素晴らしい踊り手のパフォーマンスを見ていると
音楽表現の豊かさや力強いスピーディな運動表現に
自分とは別人の特殊な身体の持ち主なのではと
思われる方は少なく無いかも知れませんが
どれ程かけ離れた存在に思えても私達人間は
身体の構造や運動の繫がりは殆ど変わりません。
だからこそ技術の差は大きくとも様々なタイプの方が
社交ダンスを楽しむ事が出来るのです。
大きな違いは使われる運動機能が十分繋がりを持って
思い通り音楽表現が出来る筋力とセンスが有るだけです。
その為出来るだけ理想とする踊りを目指して誰しも
日々練習を重ねているのですが見ている人に感動を
与える程のパフォーマンスが出来る様に成る踊り手は
ほんのわずかで有り多くの方々が思い通りにならない
身体にムチ打って頑張っているのが現状です。
確かに元々筋力が無かったり運動機能が優れない方も
いると思いますがそれでも練習を重ねるにつれて
次第に望む様な運動表現が出来る様になって来ます。
しかしながら自分が求めている踊りが練習を重ねても
中々思い通り実現する事は難しくただ自分の能力の
至らなさや踊れる人達に対する少なからず生まれて来る
ジェラシーに卑屈と成ってしまう事も有ります。
私達の身体は筋肉に刺激を与える事に因り誰しも様々な
運動能力が育って来るものなのですが同じ様なフィガーや
ルーティンを踊っていてもその出来栄えは個人差が大きく
多くの場合練習を重ねるにつれて心の負担と成って来る事も
少なくありません。
頑張っただけ思い通りの成果を得られれば良いのですが
その多くの場合喜びを感じる以上に更なる壁が立ち塞がり
山に登っている様にその道は厳しくなって行きます。
とは言え出来るだけ少ない労力で思い通りの踊りを演じたい
と思うのが人の常とも言えます。
その点を考えるならば社交ダンスは誰しも持っている共通の
運動機能を使って楽しめる様に出来ているのですから
練習を重ねれば思いはどんどん達成されて行くものなのです。
では何故頑張って練習しているのに中々思い通りの踊りが
出来ないのでしょう。
身体に元々のハンディが有ったり運動機能自体が衰えていたり
何かの病で上手く身体が動かない場合でなければ自分自身の
身体が如何に日常生活やスポーツをする時動いているかの
基礎的な知識が余りにも無さすぎる方が多いです。
テキストに載っている様な知識やレッスンで教えられた様な
踊り方の知識は多く持っていてもその知識が自分の身体で
如何に生まれるかに付いての理解が殆ど有りません。
その結果記憶と見た様な運動表現で無理やり身体の各部分を
動かしているのが現状と成っているのです。
社交ダンスは芸術的な音楽表現を求めたりスポーツ的な
ダイナミックさやパフォーマンスを目指さなくて音楽を
ペアとして楽しむ分には普段の生活をしている様に
自分以外の音楽とお相手そして環境に反応して反射的に
踊る事がとても大切です。
外見的な美しさや運動表現を求めて演ずるので無ければ
お相手とお話をする様に自然に自由に踊れる事が重要です。
目の前の方との楽しい時間を過ごす為におしゃべりや食事を
する事と同じくフィガーや運動表現が反射的に使えて初めて
社交ダンスと成るのです。
なにも難しいフィガーやルーティンを演ずるばかりが
社交ダンスではなく如何なる音楽表現をしていても
互いに心から幸せな気持ちになる事がとても大切です。
プロや競技選手が踊る煌びやかな音楽表現が出来る事が
社交ダンスでは有りません。お互いに踊る事が心と身体の
負担にならない様踊る事で豊かな幸せな気持ちになる事が
一番重要と言えるのです。
オリンピック選手の身体も私達の身体も同じ組織で出来ていて
基本的な運動機能は同じなのです。
ただ能力を最大限目的のパフォーマンスを演ずる為に
トレーニングを積み外見的に美しく感動を与えるまでに
到達したのです。
大切な事は今の自分の身体が如何に動き如何に社交ダンスを
美しく演じるかの基本的な運動機能を学ぶ事であり
自分の身体が無理なく反射的に動ける事で思うような演技が
生み出され納得できる結果を得られるのです。
ただ常に頭に置かなければならない事は社交ダンスの演技は
ペアとして二人の運動機能が繋がり合って生み出されます。
どちらかの一方的な考えで演じられる事は苦痛は生まれても
快感は得られません。
自分を知るだけでなくそれ以上にお相手の心と身体を感じる
気持がとても大切です。