エキスパートの踊りを真似るのではなく、自分の身体を知る事 | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

日本には毎年多くのコーチャーが訪れ、ネットを覗けば

世界中のエキスパートのパフォーマンスやレクチャーが

見られます。居ながらにして最高の踊りを見る事が出来、

誰もが超一流の踊り手達の妙技に触れる事が出来ます。

その為、自分が好む憧れの踊り手の所作を真似る事も

容易と成り、多くの踊り手が目を見張るような華やかな

踊りを演ずるように成りました。

デモンストレーションを見ても競技会を見ても、テクニック

のみならずそのパフォーマンスは目を見張る程です。

 

しかしながら、そんな踊り手達を見ても心から感動する事が

出来ないのは私だけでしょうか。

どのペアを見てもとても華やかであり美しいのですが、

目のまえを通り過ぎるともうその記憶は有りません。

まるでディズニーランドのエレクトリカルパレードを見ている

かの様に思えてしまいます。

着ぐるみの中にいる人達の表情は見えず、単なるキャラクター

の立ち振る舞いだけが目に付きます。

 

世界チャンピオンや世界のエキスパートを頂点とした踊りを

そのままコピーする時代はもう過去の事です。

戦後日本が高度成長期を迎えた頃、生活の全てを先進国の

代表であるアメリカを真似る事がステータスでした。

もちろん社交ダンスも同じく、チャンピオンが変われば、

あっと言う間に武道館の踊りは全てチャンピオンの真似に

成っていました。

 

社交ダンスは、単に誰かエキスパートのコピーをしているだけでは

何の意味もなく、誰とでも踊れると言う社交ダンスでは無く成って

単なる申し合わせの踊りと成ってしまいます。

どんなに上手で有っても、自分の記憶した踊りをお相手に強要

する様では社交ダンスとは言えないのです。

例え同じルーティンを踊っているとしても、ペアとして千差万別の

音楽表現に成る事が大切です。

社交ダンスの音楽表現は男女の心が互いを理解し合い生み出す

オリジナルの踊りと成る事が基本です。

 

現代は戦後社会と違って人々の生活も心も成熟しているのです。

誰しも個性を大切に個人の心と身体を育てる社会と言えるのです。

世代の違い男女の違い人種の違いは其々のオリジナルの価値

をもって社会的に求められる様に成って来たのです。

様々な個性の違いがより豊かな人間性を育てるのです。

外見的な美しさだけを競う社交ダンスは過去の物と言えるのです。

誰もが自らの心と身体を表現する為に踊る事が大切です。

お相手が代われば自分の運動表現も当然変わって来るのが

社交ダンスの大切な技術で有り基本でも有るのです。

 

オリンピックも、記録のみを前面に押し出していた時代から、

選手のみならず関わる多くの人々の人間としての魅力を

前面に強く押し出す祭典に進化して来ました。

素晴らしい記録素晴らしいパフォーマンスを生み出した

人間の生き様をオリンピックの魅力とした事に因り

世界の人々は更なる感動を得る事が出来るように成ったのです。

 

社交ダンスは、特別な人だけでなく誰でも楽しく踊れる事で

本当の魅力が生れるのです。

踊るお相手音楽によってペアとしての魅力が様々に変化する

のです。

自分とは異なった個性と関わる事で自らの心と身体がより豊かに

成長する事が出来るのです

 

より豊かな音楽表現をする為に目を見張る音楽表現や

魅力的なルーティンがあるかもしれませんが、それ以上に

二人の人間としての魅力が感じられる踊りと成る事が大切です。

例え思い通り踊れなくとも、互いにお相手の気持ちを察しながら

ペアとして最も魅力的な踊りを目指す事は、いつまで経っても

色褪せる事ない魅力的な踊りを生む原動力と成って行くのです。

 

母の体調異変に因り帰省する事が多く成りました。

東京に居られる日が少なく成り、連日ブログを書く事が

出来ません。

不定期な記載と成っていますが、帰京した時は出来るだけ

キーを叩きたいと思っています。

せっかく覗いて下さっても不掲載かも知れません。

ご迷惑をお掛けますが、よろしくお願い致します。