光秀はなぜ信長を! | いっちゃんのひとり言

光秀はなぜ信長を!

2月7日にNHK・大河ドラマ「麒麟がくる」が終わってしまった。

一年間、日曜日の楽しみは、これを観ることだった。

織田信長という日本史上最高の有名人を殺したのが、明智光秀。

何故、信長を光秀は本能寺で殺したのか。

本能寺の変は、今も様々な説が乱立している。

信長殺しの動機につながる事件は調べると山ほど出てくる。

信長は、49年間の生涯の中で、大虐殺を始めとする冷酷な事件を数多く起こしていることに気付く。

それらの事件を検証していくと、光秀が本能寺の変で謀叛を起こした真相が見える。

例えば、1571年に比叡山延暦寺に焼き討ちをかけ、僧侶や女、子供まで撫で切りにしている。

1574年には、朝倉攻めの最中、浅井長政の裏切りで命の危機に瀕した信長は、浅井父子と朝倉義景の頭蓋骨に装飾を施し、それを肴に酒宴を開いたとされている。

同じ年に伊勢長島の一向一揆2万人を焼き殺している。

そして、ドラマにも出てきたが、徳川家康を接待する中で、饗応役の光秀が粗相をしたため、多くの家臣の見まもる中で、森蘭丸に光秀は鉄扇で殴打されている。

怨恨説の根拠か。

しかし、最近は本能寺の変に新説が出てきている。

慶應義塾大学教授の浅見雅一氏による「キリシタン教会と本能寺の変」を読むとおもしろい。

本能寺の変を光秀が起こした理由を知っているのは3人いると言っている。

光秀の息子の十五郎。

細川忠興に嫁いだ光秀の娘のガラシャ。

そして、イエズス会宣教師。

一読を。

 

 

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