今や、日本社会は、男女の関わり合いに関して、セクハラ
パワハラと言った大きな壁を設け、男女の心が益々閉ざされ
思い込みに依る、更なるトラブルが心配されます。
そもそも、男女に於けるトラブルの多くが、お互いが
相手の思いと異なる身勝手な行動や言動を行う事から発し
折角深い理解と愛情を得られる機会を失ってしまい、
挙句の果ては、お互いの非を責めるに終わっています。
この事は、男女にとって非常に不幸な事であり、本来、
結ばれるべき関係も、いつの間にかに疎遠になって
近づきたくとも近づけない深い河を、男女の間に作って
しまいます。
更に、日本における社交ダンスが同じような傾向を示し
男女が心からお互いを理解し楽しむ社交ダンスが踊れない
大きな原因とも成っています。
社交ダンスを踊る事に依って、より男女の理解が深まり、
より大人としての関わり合いを育てるはずであったのに、
いつの間にか、男女其々が、勝手な思い込みで踊る事で
様々なトラブルを生じています。
大切な事は、男女が身に付けるステップや運動表現は
自分が上手に踊る為だけでなく、お相手を楽しく踊らせ
より豊かな感情で二人が踊る為に有ります。
男女は、其々の役割があり、更には、男と女という
全く違った感性の持ち主が、同じ喜びを共有する訳
ですから、どれ程、相手の事を深く理解できるかが
重要です。
コンタクトを通じて、想像もできない程の異性の心の違いを
知る事に依って、如何に振る舞ったら良いかが決まります。
一応、ステップやテクニック、運動表現を知っていても、
それは、お相手によって様々に変化する事が大切です。
その為には、常に、目の前のお相手が、いかなる思いで
踊っているのかを感じ続けなければなりません。
男女が身に付ける運動表現やステップは、相手を知る為の
道具と言えるのです。
しかしながら、多くの踊り手が、その道具を、自分の為に
自分の目的の為に使っている事が問題です。
思い込みから使われる運動表現やステップは、時に、
お相手を苦しめたり、嫌な思いをさせたりします。
いわば、パワハラ、セクハラの様な想いもしない影響を
相手に与えてしまうのです。
自分では、良い事と思って行った行為が、相手にとって
苦痛に成ったり心を傷つける事も有るのです。
男女がコンタクトを取って踊ると言う事は、直接
相手の心に触れると言う事でも有るのです。
それ故、身勝手な考えで踊ると、直接嫌な思いや苦しみを
与えてしまう事が有るのです。
それ程にも影響があると言う事は、逆に考えれば、
相手の事を考え、常に、お相手が喜ぶように、気持ち良く
踊れる様に踊れば、全く逆の結果と成るのです。
社交ダンスは、踊りを通じて、相手の心に幸せを届け
いつまでも一緒に踊っていたいと感じさせる事が
一番大切なのです。
ヨーロッパに於いて、社交ダンスがマナーの一環として
社会に於ける大人の対応が出来る様に、子供達の
情操教育に利用される理由がここに有ります。
今や、日本の男女は、一体異性に対しどの様に振る舞って良いか
悩んでいるのが現状です。
お互いに如何に意思表示をしたら良いのか、自分の行いや言動が
社会的に問題視されないか不安でたまらないのです。
確かに、セクハラ、パワハラは、有ってはならない事です。
しかし、その原因は、男女の在り方、お互いの心の違いを考えず
身勝手な我欲のみで行動や言動を行う事に有ります。
日本は、世界でもトップクラスの経済大国と成りました。
何でも欲しいものが手に入る社会は、人々に、欲望のままに
自分を満足させる事が出来る様に成りました。
しかしながら、男女の間には、深くて暗い川が流れています。
相手の事、他人の事を心で感じられない、察する事が出来ないで
経済性のみで人の価値観を決める社会は、様々なハラスメントを
生み、人々を苦しめるのです。
社交ダンスは、外見的な美しさやテクニックを求めて、
自分の思い込みで踊ると、お相手に対しては、ハラスメントと
なりかねないのです。
しかし、しっかりとした理解と男女の役割を知る事に依って、
お互いの運動表現は、お相手に素晴らしいプレゼントと
成るのです。
日本で踊られる社交ダンスは、いまだ高度成長期の頃の踊りと
変わらず、男女其々の一方的な思いで踊られているのが
問題なのです。
社交ダンスは、どんなに練習しても、美しい衣装を身に纏っても
相手に対する正しい理解と思いやりが裏打ちされていなければ
単なる格闘技で有り、ハラスメントの温床となるだけなのです。