『無舌居士』
今日は、近代落語の祖と称される三遊亭圓朝(えんちょう)の話。
明治時代の噺家で、数多くの優れた人情噺や怪談噺を創作し、当時の言文一致運動(書き言葉を話し言葉に近づけようとする運動)に多大なる影響を与えたと言われている。
代表作は、『怪談牡丹燈籠』。
平成生まれには馴染みがないかもしれないが、昭和生まれの我々にとってはあまりにも有名すぎる作品である。
さて、この三遊亭圓朝であるが、生前に『無舌居士(むぜつこじ)』という戒名を与えられている。
技巧に走って舌先だけで話すのではなく、ただ無心に自分がしゃべっているという意識さえもなく、噺と一つになる噺家を目指せという戒めであった。
そこで、圓朝は次のような歌を詠んでいる。
【閻王(えんおう)に舌を抜かれてしまって是(これ)からは心のままに偽(うそ)も云(い)わるる】
「エンマ様に舌を抜かれてしまった以上、虚実の境など気にせずに、嘘もホントも思いのままに操れる」という意味だ。
つまり、圓朝は「自由自在の境地」を悟ったということ。
高座に上がったとき、客入りの多少や反応に心乱されることなく、いきいきと自分らしい噺ができるようになったという。
何かについて本当の価値を知りたかったら、その何かを手放してみるといい。
自分を知りたかったら、自分を捨ててみるといい。
自分で創り出した自分を殺して一度「無」に返すと、無限の「有」が現れてくる。
日常的に、どれだけ自分の器をからっぽにできるか。
それが自由自在に、つまりは本当の自分らしさにつながっていくのだ。
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