今や、国民の趣味として定着しているのがカラオケです。
幼い子供から高齢者まで、誰もが、それぞれの持ち歌で
楽しんで言います。
普段には、決して口にできないような恥ずかしい言葉も
歌と成れば、平気で人前で歌い上げます。
一般の方々だけでなく、カラオケのテレビ番組が
ゴールデンタイムで放映され、様々なチャレンジャーが
美しい声で視聴者を魅了しています。
かつて日本中に社交ダンスが広まり、大人の誰もが
ダンス教室はホールに出かけていた頃を思い出します。
歌と社交ダンスは違うように思われるかもしれませんが
自分を表現すると言う事は、どちらも同じです。
歌詞を通じて自分の思いを託すように、ステップや
運動表現を通じて自分の思いを伝えます。
美しい声を出すためには、歌う為のテクニックが
必要であり、発声の方法を正しく行う事で、歌詞を
正確に伝え、美しい音楽メロディーを視聴者に
届けます。
同じく社交ダンスも、テクニックや運動表現を
覚える事によって、その時流れている音楽を
表現します。
音楽をそれぞれの分野で表現するのですが
カラオケが、誰にでも楽しめるのに対して
社交ダンスは、なかなか思うように踊れず
簡単に思うが儘に楽しめません。
これは、社交ダンスが難しいのではなく
音楽表現に、個人の感情が入っているか
入っていないかが問題なのです。
社交ダンスを踊る多くの方が、テクニックや
ステップの踊り方は知っていても、その動作に
感情が入らず、習った記憶を再現しているだけ
と言えるのです。
社交ダンスも、カラオケの様に、流れる演奏に
歌を乗せて行かなければなりません。
音楽を聴きながら、お互いの感情をテクニックを
通じて伝え合い、二人の心のセッションを生むことで
ペアとしての音楽表現となるのです。
しかしながら、多くの踊り手が、二人の音楽表現を
する前の身体の動かし方のテクニックの分野で
終わってしまっています。
音楽表現をするためのテクニックやステップなどの
踊る為の道具の使い方を見せているだけなのです。
しかも、男女其々が自分の使い方を主張するのみで
お互いのセッションが有りません。
その為、カラオケの様に、自分の感情が入らず、
楽しそうな外見を作る事しかできないのです。
特に、上体の表現は画一的で、言われたままの
習ったままの借り物の踊りであり、本人のみならず
見ている人も心が動かないのです。
社交ダンスは、コンタクトをした部分からお相手を感じ
相手の感情表現を楽しみ、お互いが音楽表現として
歌の様に見ている人を感動させるのです。
どれだけ音楽とお相手を感じるかで、自分が持っている
テクニックや運動表現が役に立つのです。
男女其々の個性が生かされることにより、ペアとしての
最も美しく楽しい社交ダンスが出来るのです。