近年ますます社交ダンスがエンターテインメント化し
衣装や外見だけでなく踊り手が華やかさを増しています。
エキスパートの踊る美しく迫力の有る運動表現は
観る人の心を魅了しより一層社交ダンスへの憧れを
抱かせます。誰しもその魅力ある踊り手の姿に
少しでも近づける様にと日々練習に励んでいると
思われます。
例えまだ経験が浅くあまり知識の無い方であっても
周囲のベテランや習っている先生に憧れて夢を抱いて
踊っている方も多いでしょう。
あのように美しく踊れたらさぞや楽しく気持ち良いと
思う方もいると思われますが笑顔で踊る踊り手達の全てが
観た様な幸せな思いで踊っているとは言えません。
もちろんダンスとしての見た目の美しさや楽しさを
演じている事も有るのですが外見とは裏腹の見た目程
楽しさを感じていないベテランや上級者も多いのです。
例えプロであってもフロアーから控室に戻ってくると
その笑顔は一変して鬼の様な形相に成ったりお互いに
お相手をなじったりしている場合も目に付きます。
確かに良い成績を得るために切磋琢磨をして頑張って
練習を重ねて来たのですから思い通り踊れなければ
そのうっぷんをお相手にぶつけたくなるのも解ります。
しかしながら直接言い合っているのであるのならとも角
踊り終わるとお互いに氷の様な表情と成る事も有って
社交ダンスを心から楽しんで踊ってはいない事が
見て取れます。
踊っていないときにお互いの思いの丈を口にするのは
良いとしても実際に踊っているとき心にわだかまりや
不信感が有ってはペアとしての上達は望めません。
社交ダンスの表現は音楽を男女其々が如何に感じて
その素晴らしさを表現しているかと言うものですが
その気持ちは例え10年ペアを組んで踊っていても
違うものです。
ただペアとして技術や運動表現をもって一つの踊りに
創り上げている事が多いのです。
問題は互いに求めるものが同じで自分が望むように
お相手が踊るものと思っている事です。
同じフィガーや運動表現をしているのですから
当然同じ価値観を持って音楽表現をするものと思って
演じている事です。
この事は男女共に信じて疑わない踊り手が多くて
長く踊っていればいる程常に思いは通じ合っていると
思い込んでいます。
しかしながらお互いの気持ちが寄り添って互いが認める
共通の踊りを続けていると必ずや心の中の本心が次第に
頭をもたげて来ていつの日か全く歩み寄れない様に
成ってしまう事が少なく無いのです。
美しく踊る社交ダンスのペアを見ると二人が一心同体
の様に理想的な音楽表現をしている様に思う方が多いかも
知れませんがその見ている踊りがお互いの違った思いを
十分に理解して個性を生かす様にして作られた踊りである
と言う事がとても大切です。
技術的にお互いの妥当点を見つけて踊っていては二人の
個性はいずれ死んでしまいどんなに頑張って踊ったとしても
魅力ある踊り手に成る事は出来ません。
社交ダンスは誰とでも楽しく踊れる為に様々なフィガーや
運動表現が生まれて来たのです。
お相手に応じた最良のフィガーを選択しお互いを楽しませ
自らも踊る楽しさを満喫しながら踊る事が重要です。
この事は初めて踊る方と如何に踊ったら良いかの答えと
成ります。お相手の心と身体を感じる習慣を身に付けながら
音楽表現を学ぶ事が社交ダンスを本当に上手に踊れる秘訣
とも言えるのです。
その為常に新しいフィガーや運動表現を求めその順番を記憶し
間違いない様に踊る事は例え見たように踊れたとしても
ペアとしての繫がりの有る踊りにはならないだけでなく
二人の心と身体の成長は失われてしまいます。
踊ってみると技術も運動表現も素晴らしく完璧に踊れるのに
コンタクト面から伝わって来る感覚が氷の様に冷たく
自分の踊りだけに専念している全く楽しくない踊り手もいて
本人は上手に踊っていると思っているのでしょうけど
暖かい心が感じられない事は本人にとっても不幸と言えます。
この事は教える立場の方にも言える事で技術や運動能力は
素晴らしいのですが音楽を演じてなくてお相手を無視して
自分の運動表現に気持ちを向けている方も見かけます。
社交ダンスは高度な技術を身に付け目を見張る運動表現を
演ずる事が目的ではなく如何なるフィガーやルーティンを
使ったとしてもお互いに幸せな気持ちで踊れる事が重要です。
社交ダンスの技術を取ったら人間として何も残らない様では
踊っている意味が有りません。
社交ダンスは技術や運動表現を増す以上に人間としての
心の温かさ優しさを身に着け踊るお相手を幸せな気持ちに
する事が出来る様に精進する事が非常に大切です。