未知なる自分の力を目指して | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

私達は自分の事は自分が一番知っていると思いがちですが

一番わかっていないのが自分である事も事実と言えます。

特に目先の事や考え方に囚われ易く更には自分の持っている

知識や経験に左右されやすく本当に適切な判断や行動を取れず

常に失敗のリスクを負っているのも人間の特徴と言えます。

その為日頃から自らを律し多くの事を学ぶ事でより成功への

道を辿りたいと考えるのですが一生懸命学び頑張っていても

その判断は本当に正しいとは言えないのが現実です。

最良の考えと思っても思いがけない失敗をしてしまったり

長きに渡って準備をしていても一瞬して敗北を記してしまい

落胆の思いに後悔を募らせる事も有ります。

 

これ程までにも中々思い通りにならないのが人生と言えますが

そもそも自分の考える様に進めると思うこと自体が間違いで有り

自分の判断が最良と考える事事態がナンセンスなのです。

生きて行く為の道は一つではないだけでなく日々の判断も

自分以外の人が考えれば数知れず有るものでありそれこそ

考え方は人の数ほどあると言って良いのです。

何事に於いても自分の考えや過去の経験に固執する事は

楽しい人生を送る上であまり良い結果を生まないのです。

 

社交ダンスを踊る時も例え多くの知識を持っていたとしても

実際に踊る時は判断の材料とはなってもその時踊っている

お相手の踊りに最適の運動表現とはならないのです。

どの様に踊るかの最終判断は自分自身の身体がやってくれる

と考える方が良い結果を生む事が多いのです。

しっかりと五感で自分以外の状況を感じ取りどの様に演じたい

かのイメージをしっかりと描く事で十分と言えるのです。

 

私達の身体はどんなに努力をして機能を増し知能を高めた

としても残念ながらほんの一部の能力を発揮しただけで有り

潜在能力の微々たるものを使ったに過ぎないのです。

例え人々をリードする時の人と成ったとしてもその能力は

持っている力のほんのわずかな部分なのです。

それ故人類は常に進化し続けると考えられるのです。

全ての能力を出し尽くす事は人類がこの世に存在している

間にはまず不可能と言えるのです。

 

これ程にも驚くべきポテンシャルを誰もが持っているのです。

この無限の能力をほんの一部でも引き出せたら誰もが一目を

於かれる存在に成れるのです。

社交ダンスでエキスパートが演ずる素晴らしい音楽表現も

人々が持っているほんの一部の能力に過ぎません。

社交ダンスを知っている人から見れば凄いパフォーマンス

であっても興味の無い人知らない人からすれば気にも留めない

踊れない方々と同じレベルと言えるのです。

 

しかしながら何故その力を発揮できないのか、それは力の存在を

信じていないだけでなくその力を発揮する自分自身を信じて

いないからなのです。

更には直ぐに発揮できる事では無く一生かかってしまう事も有り

その結果諦めない事が求められるのです。

何時その能力が発揮されるかは誰にも判らないからです。

先ず自分を信じない人にはその力は生まれて来ません。

また自分以外の人や物に対して素直な意識を持てない方も

その力を得る事は出来ないのです。

全く想像もしない能力は自分のそれまで持っている様々な知識や

考え方では解らないのが普通であり科学でも解明できない

未知の分野で有るからこそ誰もが得られる可能性が有るのです。