潜在能力を知る喜び | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

私たち人間は、二足歩行をしている事から、
バランスを取って立ち止まると言う事と、
場所を移動する事は、全く違った運動形態が

要求されます。

多くの方が、移動する時は、足の力を使って
脚力によって移動していると思っています。

その為、下半身が衰えると、運動能力が無くなり、
老化したり、思うように動けなくなると思っています。

とは言うものの、この考えで、社交ダンスやスポーツを
楽しもうと思うと、幾ら下半身を鍛えても、難しい

テクニックや運動表現を覚えても、身体は思うように

動かないのです。

この事が、スポーツが苦手な方や、社交ダンスが
思った様に踊れない方々の共通の感覚と言えます。

 

社交ダンスやスポーツを視覚的に理解するのは

昔から日本人の特性とも言われ、あらゆる技術分野で

先輩や師匠のやっている事を見て覚えろと言う事からも

伺えます。

社交ダンスをレッスンする時も、多くの方々が、目で見える

視覚的に理解できるレッスンには理解を示しますが、

身体の中の事、心の事、音楽の事と成ると、決まって、
目が点に成ってしまい、理解が浅くなる傾向が有ります。

この事は、踊る時も同じ傾向が有り、自分の体については

非常によくトレーニングを積んで居たり、深い知識を持って

思うがままに動かすことが出来る方は多いのですが、

パートナーと組んだ途端、その能力は、十分の一に成って

人が変わった様にギクシャクしたり、力任せに相手と

踊ったりする傾向が有ります。


さらに、社交ダンスのみならず、他のスポーツに於いても

上半身が、相手や手具とやり取りが出来ないで、やたら、

自分の技術や体力に拘って、空回りをしている方もいます。

例えば、サッカー選手の能力は下半身の強さとテクニックと

思っている方が多いですが、その下半身の能力を引き出すのは

センスのある上半身の的確な運動にある事を知りません。


あらゆる地上に立って行うスポーツは、上体の意思を持った
運動表現が下半身に反射的に繋がる事に依って成り立ちます。

また、意思を伝えられた下半身は、地面や床からの反発を

利用する事に依り、より上体のパフォーマンスを高めます。


つまり、社交ダンスに於いても、上体の運動が如何に優れ

敏感に相手とやり取りが出来るかで、沢山のステップや
下半身の的確な運動が引き出されるのであって、

ステップや下半身を動かす事で、社交ダンスを演じている

のではありません。


所が、日本で行われる多くのレッスンは、上体を固定したり

特定の形を保たせたりと、運動を行うには程遠い方法で

行われている事が多いのです。

正に、端正に崩れる事無く男女の上半身が見えたから、

その様に似せて踊ろうとしていて、これこそ本末転倒の

踊り方と言えます。

増して、男女がコンタクトを取って踊ると言う事は、お互いが

相手にとって手錠の様な役目をはたし、とても優雅で楽しい

社交ダンスとは程遠い踊りと成るのは当たり前なのです。

 

問題は、しっかりと意思を持った上半身の運動が有るのに、何故

外見的には何もしていない様に見えるかのレッスンが出来ない

教師やコーチャーが多く、彼らもまた、外見的な踊りを身に付けて

社交ダンスを踊って来た事になるのです。


つまり、初心者から、この内面的な二人の役割や音楽との

関わりをしっかりとレッスンを受けながら、成長して行かなければ

単なる外見的知識だけで、覚えれば覚える程、実際は、

身体の自然な運動が損なわれ、お相手する方も、見ている人も
外見で納得させられても、何も心に訴えないのです。

 

この事は、かつて外人のコーチャーに指摘されて事が有り、

日本人の踊りの特性だと言われました。

しかし、社交ダンスを踊る大切な事ならば、どうして日本人に

その事を教えなかったのかと尋ねると、彼らは、笑って

日本人は、そんな事より、格好いいルーティンやステップしか

全く興味を示さないと言っていました。
海外の先生も、自分達が小さい頃から習った、大切な事を

日本人に教えたかったのですが、その説明をすると、日本の
生徒たちは、いつもつまらない顔をしたと言います。


数十年も前の話ですが、この事は現代にも通じていて、

社交ダンスを踊られる方に、相手との関わり合いや音楽の

感じ方、二人が創り出す音楽表現の重要性を説明しても

余り興味を示しません。

それより、自分が格好良く踊れる事を要求し、外見的に

上手に見える様に作ってくれることを望む事が多いです。

その為、如何に簡単に見栄えが良い踊りを踊れるかが

多くの踊り手達の望みと成って、しっかりと時間を掛け、

身体と心を育てるレッスンが少なくなっているのです。

沢山のステップの種類を知っていても、テクニックを

多く身に付けていても、それは、常に教えられた通りの
記憶に過ぎず、素晴らしいルーティンを踊ろうとしていても

いつも違和感が有り、崩れない様に、一生懸命外見を

作っている踊り手達が可哀想に見えてきます。


社交ダンスは、心も身体も自由に踊れて楽しめるのです。

心と上半身の目に見えない運動が、下半身の運動や

ステップに繋がって行くのです。

つまり、日常生活と同じなのです。


上半身と心の個性的な動きが、下半身の自然な動きに繋がり、

心の様を示すように、ステップが流れる様に動くのです。

もちろん、誰にでも備わっていて、何十年もその方法で

日常生活を送って来たのですから、非常にシンプルな運動で

無理な努力もいらないのです。


そんな力を封印して、外見的な美しさを求める事は

いかに無駄であり、自分にとっても相手にとっても苦痛であり
どんなに頑張っても思うがままに踊れないのは
当たり前なのです。

もちろん、私達も、海外のコーチャーから習うまでは、全く知らず

皆さんと同じような踊りで踊っていました。

しかし、自分の身体と言うより、人間の身体は,こんなにも

素晴らしい運動能力を持っているのかと感動する事が
出来ました。


それまで、何十時間も汗水を流して、身体を壊してまで

頑張って来た事が如何に無駄であったかが解りました。

人の身体は、我々が命令して動かす以上に、遥かに素晴らしい

機能を備えていて、その力に気持ちを委ねると、まるで、

それまでの苦労が嘘の様に、思うがままに踊れる自分に感動し

社交ダンスを踊って来て良かった!と心から思うのです。