外見的テクニックからの卒業 | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

100年以上に渡って進化して来た社交ダンスは

数多くのステップを生み出し、様々なテクニックを
開発する事に依り、更なる芸術的スポーツとして
世界中の人に親しまれる様に成りました。

特に、競技会が頻繁に催されたり、世界各地で

エキスパートに依るデモンストレーションが

行われるようになると、新たなる国民的スポーツ
と成って、あらゆる世代の人達に楽しまれる様に

成ったのです。

日本に於いては、戦後爆発的に流行し、高度成長で
国民の生活が安定して来ると、大人の趣味の一つとして

沢山の人が練習場に通う様に成りました。
ダンスホールもダンス教室も、多くの男女がフロアー

一杯に踊る姿は、今では考えられない様な盛況でした。

 

沢山の欧米のコーチャーが来日し、日本人の技術は

急速な進歩を遂げ、日本人の大人の男女は、誰もが

踊りに行った経験を持つ程にまでに広がったのです。

真面目で勤勉な日本人は、次々に技術を習得し

様々なステップを駆使して、世界的に見ても、

欧米に負けない程の技術を持つ方が増えて
行ったのです。


この事は、現代にいたるまで、日本人の持つ社交ダンスの
技術や踊れるステップの種類は世界のトップクラスで
アマチュアの方でさえ、プロ顔負けの難しいフィガーを
使って楽しんでいます。


しかしながら、戦後の社交ダンス創成期から現代に至るまで

日本人に対する欧米の方々の評価は変わりません。

これは、高度の知識や運動表現、ステップの種類について

と言うのではなく、アマチュアの初心者の方から、ベテランの

愛好家に至るまで、実際に踊った時の、評価が低いのです。


この事は、踊る姿やステップの使い方とか言った技術的

評価と言うのではなく、実際に踊って見た時の評価です。
簡単に言えば、日本人は、外見的に綺麗な踊りは出来ても

とても踊り難いと言われるのです。


私がプロになった頃、コーチャーとのレッスン以外の

会話に於いても、多くの日本人と踊った事のある欧米の

方々の素直な印象と言えます。

競技会に出る様なテクニックを持っている方でさえ、

日本人の踊りは、二人でお互いに音楽とお互いのやり取りを

楽しむと言うより、自分の事で精一杯なのです。


欧米人は、誰と踊っても、上手な踊りを求めているのでなく

自分と楽しく踊ってくれるテクニックや運動表現を求めていて

どんなステップを使うかは、コンタクトをして、相手の状況を

感じ取って選んで欲しいのです。


所が、多くの踊れると思っている日本人は、先生に習った通り

自分が記憶した通りの正しいとされる踊りを踊れば、相手は

喜んでくれると思っています。

この事は、海外の方と踊る時だけでなく、日本人同士が
踊る時もその傾向が有り、男女共に、自分の頭の中の記憶と
踊っていると、二人の踊りは楽しさより苦しさと成るのです。


多くの方をレッスンしてきて、初めてコンタクトして踊るとき
殆どの方がかなりの緊張を持って、自分の知識を確認し

リードを受けたら、頭の中のそれまでの経験に照らし合わせ、

ステップと運動表現を行います。
確かに、ハウツーに則た踊りは無難であり、大きなトラブルを

生むことなく進むのですが、二人の間の意思の疎通は
有りません。


目の前の生きている異性を心と身体を感じて踊るから楽しい

と言えるのです。

まるで、魚釣りに行って、機械で精巧に作られたロボットの

魚を釣っているかのようです。
こんなやり取りが男女共に多いのが日本人の踊りです。


実際に踊って見た時、どれだけ楽しいかと言う部分を除いて
楽しくしていると思われる所作や表現をしているのでは、

本当に心から感動できる踊りには成長しないのです。
感受性の豊かな子供たちが、テクニックやステップばかり

教えられて、楽しさを作り出す技術を教えられないと、

やはり、興味としては、ヒップホップに軍配が上がるのです。

今や、社交ダンスを踊る人は、競技をしたりデモンストレーション

をしたりする人たちには関心が有っても、一般の方々には

余り心を動かされる習い事とは言えないのです。
日本で、テクニックや外見を求められた高度成長期なら

いざ知らず、成熟した日本国民が、心から楽しめる為には

本当の踊り方を知らなければならないのです。