そもそも私が「ゲーム」というものに初めて触れたのは、中学生の頃でしたか。
 その頃、「テレビテニス」と称するゲーム機が出ましてな。
 そう。ゲーム機。だって「テニス」しか遊べないんだもん。
 いや。厳密に言えば「スカッシュ」も選べたんだけどね。でもその頃、欧州では誰もまだスカッシュなんて知らなかったから、遊んでいる人は殆どいないのでありました。

 …とはいえ、テニスにしろスカッシュにしろ、ただ画面両側に棒が二本ありまして、その間を白い○が行ったり来たりするという代物でした。勿論モノクロ。しかもボールが棒に当たると「ぴ」、地面(?)に当たると「ぽ」、つまり遊んでいると「ぴ・ぽ・ぴ・ぽ」と、病院で「生きてますよ」を知らせる機械みたいな音が出るのだよ。それだけ聞いていると医療器具なのかゲームなのか、とてもとても区別がつかんのだ。
 (そういえばメル・ブルックスの「サイレントムービー」でこれがネタになっていたなあ)
 でも当時の私たちははまりにはまって、棒を巧く動かせばボールをカットすることまで出来る!と感動したものです。まだXやYボタンなんてないない。しょぼいダイヤルというかつまみを二つ、廻しながら動かすだけ。それを上手にやればボールにカットがかかる、というわけなのだ。タイミングを外すと虚しく空を打つことになるけど。
 ついでにスカッシュはどんなものかと言いますと、単に両側にあった棒がこの度は二本とも同じサイドに並んでいて…
 後はお馴染みの「ぴ・ぽ・ぴ・ぽ・ぴ(ry)」
 …今時の子供だったら「罰ゲーム」と呼びそうですが、その頃、これを持っている子は大威張りだったのでした。


 その次に葉之花が出会ったのはゲームウォッチの「マンホール」、これは高校生の頃。
 ええ、現在のゲームは親切ですから、どうして主人公が戦わなければならないのか、どういう世界で生活しているかぐらいは説明してくれますとも。それこそそれが分からなきゃ、主人公がふてくされて家に戻って寝てしまうかと思えるほどの勢いで。
 ですが、石器時代のゲームで活躍する英雄には、どんな理不尽な世界であっても、託された任務を疑ってかかる権利さえ与えられていないのでありました。
 
 電源を入れたらいきなり歩道に穴が四つ空いている。

 誰が空けたのか、なんて説明はありません。しかも僅かにでも文明が発達している国であったら、こんな危険な通りはすぐ通行止めになって当然なはずですが、何故かどんどん人が通っちゃうという、そんな世界。
 その穴の地下道みたいなところには手にマンホールの蓋を持ったおっちゃん(にいちゃんかもしれんが)が構えていて、穴の上を誰かが通る度に慌てて受け止めてやり、無事、渡らせる。
 初めのうちは人通りも少なく、おっちゃんものんびりと穴から穴へと移動できます。だが、人が増えてくるとそうはいかない。正に悪戦苦闘。これだけの人数がいるんですから、誰か穴に潜っておっちゃんを手伝ってやってもいいようなものですが、そんな奇特な人はこのゲームにはおりません。
 間違って通行人を落としちゃっても、誰も怪我している様子ではないんだけどね。特に担架も使わず一人で歩いて帰れるみたいだし。
 だから主人公がいなかったら世界が裏返ったり、魔王が世界征服を試みたり、人類が全滅したりという、責任重大なゲームばかりやっていると、いまいちこのおっちゃんの存在意義が分からないのですが。
 …でも時は1980年(だったと思う)
 当時「RPG」という言葉は「ソ連軍の対戦車兵器」の略語でしかなかったのでありました(今、こちらの意味を知っている人は何人いるんでしょうかね)
 つまりまだ、ゲームの主人公にはマンホールの蓋を担ぐよりももっと格好よく、やり甲斐がある任務も存在し得るのだとおっちゃんに教えてやる人もいないわけで。
 だからマイ・ヒーローは汗水垂らしながら、延々と一人寂しくマンホールの蓋で他人様を受け止め続ける。

 …一体何者なんだ、おっちゃん。

 よっぽど人件費が安い国で、道を直すよりはこのおっちゃんを雇う方がましなのか。それとも未来の文明国には刑務所がない代わりに、マンホールの蓋で人を掬うand救う刑でもあるのか。はたまたこのおっちゃん、新興宗教の修行者で、こうやって我を顧みずに人を助けろと説いているのか(でもそれだったら外からは見えないだろう穴の中に潜っているのはお馬鹿だと思うけど)妻子がいるとしたら「父ちゃんはなあ、毎日マンホールの蓋で人助けしてるんだゾ」と胸を張って話しているんだろうか。それとも普通のサラリーマンの振りをして朝、スーツ姿で家を出てから、こそこそと何処かの駅トイレで仕事着に着替えて穴に潜るのか?
 
 こう考えてみると、何故いくら探してみても「マンホール」の同人誌がないのか、不思議にさえ思えてきますな。結構、萌え要素があるようにも見えると…見えませんかね?

 因みにこれ、テニスと同じくセーブ機能なんていう、進化論的に言えば車輪のようなものは、勿論まだついていませんでした。しかも電池はボタン型だったんだけど、これがその頃、まだこちら欧州では殆ど売っておらず。つまり、上手になればなるほど長時間立て続けにプレイすることになり、電池が弱ってきておっちゃんが殆ど透明人間と化し、生体反応の音が消えかかって不規則になっても、まだまだ新しいのを入れるのは勿体無いと手探り状態で遊び続けたわけ。慣れてくれば結構、これでもいけたのだ。速度は段々鈍くなるけど。

 「ぴ・こ・ぴ・こ・ぴ ・こ ・ ぴ
 …最後なんてこんな感じで、呆気なくご臨終。

 それから何年も経って、カラーになったゲームボーイからこのゲームウォッチ時代のゲーム集が出た時に、菜之花も無論、懐かしくて買いました。
 だけど折角手に入れたのにすぐ飽きて、強請られるまま数日後には知人の子に惜しげもなく上げてしまい…
 初めは数年間のブランクの間、ドラゴンクエストやらファイナルファンタジーやら、またグラディウスやスーパーマリオやらと、とっくに石器時代から抜け出して全盛のローマ帝国となった作品を遊んでいたのが、こうも早く飽きる原因かと思ったのだけど。
 
 違うんだな。

 よく考えてみるとあの頃のゲームの不安定さ、セーブが出来ない真剣勝負、耳障りな電子音や遊び過ぎると段々と反応が鈍くなるちゃちなボタンなど、そういう欠点こそが足りないんじゃないかと思えたりして。

 残念ながら、それを確かめようと思っても、既に昔のゲームウォッチはなくしてしまっていて見つかりませんでした。もしかして、かのアザラシと天才を組み合わせたようなニーチェという超人オジサンが言っていたことは真実だったのかも。

 「あなたの心の中に残った英雄は捨てずに、そのまま最強の希望として取っておきなさい」

 …例えそれがゲームの英雄であっても、ね。