日本メーカーの凋落 | いっちゃんのひとり言

日本メーカーの凋落

世界初の電気洗濯機は1908年にアメリカ企業が販売した。

日本での国産電気洗濯機の登場は1930年だった。芝浦製作所(後の東芝)がアメリカ企業から技術を導入し、開発したという。

当時の庶民には高根の花だったらしいが、戦後に洗濯機は年々普及していった。

家事の中でも特につらい作業の負担を軽減し、女性の社会進出を後押ししたのだと、新聞の「暮らし欄」の記事を担当してきた『家庭通信社』の社長が話していた。

東芝は、冷蔵庫などの家電でお茶の間に浸透した名門企業だったが、アジア勢に押され、不正会計で評判を落とし、原子力事業で負債を抱えるなどして凋落した。

東京証券取引所での株取引が終わり、年末12月20日に上場廃止となった。

要求の厳しい海外投資ファンドと別れ、国内ファンドを軸とする国内企業連合の下で経営再建に集中するための非上場化だ。

中部電力、オリックスなど約20社が出資したという。

洗濯機など白物家電部門は数年前に中国企業に売却している。

電気自動車に使われるパワー半導体事業などで稼ぐ気とも伝えられるが、簡単ではなさそうだ。

12月20日同日、ダイハツの車の性能や強度の試験で虚偽記載などの不正が横行し、社は国内外で生産する全車種の出荷を停止した。

第三者委員会は、「不正は組織的ではなかった」と認定したが本当なのだろうか。

ダイハツ工業が2011年に発売した低燃費、低価格の軽自動車「ミラ イース」は当たった。

「ミラ イース」の成功体験から社が短期開発にこだわったことが現場の時間的余裕を奪い、不正の一因になったとのでは?と、読売、毎日、産経新聞では同意見の記事だった。

担当者らの苦労話が18年発行の社史にある。

09年の東京モーターショーに出した、技術の方向を表す展示用コンセプトカーが基だ。社員の一人が語る。

「モーターショーで当時の社長が壇上で『これはコンセプトカーで、2~3年後に見直して売ります』と宣言したのです。われわれはその話をその場で初めて聞いて驚くのと同時に、すぐに見直しをしなければならないと思ったのです」。

できぬことをできぬと言えぬ組織風土。

幹部の責任は重いが、不正をした社員は街でダイハツ車を見かけるたび罪悪感に苛まれなかったのだろうか。

あるいは「大したことない」と自らに言い聞かせ、やがて何も感じなくなったか。

社史では、当時の会長が従業員は組織の歯車ではないと唱えていたそうな。

会社と人を身体と細胞に置き換えてみた。

細胞が元気でなかったら身体は病気に陥るのは当然だろう。

東芝はこれから、お金を出す新たな伴走者の信用を維持していくために猛進するのか。

ダイハツは―――再生への道の険しさを思う。

 

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