父が亡くなった後高齢の母をケアする為に定期的に
田舎に帰省する生活が続いています。
体力だけでなく気力も次第に衰えて行く母の姿に
いずれ訪れる我が身の未来に不安だけでなく
言いようのない寂しさを感じさせられます。
殆どの自由が奪われて誰かの助けなしには生きては
行けない苦しみは想像を絶するものと思われますが
残り少ない日々を感じながらも生きる事への執念は
計り知れないものです。
所で都会に比べ何も無いと思われる田舎生活は
不便な事も多いものの生きて行く為の様々な術を
与えてくれます。
何でも手に入る刺激的な都会とは違って、ゆっくり流れる
時間と共にいつもそこに在る豊かな自然に心が和み
いつの間にか自らがケアされているのを感じます。
常に周囲を気遣いメディアに注目して極めて流動的な
日常生活に必至にしがみついている様な慌ただしい
都会のルーティンがぽろぽろと剥がれ落ちて行く様で
かつて自分が包まれ育っていた豊かな自然をもう一度
思い出させてくれます。
都会には便利な生活と道具が溢れていますが、
田舎には自分自身を見つめ直し日常から解放してくれる
昔からある大自然の営みが優しいです。
本来は自然の中で互いに心を触れ合って生きて行く事が
幸せなのですが、いつの間にかに本当に自分が欲する
ものから人々が求める物へ価値観が移ってしまい、
常に欲求不満を抱える日々を送る事と成っています。
社交ダンスは本来男女の思いをステップやテクニックを
使って表現するものであったはずですが、外見的な
豊かさを求めるあまり、本心では無い表現や表情を
演じる事を競う様に成っている事が多いです。
エキスパートが演ずる姿をそのまま身に付ける事が、
社交ダンスを楽しく踊る方法と信じる事で自らの
自由で感動的な運動表現を見失ってしまうのです。
本来私達の行動は外見的な刺激に対し反射的に自らの心と
身体が躍動して生まれるもののはずですが、いつの間にかに
行動言動が前もって準備されているものと成ってしまう事で
常に心から楽しめず、ステップやテクニックを身に付けようも
不満な気持ちから逃れられないのです。
確かに多くのステップやテクニックを覚える事は社交ダンスを
踊る上で大切と言えますが、それらの説明をするのが目的と
言うのではなく、それらを使って自分達の思いを表す事が
一番大切なのです。
歌の世界でも踊りの世界でも素敵な歌詞やステップを使い
自らの心を表現する事が求められます。
同じ歌を歌ってもその人の心が表れると同じ歌詞で有っても
全く違った感動を呼ぶものです。
今や様々なステップやテクニックが自由に手に入れられる
一昔前から比べると夢の様な時代です。
それらを使って如何に自分の思いを託す事が出来るか、
大切な事は完璧な記憶ではなく、どれだけ豊かな感情を抱き
思いを表現出来るかです。
例えコロナで行動が制限されようと心まで止める事
出来ません。
躍動感のある豊かな感情を育てる事が身に付けた
ステップやテクニックを本当に生かす事と成るのです。