一生懸命練習しているのに、習った通り間違いなく
踊っているのに、思う様に踊れないでいる方々は
かなり多いと思われます。
ダンスが上手な人や、有名な先生に習っているから
上手に踊れるはずだと思っているのに、一向に
満足できる踊りが踊れず、悩んでいる踊り手は
少なくないのです。
ヒップホップダンスをかなり踊れても、バレーの
キャリアを積んで居ても、様々なスポーツで
身体を鍛えていても、社交ダンスを踊るとなると
突然、体中が硬直したり、思ったような演技とならず
一体どうしたら上達できるのか、苦しんでいる
ベテランの方も見られます。
一体、社交ダンスの何が、これ程までに、踊り手を
悩ませ苦しませているのでしょうか。
社交ダンスを始めて間もない方や、初級の方が
悩まれるのはまだしも、10年以上も踊っていて
しかも、人に教える様な方でさえ、頭の中は、
いつも、悶々としていて、社交ダンスを、心から
楽しみながら踊っていない場合が有ります。
最大の原因は、社交ダンスが、対人的な運動表現
であり、常に、目の前にパートナーの存在がある事です。
しかも、格闘技と違って、二人で、その時流れている
音楽を美しく表現しなければならない事です。
その為、自分勝手にステップを踏んだり、運動をすると
途端に相手に影響を及ぼし、更には、その影響は
そのまま自分に返って来るのです。
つまり、自分の行為は、相手にとって快感と成るか
苦痛と成るかで、その後の自分への反応が変わり、
簡単に言えば、苦痛を与えれば、苦痛が返ってきますし
快感を与えれば、気持ち良い運動表現が返ってきます。
社交ダンスに於ける運動表現は、自分だけが納得する
運動表現で在ってはならないのです。
上手く踊れ無い方の言い草に、先生に言われた通り
踊っているのに、ステップを間違わないで踊っているのに
と言うのが有ります。
この事は、そのまま、相手に対する不満と成って、
常に、自分への正当化として、二人のトラブルを呼びます。
男女が同じようなステップを行う事が多いのは、二人が
相手の運動を察知しやすい様に作ってあるのです。
お互いの運動表現やステップを想像できる様にして
相手の動きを客観的に捉える様に作ってあります。
その為、ステップの組み合わせは無限大ですが、
運動表現は極めて少なく、他のスポーツと共通の使い方が
求められるのです。
しかしながら、多くの踊り手が、この無限大のステップの
踊り方を覚える事に終始し、習った通り、記憶通り動かし
自分だけが納得しています。
例え、同じ種類のステップであっても、二人のやり取りや
前後の繋がり、音楽の違いによって、様々に変化します。
リバイズドテクニックに書いてある基本的な方向や、
ステップの名称は、踊り方を多くの方に伝える為の
技術チャートであり、物差しで測るような踊りをしていると
机の上の踊りと成ってしまいます。
もちろん、我々プロも、基本説明をしたり、テストなどの
評価をする時は、その基準を持って評価するのですが、
二人の実際の社交ダンスの踊りとしては、全く違い
それぞれの音楽的解釈や、運動表現が、如何に
二人の身体の条件に合い、音楽とマッチしているかを
評価します。
社交ダンスが上手に踊れるかと言う事は、その都度
流れる音楽と相手に対し、周囲の環境に配慮した
最適の踊りが出来るかどうかと言う事です。
例え、同じ相手といつも踊っていても、昨日の踊りと
今日の踊りは全く違います。
常に二人に感情表現と音楽によって変わって行くのが
社交ダンスの真髄でもあるのです。
それ故、誰と踊っても、全身の感覚が直ぐに相手を捉え
どの様に踊ったら良いかの判断が出来るのです。
一人で踊ったり演技したりする踊りは、自分だけの感覚で
自分の思いを追求すればいいのですが、社交ダンスは
相手の思いが自分に反映して、自分の踊りを作るのです。
それ故、自らの技術の精度や運動能力は大切ですが
それ以上に、相手と音楽を感じる能力が無いと、どんなに
練習を重ねても、納得できる踊りは難しいのです。
例え、プロから高度な技術を学んでも、様々なステップを
覚えたとしても、それが生かされるには、対人センスや
音楽センスを磨かない限り、無駄な技術練習と成るのです。
普段の生活と同じく、身の回りの人達が、如何に気持ち良く
生活できるかを考えていると、トラブルは起こらないものです。
自分の主張をする為には、相手がその主張を望む様に
振る舞わなければなりません。
その為には、もっと深く、パートナーとしてだけでなく、
一人の人間として、愛し理解する事が大切と言えます。