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社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

社交ダンスは、数ある踊りの中でも、極めてスポーツ性が強く
踊りと言っても、その演じ方は、かなり特異な物と言えます。
社交ダンスは、スポーツだと言われる方の多くが、競技などの

激しい運動をもってその様に思われるのですが、それ以上に

特徴的な事は、テクニックや運動表現が、音楽に依っても

その日のコンディションン、お相手、更には、環境に依っても
大きく変わる事です。


多くの舞踊や舞踏は、ルーティンが決められているだけでなく

運動表現やステップが、誰が踊っても同じように踊る事を
求められ、何度踊っても同じように演じられることを
良しとしています。
このため、社交ダンスを踊る時も、習った通り覚えれば
上手に踊れると信じてしまい、社交ダンスが、上手く踊れ無い
大きな原因と成っています。

 

この事は、日本に社交ダンスが入って来た頃から、現代まで

多くの社交ダンスを踊る方を悩ませ、習い事の中でも難しく
誰にでも簡単に踊れ無い様に思わせる事と成っています。

様々なスポーツをこなしてきた方や、音楽的活動を行って来た

社交ダンスを踊るには、有利な条件を持っていると思われる
若い方々でも、ダンスを習ったとたん、まるで、生まれたての

子牛の様に、全身の繋がりが無く、音楽性が乏しくなるのは

社交ダンスが難しいのではなく、外見的なレッスンのみを受け
更には、自分のノルマしか考えられないからです。


社交ダンスは、世界中の方と踊れると言われるのですが、
日本人の踊りは、多くが、特定の相手や、先生としか踊れず

海外を旅行した方々が、現地の方と踊れ無くて、愕然と

しまう事も少なくありません。

誰と踊っても、習った足形と運動表現をそのまま使う事で

トラブルは生んでも、楽しくは踊れ無いのです。


社交ダンスがスポーツであるとする考え方は、動きが激しい
からと言うより、踊る相手の運動表現やステップの種類

大きさ、組み合わせによって、的確に最も相応しい反応をし

相手の能力や個性に合わせた運動を行うからです。

例え、男子がリーダーだからと言って、女子に自分の

踊り方を強要している様では、いつまで経っても
ペアとしての技術は上達しませんし、女子にとっては

苦痛の連続と成ってしまいます。


女子も、音楽をしっかりと感じて、相手の運動を理解し
自分の表現が、ペアとしての美しさを引き立たせるよう、
運動表現の内容を変えて行かなければなりません。

記憶した通り運動していても、その日の運動としては
正しくない場合の方が多いのです。


多くのペアが、ルーティンを間違いなく踊れれば

上手になると思っていますが、二人が、自分の記憶を

辿って踊るだけでは、例え、足形が合っていても、

同じ表現が出来たとしても、踊りとしては、次第に

精彩を欠く、魅力の無いものと成ってしまいます。


スポーツの最大の魅力は、その都度反応した
ダイナミックな運動表現です。
社交ダンスとて同じであり、自分の持っている
技術や運動表現が、常に、その日の相手や音楽に
反応して生まれる事が重要です。

つまり、対人センス音楽センスを育てる事が必要で

上手く踊れ無い、楽しく踊れ無いと言う方の多くが

自分の事、自分のテクニックしか考えられません。
例え、相手の足形を覚えていても、相手の気持ちが
感じられないと、やはり、これとて自分の知識に過ぎず

2人が楽しく踊れるとは言えません。

多くの方が、技術レッスンは受けても、対人的な
男女の役割の違いや運動の違い、感覚的な違いを
初級の段階から習っていない為、目の前の相手は

常にブラックボックスと成り、単なる思い込みで踊る為

いつも無駄な緊張が生れてしまうのです。


人間は、生き物であり、日々心も身体も変わって行きます。
しかも、男女の心は、異星人同士と言ってもいい程

違っていて、トラブルなく生活する為に合わせていると

言ってもいい程です。
外見だけの社交ダンスは、不自然な笑顔とむやみに

誇張した運動表現を生むだけで、誰もが感動する

魅力的な踊りとはなりません。

2人が、心から楽しく踊る為には、お互いの気持ちを
常に察し、相手が、自分が思っている通りの感情で

踊っていないと言う事を知ることが大切です。