近いうちにブログ再開を目論んでいる菜之花でございます。
 ですが、ちょっとまだいろいろな資料が揃わない為、今しばらくお待ちくださいませ。

 わざわざいらして下さった方にはせめてのお詫びに、暫くの間は菜之花の好きな音楽などをご紹介いたします。
 ジャンルはクラシックからヘビメタまで何でもあり。
 拙いながらにちょっとした解釈もつけておきますぜ。

 というわけで。

 記念すべき一曲目は菜之花が大好きなウィリアム・ウォルトン卿の作品です。
 ウォルトンさんは英国の近代作曲家の代表ともいえる方で、ジョージ六世(あの映画「キングズ・スピーチ」の王様ですね)の戴冠式行進曲や、その娘にあたるエリザベス女王の戴冠式にも行進曲を作曲したり、あのバイオリンの天才ハイフェッツの為に協奏曲を書いたりと、数々の名曲を残しています。
 行進曲だけ聴いているとエルガーに似たところがあるんですが、エルガーに比べてずっと上品で格調高く、それでいて大変聞き易い曲が多いですね。でも、この人の交響曲や弦楽四重奏など、必ずしも一般向けではない作品は、如何にも近代らしく大胆なものもあるんですが。

 然し、この人の真価は歌曲にあるのではないかと菜之花は思っております。
 作風がこれと定まっていない人でしたから、シェークスピアの詩ならルネッサンス風、マザーグースは童謡風、中にはジャズっぽいのやらフォークっぽいのやらと、よくもまあここまで書き分けたと驚くばかり。しかもどれもなかなかお洒落で、畏まってコンサート・ホールで拝聴するよりは、高級酒のおつまみにしたいような。

 ここで紹介してみるのは1932年に作曲された「ダフネ」という歌曲です。

 歌詞はイギリス王室の遠縁に当たるエディス・シットウェルさんのもの。これまた英国の近代ポエムの大御所とも言える人ですが、ウォルトンは彼女の「ファサード」という詩集も組曲として作曲しています。





 如何ですか。
 この曲、旋律がR.シュトラウスに良く似ているんですね。シュトラウスも「ダフネ」というオペラを書いていますが、その幻想的な雰囲気を思い出させるような、ちょっと印象派的な曲です。
 この歌詞もまた不思議なもので、こんな感じです(和訳もつけてみました)


   When green as a river was the barley,
   Green as a river the rye,
   I waded deep and began to parley
   With a youth whom I heard sigh.
   " I seek, " said he, " a lovely lady,
   A nymph as bright as a queen,
   Like a tree that drips with pearls her shady
   Locks of hair were seen.
   And all the rivers became her flocks
   Though their wool you cannot shear, —
   Because of the love of her flowing locks . . .
   The kingly Sun like a swain
   Came strong, unheeding of her scorn,
   Bathing in deeps where she has lain,
   Sleeping upon her river lawn
   And chasing her starry satyr train.
   She fled, and changed into a tree —
   That lovely fair-haired lady . . .
   And now I seek through the sere summer
   Where no trees are shady. "


   麦が川のように青く
   ライ麦の川のように青い時期
   私は深い水の中を徒渉しながら
   溜息をついている一人の青年と話し始めた。
   「私は探しているのだ」と彼は言った、
   「美しい女性を。女王のように輝くニュンペーを。
   その巻き毛からは影が真珠のように零れ落ちていた。
   まるで木であるかのように。
   そして全ての川が彼女の羊の群れだった、
   彼らの毛を刈ることは出来なくとも。――
   彼女の巻き毛に憧れた
   王である太陽神は田舎者のように
   力強く現れ、彼女の軽蔑を無視して
   彼女が横たわっていた深みで水浴びしようとし
   彼女の川の岸にある草むらで寝ようとし
   そして彼女の星のようなサチュロスの行列を追った。
   彼女は逃げて、木に変身した――
   あの美しい金髪の女性が。
   そして私は今、木々が日陰も与えてくれぬ乾燥しきった夏の間、
   ずっと彼女を探し回っているのだ」


 大変牧歌的で、ギリシャ神話らしい内容ですが、結構いろいろと追求したくなります。

 ――そもそも、この「私」とは誰なのか。

 全く当然のように深い水の中を歩き回っているんですから、もしかしたらダフネと同じくニュンペーかもしれない。
 青年はアポロン自身ではないかと思えます。あの有名なギリシャ神話にあるように、振られても振られてもダフネを追い掛け回して、彼女が月桂樹に変身するほど追い詰めてしまった太陽(本当は光明ですが)の神様ですね。その後日談としてアポロンが彼女を捜し求めている、という感じでしょうか。

 ですが、「私」はこの悲恋の話を聞いていても、全く感情の動きを見せません。青年の最後の一節は聞き手としては少し同情したくなるのですが(特にギリシャのあの厳しい夏のことを考えると。あの乾燥した猛暑は半端じゃねぇ)、ウォルトンは初めと同じ旋律で曲を終えて、まるで「私」にとっては「あー、そうですか」と棒読みで答える程度のことかのような印象を与えています。僅かに動揺を伺わせるのは、変身の下りの箇所だけ。
 となると、ひょっとして「私」は何とダフネ自身だった、ということもありうるんですね。木になっているから彼には分からない。深い水の中を徒渉、というのも、木の根が川の中にまで張っていたらそういう感じかもしれませんし。そして神話でも言われているように、未だにアポロンさんの感情には何の関心もなく、単に聞き流してしまっているのかも。

 そうなるとアポロンさんはダブルに哀れ、ということになっちゃいますが(まあこの神様は恋愛に関しては常に哀れな立場にあるようだけど。超絶美形のイケメンがこれだけ振られるのはギリシャ神話ぐらいじゃないだろうか)

 神秘的な音楽にして神秘的な歌詞、そして神秘的な内容の題材。
 寝酒のおつまみにでもして、お楽しみくださいませ。