今や、日本人は、一億総健康志向と言われる程、国民の関心が
健康である事に向けられています。
テレビ番組のゴールデンタイムには、連日、健康番組が並び、
如何に身体を衰えさせず、いつまでも若くいられるかを伝えます。
特に、見た目の若さは誰もが望む事であり、如何に歳を重ねても
若々しく有るかを求めています。
社交ダンスのみならず、多くの人が、スポーツに時間を費やし、
中には、まるで修行僧の様にストイックな日常を送っている人も
増えていて、如何に、国民が健康である事を望んでいるかが
解ります。
その為、如何に健康で若々しく有るかと言う、ハウツー番組が多く
放映されると途端に、その秘訣?を多くの方が実践しています。
しかし、今だけと言わず昔から、健康番組の内容は、殆どの場合
国民にとって一過性の興味であり、番組によって、大きく健康が
増進したと言う事は有りません。
メディアの特徴として、健康法とその効果を大きく取り上げますが、
現実的には、それを参考にした人達には、それ程効果が無いのが
現実とも言えます。
ならば、特番を組む程の健康番組の内容が人々の努力の結果として
大きく関与しないのかと言えば、それは、人の持っている運動機能が
目で見たり視覚的に演じた印象で行われていないからです。
どんな運動も、人間の身体は、全ての部分が繋がり合っていて、
これらを動かすメンタルな部分がしっかりと関連付けられないと
どんなに見た様に動かしたとして、それは、部分を無理やり
動かすと言う、からだの不自由な人が行う運動に過ぎません。
腹筋を1000回で来たとしても、それによって自分の目的とする
スポーツが著しく上達するとは言えません。
この事は、社交ダンスのステップを沢山覚えても、運動表現を
習った様に行う事が出来たとしても、実際は、思う様に動けない
のと同じであり、自分で上手く踊れる様に成ったとして、自分自身の
感覚で鍛えた身体を動かしたとて、目の前の方はいい迷惑で
ある事も多いのです。
競技選手が、プロになって踊るようになった時、一番の問題は、
社交ダンスと言いながら、知識は有っても、目の前の方と
踊れ無い事です。
自分のパートナーとは、申し合わせで踊れても、多くのアマチュアの
一般の方と踊ると、決まって踊り難くて、生徒はただ振り回される
だけなのです。
自分のテクニックはしっかりと覚えていたとしても、自分の身体も
目の前の方の身体の機能も解らず、外見だけの社交ダンスは、
お相手する人には、ただ踊り難いだけで、有名な先生だとか、
競技選手だから上手なはずだと、生徒は、自分を納得させ
無ければ成りません。
私達の身体は、驚く程機能的に状況に応じて様々に対応できる様に
出来ていて、それ故に、日常生活に於いて何でも思うが儘に出来て
来たのです。
それは、無意識のままに、身体が反応する事が出来る事に依り、
一日中、自分が一番欲する様に動けるのです。
その機能は、非常に単純であり、それ故、子供から大人まで
あらゆる環境で生きて行けるのです。
この機能を知らずして、スポーツをしたり社交ダンスを踊ったりすると
自分の思う様に動かず苦労するのです。
社交ダンスは、特殊な運動表現であっては成りません。
お相手により音楽により環境により、思うが儘に動ける事が
大切です。
日本におけるレッスンの最大の問題点が、この大切な事を、
初心者や身体が自由に動けなくなっている高齢者に対して、
全く教えず、と言うより教えられないのが実情なのです。
それでも、社交ダンスは楽しいと言われる程、身体が無理をしても
お互いに邪魔し合っていても、男女が音楽の合わせて踊る事は
太古の昔から楽しく、多くの人々から求められて来た事なのです。
あらゆるテクニックが開発され、数多くのステップや運動表現が
作られて来た現代に於いて、多くの人達が苦労して踊っている
と言う事は、考えられない程不思議な事と言えます。
社交ダンスは、男女が本当に心から通じ合って、音楽の世界を
演ずる事が出来れば、死んでもいいと言われる程、素晴らしい
芸術でも有るのです。
例え技術が無くとも、二人で踊る楽しさが失われる事は
本当に寂しく悲しい事です。
老いも若きも、社交ダンスを踊る事で、人生の喜びを感じ
人間の素晴らしさを感じられる事がとても大切と思えます。
男女がお互いに我慢し合って、楽しそうに演じなけばならない
社交ダンスは、既に、社交ダンスではなく、見た目だけの
苦行に過ぎません。