私達は生きている間、自らの存在価値を見出す為
自分以外の人や環境に対して様々な自己主張をします。
生きている証は、自分の考えや行動が周囲に認められ
心の平安と幸せを得る事に有ります。
しかしながらこの生き方が人間同士の争いを生み
環境に対するダメージを生み出す結果と成っているのです。
認められたいが為に行った行為が、自分以外の人に対し
苦痛を与える結果と成ったりトラブルの原因と成る事が多く
成ってしまう事が多いのです。
人間の業とも言うべき生きる為の術は、良かれと思った事
幸せに成ると思って努力したことが、全く逆の結果を生み
思いもしない苦痛を味わう事にも成りかねません。
誰もが自分の考えを主張し自分勝手な行動を行えば
望む物が得られないだけでなく、逆に思いもよらない反撃や
攻撃を受ける事にも成るのです。
生きる事の難しさ故、私達は生涯を通じて対人関係を学び
生かされている環境の意味を知る事がとても重要なのです。
学校教育も社交ダンスで学ぶマナー教育も、目的とするところは
幸せに人生を送る為の術を身に付ける事に有ります。
誰もが望む経済的に豊かな生活も、自分だけでなく周囲の人も
幸せであってこそ成り立つものであり、一人勝ちの様な生き方は
反感を買う事は有っても心から賛同される事は少ないのです。
また、私達は常により豊かな生活や健康的な人生を望むのですが
目指す理想の生活をしている人もいる一方、遥かに多くの方が
辛い人生を送っている現実が有るのです。
経済的に苦慮している人だけでなく、肉体的なハンディを背負って
生きていたり、長く辛い病に伏している人も少なくないのです。
と言うより、本当に苦しみの無い健康で幸せな生活を送って
いる人は非常に少ないと言えるのです。
社会が豊かに成って来ると、誰もが幸せな生活を送っている様に
見えてしまうのですが、外見とは裏腹に、日々病に苦しみ多くの
トラブルを抱えて悩んでいる人がとても多いのです。
人間は理想を求める一方、豊かと成らない現実の暮らしに苦しみ
救いを求めている方がはるかに多いと言えるのです。
目の前に対したお相手が、見た目と違った心と身体の持ち主である
と言うのは当たり前の事で有り、人生を幸せに豊かに暮らす為には
この様な救いを求めている人を幸せにする事が大切なのです。
自らの幸せは、関わる人の幸せで決まると言っても良いのです。
本当に満足できる社交ダンスを踊りたいなら、お相手の方の心と
身体を常に気遣い、心から楽しく踊れる様にサポートする事が
一番の方法なのです。
当然お相手が変われば、またお相手のコンディションが変われば
自分の踊り方が大きく変わって来るのが当然と言えます。
誰と踊っても喜ばれ楽しい時間が過ごせるのは互いの満足が
有ってこそであり、自分だけの考え方や踊り方でコンタクトすれば
思い通りの踊りが踊れないのは当然と言えるのです。
マナーとは、唯相手の行動を助け、人間として美しい振る舞いをする
と言うのではなく、その時最もお相手が求めている思いに救いの手を
差し伸べる事なのです。
人間は言葉や行動で不具合を訴える事は出来ますが、
自然は如何なる時も何も言わず、ただ成されるがままに要求に
応じている事から私たち人類の横暴を受け入れ大きく傷ついて
しまったのです。
長きに渡って私達人類の欲望に応じて来たものの、遂には
その大きな懐にも限界が来てしまったのです。
本来の美しい姿や優しく豊かな大自然は、私達人類の欲望に
大きくその姿を変え、今では人類に数々の惨禍をもたらすように
成っているのです。
地球温暖化、環境異変、食料や資源不足と、人類の数々の爪痕は
想定外の報復と成って私達を苦しめる様に成ったのです。
遂にはパンドラの箱を開け、人類全てを襲う病魔が蔓延しています。
今回の自然界の復讐は、人間が自ら人間としての行動を起こせば
その行為で伝染すると言う恐ろしい仕組みです。
これまでも多くの病が生れて来たものの、英知をもって何とか
押さえつけて来たのですが、今回はいまだ何の手立ても有りません。
私達が人間として普通に行う日常生活が自らの首を絞める事と成り
ただ人として当たり前のことができなくなると言うこれまでにない
精神的にも追い詰められる病なのです。
もはやこれまでの人類の生き方を維持する事は出来ない事を
思い知らされる事態と言えます。
幸いに生き残ったとしても、彼らはこれまで人類が歩んできた
歴史を続ける事は出来ません。
例え目に見えない微小生物とは言え、地球の全ての生き物と
完全に共存できる環境を目指さなければ、このままでは
更なる凶悪な病原が生れる可能性が高いのです。
もちろん人としての生き方も、従来の様に争い競い傷つけ合い
欲望を満たす様な生き方は否定されなければ成りません。
人類が本当に地球に生きる生き物の1つとして確かな存在価値を
見出す事が未来への道を作ると言えるのです。