私達の生活は、基本的に自分の思い込みで
成り立っています。
だろう、らしい、と言う想像から、違いない、そうだ、と
自分本位の考え方で日々暮らしています。
例え、夫婦であっても、パートナーであっても
自分の考えと同じ考えであると思いがちです。
しかしながら、どんなに長く連れ添った夫婦であっても
多くの部分で、自分とは全く違った感覚で考えたり
動いたりしているものです。
更に言えば、思い込みと共に、相手の気持ちを察して
トロブルが無いように、反射的に振る舞う事に因って
殆どの場合、問題を回避しているに過ぎません。
夫婦やペアが、長く続いているのも、御互いの気持ちを
察する事に因り、上手く立場を変化させて、摩擦を回避し
外見的には、意気投合している様に見えるのです。
その為、二人が息を合わせている様で、実は、御互いの
テリトリーを侵害しない様にしているから、ペアとしての
関係が長続きしているとも言えるのです。
それ故、年をとると、御互いが空気の様な存在感じるのは
御互いの本質を変えることなく、自分の考えを主張しない
関係を作り上げたと言えます。
ところで、社交ダンスは、二人の息が、ピッタリと合っていて
見ていて、一体感が無ければなりません。
しかしながら、多くのペアが、御互いに様々な不満を抱き
中には、直ぐにペアを解消してしまう場合もあります。
この事は、二人にとって最悪の結果でもありますが、
問題は、御互いが自己主張する事に因って生まれる
トラブルでは有りません。
主張を聞き出せなかった事に原因が有ります。
夫婦でも、中身は、全く赤の他人であり、考え方も
生き方も違っているのです。やはり、同じようにトラブって
分かれてしまう事が多いのです。
その為、長い間に、相手に対して主張しなくなり、
御互いの心に立ち入らないテクニックを身に付けているのです。
しかし、社交ダンスは、その様な、相手に関わらない関係は
むしろ演技的にはマイナスであり、しっかりと、相手の事を
知って行かなければなりません。
その為には、常に、踊っている時の相手の音楽や自分に対し
どの様な気持であるかを尋ねる必要が有ります。
全身の感覚で相手の様子を感じ取るには、長い年月と
キャリアが必要です。
しかし、尋ねる事に因って、自分とは全く違った感覚で
踊っているのを知ることが出来ます。
例え、ピッタリと思いのままにファローしていたとしても、
その時の気持ちは、全く裏腹であることもあるのです。
しょせん人間は自己主張が強い動物です。とは言っても
社会生活をトラブルなく続けるには、その部分を見せない様に
相手の気持ちに沿う様にふるまう必要が有ります。
ところが、芸術的表現と言うのは、心の中の感性を表します。
相手の本当の気持ちが解かると、自分が何をしたらいいのか
どの様にリードしたらフォローしたら良いのかが解って来ます。
結婚生活を長く波風無く続けるには、片目を瞑っている事も
大切です。しかし、短い音楽の時間に、二人の心を表わすには
御互いの本音の所でやり取りしないと、思い込みで踊っていては
いずれ二人の踊りがつまらなくなったり、豊かな感性が生まれず
より芸術的な表現が出来ない様になりがちです。
相手の本当の気持ちに愕然とする事も有ります。
しかし、これは音楽に対する感覚の違いです。
日常生活では有りません。
二人の心の感じ方が違っている事を理解する事で
より豊かで芸術性のある踊りが生まれるのです。
誰もが自分を否定されることは辛いものです。
しかし、否定ではなく、思いの違いであって
ペアとして進歩する為の大きな糧と成るのです。
二人の本音が溶け合って生まれた踊りは
世界で一つの芸術作品と成るのです。