社交ダンスは本来其々の踊りを単独で強調したり、どちらかが
お相手に従って踊る踊りでは有りません。
女子がより美しく豊かな表現が出来るように男子がエスコート
しながらペアとしての美しさを表現する事を目的として作られて
来ました。
音楽の楽しさ華やかさをより豊かに演出するために女子が美しい
デザインと彩を持った衣装を身に付け、更にはスカート等円形裁断
により大きく豊かに演ずるようになっただけでなく、ステップや様々な
テクニックもそれに準じて発展してきました。
所がこの美しく踊る為の社交ダンスの技術が日本に入って来て
全く様相を異にしてしまったのです。
戦後社交ダンスは海外の娯楽を羨望の眼差しで見ていた日本人に
瞬く間に広まりました。
サラリーマンや若者達、更には主婦たちの憩いの場がホールで有り
ダンス教習所と成ったのです。
今では後期高齢者と成った多くの日本人の中には、仕事帰りや
楽しいレジャーの1つとして足しげく通った方も多いのです。
戦後の日本社会に社交ダンスが入ってきた途端、多くの日本人は
男子がリーダーで踊りを創り上げ女子がそれに従うと言う、当時の
日本社会の形にあっと言う間に虜に成ってしまいました。
しかしながら、この踊る為の男女の立場や踊り方が日本流に作られ
ただステップやテクニックをそのまま深く理解しないでテキスト通り
受け入れた所から踊り手達の苦労が始まったのです。
そもそも女子を中心に発展して来た社交ダンスが、男子中心に
置き代えられた事で、楽しく踊れるはずの多くのステップや
運動表現がとても難しく、覚えるだけで精一杯の状態となって
しまったのです。
男子は自分が思う様に女子を動かせることで満足できるかも
知れませんが、女子が踊りの中心であり回転の中心を演ずるように
作られている社交ダンスが男子が中心に成った事でいかに難しく
表現し辛く成ったか、女子の立場に成ると良く解ります。
どれ程大変かは、男子の方が高いヒールを履いて踊ってみれば
解ります。
ただ習った通りに間違わない様にステップを踏んだとしても、
それは最早足先だけのテクニックで有り、音楽やお相手を感じて
互いに創り上げる踊りでは有りません。
多くの踊り手が自分の事しか考えられないでコンタクト面を固め
上体の形が崩れない様に踊らざるを得ない理由がここに在ります。
社交ダンスは男女の立場がしっかりと理解できると、とても易しく
誰とでも踊れる様に作られています。
例え競技選手と成って素晴らしい成績を得られたペアであっても
他の人と踊るととても踊り辛く、お相手した方は、上手な方と
踊ったと言う満足感はあったとしても、本当に社交ダンスを自由に
楽しんで踊れたかと言えば否です。
社交ダンスは男女の足形や運動表現を習っても上手に楽しくは
踊れません。コンタクトして踊る限り、互いの役割をしっかりと
理解しなければコンタクト面は変形したり崩れてしまったりして
外見的に形を維持する事に勤めながら踊らなければ成りません。
社交ダンスは世界中の誰とで楽しく踊れるはずなのですが、
自分のパートナーや特定の人達としか踊れない日本人が
実に多いのが残念です。
社交ダンスを習うと言う事は、足形とルーティンを覚え
間違い無いように再現する事では有りません。
男女がとても気持ち良くコンタクト出来お互いの心と身体を
感じながら最高の一時を過ごす事が出来るのが、本当に
社交ダンスを楽しく踊れたと言う事になります。
何十年も踊っていてもいまだ男女が別々の踊りをしていたり
決められたステップやルーティンが無いと踊れない方が
とても多いです。思うが儘に楽しく踊る事は、難しいステップや
テクニックを覚える事では有りません。
誰もが持つ共通の運動機能を知って、如何に男女が繋がり
互いの運動を助け合って演ずるかを知る事が大切です。
当然誰にでもある機能なのですから、社交ダンスは本当に
楽しくて易しい踊りと言えるのです。