私たち日本人は、対人的なやり取りに対して非常に敏感で有り
特に接触をする事に関しては異常な程に神経を尖らせる事も多く
触れる前に互いに思いを察し、接触する事無く相手の気持ちを
感じようとする傾向が有ります。
その為、日本人の心と身体の成長は、互いに触れ合うと言うより
如何に触れ合わない事で相手の気持ちを察するかが求められます。
この事は、直接にお相手の身体に触れると言うだけでなく、相手の
気持ちに自分の思いが如何に影響を与えるかまで推測し、前もって
トラブルを避けるかどうかが大人の対応として考えられています。
表向きは無表情で有っても、周囲の人に対する配慮は怠らず
直接の接触以上に、自分の行動や言動が如何に周囲の人に
影響を与えるかを常に量っているのが現状です。
欧米人から見ると感情がはっきりしないミステリアスな笑みは、
時に不信感を呼び、日本人への信頼を損なう原因とも成っ
来ました。
とは言え、最近はそんなメンタルなやり取りも失われてしまい
むしろ自分の思いや行動を一方的に主張して様々なトラブルや
ハラスメントを起こしている事の方が多いとも言えます。
この日本人特有の対人センスは、踊る時にも様々な問題を
生み出し、欧米人と同じようなホールドを取って踊っている
とは言え、実際のやり取りはやはり大きく違っている事が多いです。
日本人は普段からハグやキスと言ったボディの触れ合いが殆ど無く
相手の思いを察するコンタクトが、触れているにもかかわらず
接触面を通して互いの意思の疎通に深くかかわるまでは
行きません。
触れているにもかかわらず、伝わって来るお相手の思いや気持ちを
受けられず、自分の頭の中でお相手の運動を想像し踊る事から、
コンタクトして踊る事がかえって互いのトラブルを生んでしまう事も
多いのです。
欧米人のコンタクトの役割は、お相手に対するセンサーで有り、
自分とは違う心と身体を常に感じ、最も適切な運動表現を
生み出す事を目的としています。
技術が優れたベテランの踊り手であっても、テクニックとしての
ホールドは美しいのですが、現実で求めるやり取りや表現とは
程遠い場合が少なく有りません。
つまり、日本人の踊りは、素晴らしい音楽表現を行っていても、
その中身は、長年培われた知識と表現を披露しているに
すぎない事が多いのです。
その為、その時の本当の気持ちが伝わって来る事が無く、
持っている技術や運動表現のハウツーが感じられるだけです。
欧米人と踊った時、最も日本人の踊り手と違って感じる事は、
技術の有る無しに関わらず、その人の心と身体が直接伝わって来る
と言う事とコンタクト面を通して深くその時の思いが浸透して来るのを
感じられる事です。
その為、初めて踊ったお相手であっても、何年も一緒に踊っている
かの様な親近感を覚える事も少なく有りません。
日本人の一緒に長く連れ添ったり恋人同士で互いの気持ちを深く
理解し合っている時のコンタクトの様に、互いに相手の心に自分の
思いが素直に入って行くのです。
やはりこの事は、文化の違いと言ってしまえばそれまでかも
知れません。
しかし、踊る時やスポーツを行う時はとても大切なセンスで有り、
男女の思いが一体となって演ずる社交ダンスはとても重要であり
より豊かな表現を身に付ける為には必要な事と言えます。
深い気持ちのやり取りは余程親しく成っていなければ出来ないものと
考える日本人が多いですが、相手の心と身体を認め自らの気持ちを
素直にコンタクトを通じて表すと、お相手の思いが深く感じられ
互いに抱き合う楽しさ快さが感じられるものです。
触れる事無くお相手の気持ちを察する日本人の優れたセンスは
世界でも特筆される物とは言えますが、触れる事で感じる思いは
頭の中で想像するよりも遥かにエキサイティングで楽しいものです。
社交ダンスはテクニックを表現する事も大切ですが、自分達の思いを
感じるがままに表す事も大切です。
コンタクトして得られる素晴らしい思いは、社交ダンスを踊っている
二人に与えられる無上の快感とも言えるのです。
見た目の美しさ以上に二人の間を流れる豊かな人間愛を感じ
より素晴らしい音楽表現を目指す事はとても大切と言えるのです。