高度成長期に急速の進歩を遂げた社交ダンスも
今では、ごく一部の人達の趣味の1つであったり、
高齢者の健康を兼ねた習い事に過ぎません。
例えメディアで取り上げられたとしても、週末や
祭日に多く行われる社交ダンスの催し物も、その多くが
競技ダンスであり社交ダンスとは程遠いものです。
本来、社交ダンスは、読んで字のごとく、多くの人達が
ダンスを通じてお互いに心を交流し、楽しい一時を過ごす
社交術の1つとして発展してきました。
中でも、男女が踊る事で、お互いの心と身体の違いを知り
トラブル無く社会生活を営む為に、踊りを通してマナーを
身に付けるものでも有りました。
その為、欧米諸国では、社交ダンスを習うと言う事は、
大人になる為の大切なマナーを身に付け、対人的に
豊かな人間性を形成するためにとても重要と位置付けられ
学校の先生とは違い社交ダンスの先生はマナーの先生と
言われて尊敬され社会的地位も高いのです。
しかしながら、社交ダンスが日本に紹介されたとき、
日本人は、その意味をシッカリと理解する事無く、単に
外見的な美しさと、男子主導女子服従の、当時の社会
つまり男尊女卑をそのまま当てはめてしまったのです。
単にテクニック用語をそのまま日本語訳した事に依り
男子はリーダーとして踊りの主導権を握り、女子は、
男子の動かすままに後を従って行くと言う構図が生れました。
この事は、いまだ変わず、社交ダンスが、外見的な美しさで
カモフラージュされた、現代流にいうなら、パワハラ、モノハラ
セクハラを助長する可能性のある踊りと成っているのです。
そもそも、欧米社会で発展した社交ダンスは、男子が、いかに
女子を守り、女子の踊りを尊重し、女子がより美しく踊れる様に
エスコートするのが踊りの中身でした。
回転を伴う踊りは、女子が表現の中心と成る事で、より豊かで
美しい踊が生れたのです。衣装を見れば解る様に、女子が
中心で演ずる事に依り、大きく円形に広がる様に作られています。
男子の後を従って踊る事は、高いヒールを履いた女子にとって
如何に苦痛であるか、男子も体験すると解るはずです。
リードと言うのは、女子がより豊かで美しい音楽表現をする為
その踊るコースを常に知らせ、女子が無理なく踊れる様に
男子が女子の周囲360度、どこからでも助けながら踊ります。
男子中心の日本の多くの踊りは、女子が男子の周りを踊ったり
後からついて踊ろうとする事から、音楽に遅れたり、重心が落ちたり
様々なトラブルを生んで踊りを難しくしています。
その為、多くの踊り手が音楽やお相手を気にする余裕もなく、ただ
自分の足形とルーティンを間違いなく踊る事しか出来ません。
これは、外見的にダンスであっても、コンタクトを通した運動は
格闘技そのものであり、二人の上半身が変形したり、固めないと
踊れないと言う日本人の多くが踊っている踊りと成って
しまうのです。
社交ダンスは、踊る事で男女の能力がより豊かに成るのが
普通です。
お互いに足を引っ張ている様な、見た目は綺麗でも、心の中は
全く余裕もなく苦しんでいる踊り手がいかに多い事か。
ルーティンを決めて外見を間違いなく美しく踊る事を多く求める
競技ダンスの前に、男女がお互いにお相手を理解する
テクニックや運動表現を初級の簡単なステップの段階で
習う事が大切です。
ダンスを習った事もない人が、突然ワルツやルンバを踊らされて
ルーティンを覚える事が社交ダンスと思っている現実を見る度
社交ダンスは、いまだ戦後社会と変わってないと感じてしまいます。
特定のお相手や先生としか踊れない方が実に多く、誰とでも言葉を
交わす様に社交ダンスが踊れ無い方が実に多いのです。
問題は、教える立場の人が競技ダンスしか習った事の無い方が
少なく無くて、全くスポーツをした事の無い人や高齢者に、突然、
特殊なステップやルーティン、更には、張り付けの刑に遭っている
かのような上体の形を教えられているのは不幸としか言いようあが
有りません。
欧米社会では、世界チャンピオンであっても、踊るお相手に対して
その方が苦痛にならない様、柔軟性のある様々なコンタクトを
行います。
自分の普段踊っているホールドは、長年踊っているパートナーとの
理想的なホールドであり、その様な踊り方を誰にでも強要する事は
有ってはならないのです。
競技選手が、自分の得意なホールドをそのまま教えている場面を
見かける事が多いですが、それは、踊れない人にとっては
パワハラとも言える行為なのです。
今や社交ダンスが出来ると言う事は、特異な踊りが出来る人達と
一般の方は感じています。ヒップホップなら習ってみようかと思う人が
多くとも、社交ダンスと成ると一歩も二歩も退いてしまう方が
多いのです。
修行僧の様に、何年何十年もかけて、競技選手の様な踊りが
出来たとしても、それは、一般の方から孤立した自己満足に
過ぎないのです。
本当に上手な人は、誰と踊ってもお相手から心から感謝され
喜ばれるものです。楽しそうなふりをしないと踊って貰えないと
嘆く女子もいる様です。
日本の社交ダンスを踊る人達が、社交ダンスを踊る事の本当の
意味を理解する事が出来、誰もが気楽にコンタクトして音楽を
楽しめる時、初めて日本社会に社交ダンスが育って来たと
言えるのです。