社会に於いて、男女が同等に権利を認められ、
対等にスキルを発揮できる様になってきているのに
社交ダンスに於いては、いまだ、男子の一方的な
力によるリードと、意思のない、女子の隷属的な
遠い昔の日本を想わせる踊りが存在しています。
特に、踊る方々の年齢が高くなるにつれ、その傾向は
顕著に見られ、社交ダンスの本来の目的とは異なった
技術的にも、表現的にも、不自然な踊りが感じられます。
特に、男子に於いては、長年社会の様々な世界で働き
多くの実績や地位を得てきたりすると、プライドが先行し
女子を一人の自分と対等な人間として見られない方が
少なくありません。
社交ダンスは、極端に言えば、男子が、いかに、女子を
エスコートし楽しませることが出来るか、と言うヨーロッパの
レディーファーストの文化から生まれたものです。
日本の亭主関白的な感覚では、テクニックも表現も
踊り辛く成るように出来ています。
特に、男子の少ないサークルやグループに於いては、
いかに男子の言いなりに付いて行けるかが、お相手を
してもらうための条件になっていたりする場合もあり、
女子にとっては、本来の社交ダンスを踊れない環境が
生まれていないのが問題です。
更に、女子に於いても、自分の踊りのノルマに夢中で
男子が、一体何をして欲しいのかを全く察する事が出来ず、
頭の中の自分のイメージで暴れている、グループの中で
一番上手と思っている女子に多い傾向も有ります。
どちらにしても、社交ダンスを踊るにあたっては、
楽しいと言うより、自己満足の踊りしか出来ず、
とても相手の事を思いやる、大人の踊りとは程遠い
格闘技の様な内容になってしまいます。
今、世界中で発生している様々な争いも、御互いに
相手の事を考えられず、一方的な自己主張の結果
あれ程にも悲惨な状況が生まれているのです。
例え、ダンスと言え、いかに、相手の気持ちを察し、
御互いに助け合えるかが、二人の踊りを美しく
魅力的にする大切な条件と言えます。
自分の心の中だけの感覚は、とても狭く小さなもの、
外に目を向け、相手の気持ち、音楽の世界を
深く感じる事により、より一層、心は豊かになり
その喜びは、無限に広がって行くものです。