社交ダンスを含め、様々なスポーツは、
外見的には、その種目の特性が見て取れ、
見た様に身体を動かしている様に感じられ、
その様に真似をすれば、思う様に演じられ
楽しさを得られると思いがちですが、
殆どの場合、目で見える部分は、単に
その瞬間の印象であり、演ずる人の身体の
全てを説明しているのでは有りません。
簡単に言えば、見た人が印象を持った部分や
運動がその人の習得した知識と成ります。
例えば、足型が気になる人が、踊りを観れば、
そのペアの印象の多くが足型からと成り、
ホールドが気になると、同じく、ホールドが
そのペアのイメージと成るのです。
つまり、外見に囚われると、踊り手の、ほんの
一部を持って、その踊りが作られていると
思ってしまい、その他の部分が失われ、
実際に、踊ってみると、自分の印象とは程遠い
落胆を呼ぶ踊りとなってしまうのです。
確かに、レッスンに於いても、様々なパーツや
要因を説明し、その事から、踊りを作り上げ
表現を創っていくのですが、知らない部分を
指摘され、覚えたとしても、しょせんは、一部を
覗いたに過ぎず、やはり、長い時間をかけても
上手にはならないのです。
大切な事は、どんな部分やテクニックを練習しても
常に、何をしているのかが心に無いと、
どんなに素敵なレッスンを受けても役に立たず、
むしろ、自分の踊りが壊れたり、個性を失ったりして
踊る楽しみみが失せてしまう事が多いのです。
先ず、大切な事、それは、常に、心の中に音楽と
眼の前の相手を感じて、その時習っている事を
理解して行くのが重要です。
日本人は、とかく、部分に囚われがちで、
レクチャーを受けるたびに、その時に演じられた
コーチャーの見た目の運動を真似する事に
頭の中が集中しがちです。
どんな素晴らしい演技も、その時流れている音楽を
表現する為に行っているのです。
身体の各部分を、マニュアックに動かす事だけに
心を奪われると、特殊な表現になってしまい、
見ている人の心が遠のいてしまいます。
今流行の、6パックを自慢する若者は、異性に
嫌われがちな事からも言えます。
素晴らしい肉体は、目的の演技やスポーツをする為
見せる為は、ボディビルダーの世界のものです。
社交ダンスも同じく、様々なテクニックやボディワークは
二人を通じて音楽を具現化するものなのです。
いかに音楽を表現できるか、御互いに、心を通じ合い
美しく感動的な踊りを見せられるか、その目的の為に
様々なテクニックを覚え、厳しい練習をするのです。