41年前の新人時代 | いっちゃんのひとり言

41年前の新人時代

2023年(令和5年)も間もなく終わる。

私も来月の2日には65歳の誕生日を迎える。

昭和34年(1959年)に札幌で生まれ、生後1年で練馬区に引越して、大学を卒業するまで東京で生活をしてきた。

昭和58年(1983年)に野村證券に入社し、仙台支店の配属になり、東京を離れたのはその時が初めて。

3年8カ月、仙台で生活をしていたが、それ以降は全て東京で暮らすことが出来た。

ビジネス人生も来年の3月で満41年となる。

数多くの人々たちに助けられ、支えられて、今日まで仕事をすることが出来た。

地縁も血縁も何もない地であった仙台で色々な方に私の顧客になって頂いた。

東京から来た札幌生まれのDNAは茨城の若造を仙台の方々は優しく受け入れてくれた。

今も目を閉じると、仙台駅から見降ろした風景が目に映る。

41年前の若き私は高揚感と不安とが入り交じり、妙に興奮していたのを新鮮に覚えている。

野村證券に入社したという運命を、必ずいい方向へ持っていくぞという覚悟を決めた瞬間だった。

どこの支店だったら、都内の支店だったらなどと言う言い訳は思い浮かばなかった。

命じられた仙台支店で、必ず市村洋文という大輪を咲かせてやると心に刻んだ。

同期158人の中で最年少で支店長になってやるという高い目標を掲げた。

その目標を紙に書いて「明生寮」の自室の机の前の壁に貼った。

そして、目の前の名刺集めの一日200軒飛び込みの40枚名刺集めを毎日必達した。

毎日が自分との格闘であった。

野村證券と言う大組織に属しているが、自分の気持ちは常に「市村商事」の社長のつもりで働いた。

自分の仕事の結果は就業時間の中で出す。

故に、就業時間外に私は仕事の準備業務を一人でコツコツとやっていた。

そして、今がある。

 

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