンスの本来の楽しさはどこに行ったのか踊る事を

諦めた多くの方々の原因は自分の心が自由に羽ばたけない

レッスンの内容にある事も事実と言えます。

 

多くの知識を身に付け運動能力を育てれば思い通りの楽しい

社交ダンスが踊れると言う夢はいつの間にかに打ち砕かれ

ただ何とか楽しく上手に踊りたいと我慢しながら練習して

いる方が目立つのも気になります。

社交ダンスが芸術であると言う意味は単に美しさや華やかさが

求められると言うのではなく私達の心が自由に感情を表す事が

出来ると言う事です。

一人一人が持つ唯一無二の心の様が社交ダンスと言う音楽表現で

踊りと言う自由な世界で羽ばたける事が大切です。

踊る為のフィガーやテクニックは心を開放しより豊かな生活を

生み出す為の道具として使われるのです。

 

如何に持っている技術や運動表現で自分の思いを表現す事が

出来るかと言う事が一番重要です。

私達の生きる世界は多くの規制や軋轢によって自由さを失って

いる事が多く誰もが生きる事に苦しみを覚え自分の未来を

描けなく成りがちです。

しかし芸術の世界は自分を取り巻くあらゆる拘束や壁から

解放してくれる術を持っているのです。

 

多くの踊り手が与えられた踊る為のアイテムを身に付ける事が

社交ダンスを楽しく踊る事と思っています。

しかし自分の心と身体が解放され自分の思いが踊りに成る事が

社交ダンスの醍醐味であり最高の喜びを得る方法と言えます。

どんなに練習してもキャリアが有っても自分自身の心を閉ざし

記憶の再現では余りにも寂しいと言えます。

 

思い通りならない世界にいて社交ダンスは数少ない自らの心を

解放し思うが儘に踊る事が出来る素晴らしい芸術なのです。

ねばならないと言う考えが付きまとう踊りでは外見ばかりを

取り繕い本当に満足できる踊りは踊れません。

貴方の心は貴方にしか本当に幸せには出来ません。

自分の心と身体を育てる事があらゆる日常に於いてもちろん

社交ダンスを心から楽しむためにも必要と言えます。