社交ダンスを踊る人は、誰しも、自分が描いている
理想の踊りがあります。
それは、何と言っても、自分が満足できる踊りです。
一人一人の顔が違う様に、その踊りは、自分を喜ばせる
唯一無二のものなのです。
誰もが素敵と思う踊りであっても、本当に自分自身の
心に満足を与えると言う踊りは、殆ど有りません。
例え心から感動したと言え、その殆どは、自分以外の
感動の対象が、比較的に素晴らしかったのであって、
さらに上回るものは、世の中にいくらでも在るのです。
その為、人は、なかなか満足という事は得られず、
常に、新しい感動を求め続けるのです。
生活を豊かに便利にして、自分の心を満足させようと
常に、世の中の流れや周囲に気を配っているのですが、
時に、その、満足の対象を得る事が、自分が求めている
心の目的と思ってしまいます。
その為、より豊かでゴージャスな生活や物品を手に入れれば
自分の心は満たされると思ってしまいます。
ところが、求める対象を如何に豪華にしても、実際は、
いつまでも心が満たされない方も多いのです。
社交ダンスを習っていると、少しでも技術を身に付け、
素晴らしい踊り手の真似をして、自分の演技が
誰もが素晴らしいと認めてくれるような外見を作ろうと
努力する事が多いです。
自分の技術や演技力が上がれば、先生からも褒められ、
周囲の人達からも称賛を受け、自分の心は満足すると
思って、頑張っている踊り手も少なく有りません。
しかし、一生懸命頑張って、沢山の技術を身に付け、
言われた通り踊っているのに、一向に上達せず、
自分の思いとは裏腹に、踊りに精彩を欠いてしまい、
思い悩んでしまう場合も結構あるのです。
いわゆる、スランプの状態が、練習を積めば積むほど
まるで足かせの様に重く被さって来ます。
こんな時、人は、自分の能力の無さ、才能の無さと
マイナス思考に陥りがちです。
でも、この状態は、能力の無さでも、才能の無さでもなく、
自らが選んだ状態なのです。
努力の道筋をよく考えてみれば解りますが、何の為に
努力しているのかが良く解っていないのです。
自分がしっかりと努力すれば、おのずと道は開けると
言うのは、基本的に正しいのですが、実際に、自らが
何をしようとしているのかが理解されていないと、
自分の思いとは逆の、泥沼に入って行くのです。
社交ダンスは、一体どうやって踊るのでしょう。
そんな事、言われなくても解っていると言う人に限って
深い悩みに陥るのです。
まず、音楽が自分たちが何をするのかを教えてくれます。
そして、目の前のパートナーが、どの様に動くかによって
自分の技術が決まって来るのです。
音楽は、ただリズムを取っていれば良いのではなく、
その流れるメロディーの中に、様々な色彩陰影があり、
演奏する人々の思いが託されています。
その思いを、多くの楽器や歌い手が、調子を合わせる為
リズムがあるのです。
つまり、私達の踊りも、リズムを合わせる事に依って、
その曲の中に流れる思いを伝えなければなりません。
次に、パートナーは、踊る時、とても大切な存在であり、
自分の踊りが生きるも死ぬも相手で決まると言っても
過言では有りません。
このことは、素晴らしい能力のあるパートナーと言う
意味では有りません。
その人の技術が、思いのままに邪魔されることなく、
発揮できると言う事です。
つまり、無理やり動かされたり、バランスを崩される事は
気持ちよく感情表現が出来ないのです。
社交ダンスに限らず、二人で協力して何かを成すと
言う事は、お互いの能力が最大限に引き出される事が
最も大切なのです。
その為に、一番重要な事は、どれだけ、相手の思いを
察して、相手が、何を求め何をしたいのかを、常に
感じ取りながら踊る事です。
一生懸命努力して身に付けたテクニックは、相手の
思いをより豊かに発揮する為に使用するのです。
習った技術を自分の為にだけ行っている踊り手が、
本当に多いです。
やっている事は正しくとも、コンタクトを取った途端に
悲劇が生まれるペアが少なく有りません。
しかも、二人共、自分の事しか考えられないと、
すでに、社交ダンスの領域からは、完全に外れて
格闘技に転向する事を薦めたくなります。
お互いがお互いの技術を如何に発揮できるように
神経を集中する事が大切で有り、踊っている時、
頭の中に在るのは、相手の存在と音楽です。
自分が身に付けている様々な技術や運動能力は
反射的に使われ、これ見よがしに、自分の運動を
見せている様では、マナーとしても最低です。
あらゆる対人的スポーツのトレーニングは、
相手に反応して、一番的確な技術を無意識に
出せる様に行っているのです。
自分の姿や運動を見せるのは、シングルで行う
運動であり、その典型的例は、ボディビルディングです。
社交ダンスは、組んだ途端、自分の能力が、相手により
グレードアップして開放的に自然に生まれるものです。
お互いに、相手がより気持ちよくなるように踊るのです。
相手によって、自分の存在が認められ、より豊かに
演じられる時、社交ダンスの最高の喜びが生まれるのです。
その時、技術も衣装も、全てが、自分の存在を引き立たせる
道具となって生きてくるのです。
男女が個人的に身に付けるテクニックや運動表現は、
常に相手の為に有り、パートナーの存在を認めて踊る時
初めて生きてくるのです。
沢山の技術や表現のテクニック、更にはステップ、ルーティンと
覚えたことが自分をがんじがらめにしている、自称上級者が
苦しみの泥沼に陥るのです。
その重い鎧を取り去って、相手の事音楽の事を、
素直に感じ取る事が、社交ダンスが上達するには大切です。
自分に身に付けたものを取り去ったとき、何の魅力も感じない様では
社交ダンスを踊ってる意味は有りません。
人生においても、裸になればみな同じ、貧弱な人間です。
しかし、生物学的には同じであっても、その存在は、
人々に感動を与え、自らを本当の幸せに出来るのです。
この豊かな人間性を求めて、人は生きているのです。
社交ダンスは、踊りを通じて、自分の心と身体を育てることが
出来るのです。
まずは、目の前のパートナーを全身で感じましょう。
世界で一人の素敵な人なのです。
その人こそが、自分の心を本当に満たしてくれるのです。