ステップやボディ表現を通じペアとしての豊かな人間性を示す | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

進化し続ける社交ダンスの音楽表現は、その華やかさ故に

如何に外見的に美しく格好良く踊るかに注目しがちです。

ステップの種類もさることながら、無限とも思える音楽表現が

常に人々の関心を集め、どれだけ外見的に華やかで美しく

演じられるかが踊り手達の目標と成ります。

 

更に競技会などでその外見を比較される事に因り、見た目の

優劣が踊り手の評価とも成り、社交ダンスの踊り手の価値は

評価ポイントとして決められる傾向が有ります。

感動的な音楽表現を見せられると、その外見と踊り手の

人としての価値や魅力がリンクし、より高い評価を受ける事で

社会的にも認められる為、多くの踊り手は挙って競い合います。

 

この事は日本における社会構造とよく似ていて、経済的に豊かに

そして社会的地位を得る事が出来れば、人としての価値を認められ

るとする風潮と同じくするものと言えます。

しかしながら、社交ダンスも日本社会も、誰からも認められる地位や

名誉、財産を得た人達が全て人間的に素晴らしい価値を持って

いるかと言えばそうとも言えず、得てして想像とは裏腹の方も

多く見受けられます。

 

社交ダンスを美しく踊る方々、そして素晴らしい経歴を持った方々

全てが社交ダンスを正しく学び多くの人々に喜びを与えて来たか

と言えないのが問題です。

自分が演ずる事の満足がお相手や見ている人達を本当に喜ばせ

満足させてきたかと言えば、残念な方も少なく有りません。

 

他の習い事や踊りではそれ程自分に関わる人達の事は構わないで

良いのかもしれませんが、社交ダンスの本来の目的は、踊る事で

目の前のお相手や見ている人達を幸せにする事です。

マナーの一環として人々の人間教育や自己啓発の育成に使われ

将来的により豊かな人間性を育て人として価値のある社会人を

目指すのが目的でもあるのです。

 

その過程で競技ダンスやデモンストレーションダンスなどが有り

それらの踊りもその根本には人としての豊かな人間性がある事が

求められるのです。

例え格闘技で有っても互いの健闘を称え戦う事で人間としての

成長が望まれる今、社交ダンスは、その人との関わり合いの意味を

最も問われるスポーツ的芸術なのです。

 

様々なタイプの方と踊る事で、人によって考えが全く違っていたり

世代によって運動機能が全く異なっている事を知る事に依って

他人に対する思いやりを育てる事が出来るのです。

社交ダンスは、如何に目の前の方を喜ばせる事が出来るか

と言う命題が意味する重要性を考える必要が有ります。

 

どんなに上手に踊れても、自分が思い通りに踊れるお相手としか

踊る事が出来なかったり、上手く自分にフォロー出来ない方を

卑下したり見下す事は有ってはならず、上手く行かない部分を

如何にエスコートし助けられるかを考える事が重要です。

社交ダンスは、若者と高齢者や弱者が同等に音楽を楽しめる

バラエティーに富んだ踊りです。

その時のお相手に対して、如何に踊ったらお互いに楽しめるか

常に自然に考えられる踊り手が増える事を願いたいものです。

 

高齢化社会と成って、多くの高齢者もスポーツや趣味に親しみ

余生を楽しむ術を見つけている様ですが、若者と高齢者が

一緒に何処でも楽しむ事が出来る日常が見られません。

どちらの世代も其々に断絶しているのが現実です。

社交ダンスを通じて若者は高齢者の、そして高齢者は若者の

思いを知る事が理想です。

福祉施設を増やし便利で安全な社会を広げても、対人的に

分離していては、社会全体が豊かに成長は出来ません。

 

家族同士、ご近所、仲間たちと音楽が有れば自然に手を取り

互いの思いを確かめ合う事が出来る環境が欲しいです。

社交ダンスは高齢者の趣味で有り、競技ダンスは若者の

スポーツの1つに過ぎないのでは残念です。

週末に成れば近所のホールに集まり、子供から高齢者まで

楽しい音楽の中で素敵な時間を過ごす事が出来れば、

如何に密が大切で有るかが解ると思われます。