ブログネタ:年末年始、楽しみな番組
参加中菜之花がまだ子供であった頃、不思議に思うことがありました。
当時、家族と一緒に住んでいた町には一軒の日本料理店がありまして、いつ行っても京都出身の無愛想な親父さんが黙々とお寿司を握っておりました。職人気質の頑固な方でしたので、食べ物に関しては特に我侭で、遠慮なくいろいろと注文をつける菜之花の父とはしょっちゅう言い争ってばかり、時には「もう食わせてやらんから出て行け」なんて言われていましたが。それでも味は子供ながらに美味しいと思いましたね。父も愚痴を零しながらもそのお店には良く行き、また親父さんも愚痴を零しながらも父の好みのものを出していたところを見ると、それほど嫌い合っていたわけでもなかったのかもしれませんが。
(因みに現在は二代目さんが青山の方で京都料理のお店をやっていらっしゃるようです)
ところが普段は頻繁にそのお店に通う父なのですが、冬から春にかけては余程のことがない限り、決して行こうとしないのです。
その理由は――「紅白歌合戦」。
まだビデオなどない頃ですからおそらく録音だけだったと思うのですが、その時期になると必ず店内で大晦日のあの番組を繰り返し流すんですね。しかも主に演歌の部分を。
あまり音質も良くなくて、演歌とは全く縁もなく育ってしまった菜之花には「ちょっと煩い」「変な声」程度のものでしたが、父は生憎、大の演歌嫌い。演歌が好きな人は感性がおかしい、なんて言い張るぐらいのアンチですから、そんなものが流れている店で食事をするのも嫌なら、そんな場所で食事が出来る他のお客さんの顔さえ見たくもない。だからどうしてもそのお店に行かなければならない時には親父さんに、自分がいる間だけでも別の音楽にして欲しいと頼んだりするわけで。
でも親父さんとしては、父のこの我侭だけは妥協するわけにはいかない。そしてその時期にこのお店に来る他のお客さんを見ていると、これは絶対父の方が無理を言っているな、と子供にも分かるんです。皆さん、飲んだり食べたりはしていても、それはまるっきりおまけで、本当はこの録音を聞きに来ているんだと分かるような顔つきなんですね。無論、大晦日はもうとっくに過ぎているんですが、店内は日本での12月31日になっていると言っても過言じゃない。今と違って例え大手企業の人でも、そうちょくちょく帰国なんか出来ない時代です。普段はきっとばりばりお仕事をしているリーマンさんたちが、ホームシックと安心が入り混じった子供みたいな表情で、恍惚となって雑音交じりの演歌に聞き惚れている様子は、何となく不思議な光景であると同時に「紅白歌合戦って凄いんだなー」と小学生の菜之花にも思わせるようなものでした。
ですが、大人になって改めて考えてみますと、果たして紅白歌合戦自体がそれほど凄いものなのか、それとも大晦日という日の定番だからこれほどファンが多いのか、分からなかったりしますが。
少なくとも人間の心理はどの国でも同じのようで、普段は全く迷信や伝統に興味がない人でも、大晦日には一日の過ごし方も、食べる料理も、人によっては新年を迎える場所にも、深い拘りがあるようです。普通の日には靴紐を三度結ばなければ外に出られない人を強迫性障害じゃないかとか言いますが、不思議とお蕎麦を食べなかったら何となく不安だとか、どんなに忙しくても家の中の掃除をしておかないと年越しした気分になれないとか言うのは強迫行為とは見なされないようです。
それは菜之花が住んでいる国でも同じでして、こちらでは大晦日に茹でた鯉を食べ、鉛の塊を火で溶かしてから水に放り込んで出来上がった形をいろいろなものに例えて来年の運勢を占い、真夜中になると悪霊を追い払う為に花火を上げて、ジャムが入ったドーナッツのような揚げ菓子を食べる。しかもその合間にも各家庭によって若干異なる大晦日の風習がありまして、それまで取っておいたクリスマスツリーに飾られているお菓子を食べたり、真夜中に教会に出かけたり、マジパンで出来た豚ちゃんや四つ葉のクローバーを友人に配ったりします。
(四つ葉のクローバーは日本でも縁起が良いとされていますが、豚は何かと言いますと、こちらでは努力せずとも富に恵まれることを「豚を持っている」と表現するからです)
そしてこれだけ多くの「やらなきゃならんこと」があるにも拘らず、大抵の家庭では必ず毎年、決まった時間にテレビをつけて、これまた紅白歌合戦並みに人気のある「大晦日定番番組」を見るわけですな。
但しこの番組、たったの18分で終わるという、非常に短いものですが。しかも過去50年間、ずっとモノクロ版の再放送なのですが、欧州中で見ている人が大勢いるというのに字幕も吹き替えもないという、唯の英国の寸劇でして。
題名は
「一名様の晩餐会、別名90回目のお誕生日」
(Dinner for One, or The 90th Birthday)
これだけでは何故、大晦日の定番になるのか分かりませんので、かいつまんで内容を話しますと。
舞台はこの日、90歳になるお金持ちのオールドミスが住むお屋敷。この女性、若い頃には誕生日に四人の崇拝者たちをディナーに招待し、一緒にお祝いしていたのですが、生憎その紳士方は一人また一人と亡くなってしまい、今は老嬢だけが残っている。それでもこの人、誕生日になると数十年前から全く変わらないフルコースを用意させ、自分を入れて五人分の席を設けて、立派な食堂で晩餐会を催すのですな。但し、肝心なお客さんたちはもういないので、代わりに老嬢に仕えるこれまた年取った執事が四人の崇拝者たちの役割を受け持ち、それぞれの癖を真似しながら給仕の傍ら、お食事のお相手も務めるわけです。中には飲兵衛だったり、巻き舌で演説したがったり、乾杯の度に最敬礼をする軍人の客などもいるのですが、主人思いの執事さんは必死で声色を使って全員を演じ分ける。ですが彼ももう年なので、疲れてくると度々、老嬢に「去年と同じやり方でしょうか、奥様」と訊ねます。そして毎度、老嬢は「例年通りのやり方ですよ、ジェームズ」と笑顔で答えて。
結局、四人分のシャンパンを飲まされた執事はかなり出来上がってしまうのですが、食事が済むと席から立った老嬢は、もう私室に戻る、と言い出します。それを聞いた執事は情けなさそうに、「去年と同じやり方でしょうか、奥様」ともう一度訊ねますが、老嬢が再び例年通りだと答えれば「では何とか今年も頑張らせて頂きます」と言い、奥様を抱きかかえて彼女の寝室に向かう、というお話です。
おそらくこれでもまだ、何処が大晦日なのか分からない人はいると思うのですが、考えてみるとかなり理に適っている内容かと菜之花は考えております。だって大晦日と正月ほど、終局と新たな出発を感じさせるものはないですし、周りにもう誰もいなくなってしまっても、尚且つ「例年通り」に拘る老嬢の執念とも言える生への愛着や、そろそろお迎えが来ても当然なお歳であるにも拘らず、執事とベッドインまでしてしまう恐るべきパワーは、何となく心細くなりがちな年末の哀愁を吹き飛ばしてくれるものですから。
この「一名様の晩餐会」は最も再放送が多い番組としてギネスブックにも載っておりまして、スイスでは初めて放送された際、視聴率47パーセントという記録的な数字を出しています。執事と老嬢の役者さんたちが非常に演技上手であるのに英国では全く認められることなく、この寸劇以外では無名のまま亡くなられているというのも人気の原因の一つなのかもしれませんね。
(老嬢役のメイ・ウォーデンさんは一応「時計仕掛けのオレンジ」にセリフなしの脇役として出ておりますが、執事役のフレッディ・フリントンさんはこの寸劇で漸く有名になった直後に亡くなられています)
因みに以前、ニュージーランドに引っ越した友人の話によると、大晦日にはこの番組を録画したDVDを見ながら、欧州から来た人たちと新年を祝うんだとか。
やっぱり彼らも子供みたいな表情でうっとりとテレビに釘付けになるんだろうか。
…そうであって欲しいなあ。