火葬場について | 断片の集積

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自分の家の隣が火葬場だったら?


確かにあまり気持ちのいいものではない。毎日毎日喪服の人々が次から次へと現れて悲しみを昇華させて戻っていく。その様子を常に眺めていなければならないなんて、それは厳しい。


でも、その火葬場が毎日使われるものではないとしたら。そして、そこで燃やされる人が、すべてある程度の面識のある人だとしたら?         それならばまあ無くは無い気もする。


火葬場を共有する共同体をつくることは可能なのだろうか?難しいとは思うけれど共同体というものを考えるひとつのきっかけになる気もする。


火葬場で論文を書くという後輩の話を聞いてそんなことを考えていた。



ちなみにある高校は火葬場の隣に建っていた。今では火葬場が移転したため過去形である。今ではそこに火葬場が建っていたということは全く分からないが、その後に他の施設がつくられるということもなく空き地のままである。

僕の友達はその高校の卒業生であり、火葬場が稼働しているときも、閉鎖したときも、その後取り壊された後のことも知っているという。やはり、隣に火葬場があるというのは誰にとっても気持ちの良いものではなかったという。また、事実として火葬場が稼働していた時は高校の生徒か先生が毎年一人亡くなっていたのだが、移転後はそれがなくなったという(ちなみに僕は霊感が無いしこういうことは信じないたちである。僕の高校時代のことを思い返してみると、一年生の時はクラスメイトが事故で亡くなり(彼が事故にあった数時間後に僕も家族とともにその場所を車で通っており、これは本当につらい出来事であった)、二年生の時は他学年の生徒が一家無理心中に巻き込まれるという事件も起こったから、これを単純に火葬場のせいに帰するのはどうかと思う)。


また、火葬場でバイトをしている女子大生のブログをまとめた本によると、「火葬場でバイトをしている」と報告するとたいていは、「え、何を好き好んで?」「他にもバイトの口くらいたくさんあるでしょ?」というリアクションをされるらしい。


いずれにせよ火葬場は嫌われているようだ(現状では関連法令が迷惑施設として扱っており、それが周辺住民の反対運動の拠り所ともなっている)。だからこそ市町村合併とあいまってどんどん数が減り、どんどん郊外へと追いやられている。そして弊害として「火葬場が取れない」という事態が起っている。僕の祖父がなくなった時は一番近い火葬場が埋まっており、バスに揺られ30分程度は走らされた記憶がある。ちなみに特定はしないが場所は東京である。また親父の叔父がなくなった時には火葬場が取れなかったため、すぐにお通夜を行うことが出来ず、死者は数日間(正確な日数は把握できなかった、僕が留学中の出来事なので葬儀には参加していない)自宅で夜を越したという。ちなみに場所は茨城である。また親父が知り合いの葬儀に伺った時、異常に長くバスに乗せられたこともあるという。隣に座っていた人に聞いたところ、近くに火葬場が全くなく、大宮まで行かなければならないのだと説明を受けたとのこと(もちろん埼玉でのはなし)。


このような状況は本当に正しい方向に向かっていると言えるのだろうか。

もう少し火葬場が生活と近いものであってもよいのではないか。


とはいっても火葬場とはそもそもどのような位置づけだったのであろうか?昔は死者を焼くという行為が生活と結びついていたのだろうか。それとも初めから生活とは切り離された次元として行われていたのか。

それを知るためには日本の都市の骨格となっている城下町のケースと農村のケースを調べてみればよいだろう。昔の農村には村八分という言葉が生まれるくらい(そういうことができるくらい)の規模と強さを持った共同体が存在していたわけだし、城下町は一つの大きな社会としての都市が成り立っていたわけだから。


これは僕の論文のテーマではないから深入りはしないが気になったので少し調べてみた。

特に気になったのは城下町においてどういった位置に火葬場が存在していたのかということ。農村の場合はなんとなくイメージできる。人が亡くなったら共同体みんなで決まった場所まで隊列を組んで棺を運び、そこで野焼きをするといったようなイメージである。しかし、江戸時代にしろ、安土桃山時代にしろ栄華を誇った城下町のどういった位置に火葬場が設けられていて、どのように火葬が行われていたかというはのは全く想像もできない。

そこで、江戸時代の江戸がどうなっていたのかということを調べてみた。

江戸の主要な火葬場は

  ・上大崎村増上寺下屋敷火葬地

  ・目黒桐ヶ谷村霊厳寺荼毘所

  ・代々木村狼谷火屋

  ・上落合村法界寺荼毘所

  ・小塚原火葬地          など

があったらしいのだが、いずれも江戸の境界をなす朱引の外縁部に分布していたという。

これらは本来もう少し内側にあったものが市街地の拡張に伴い外へ外へと押し出され、その結果17世紀後半に位置が確定したのだという。この事実の裏には清浄を保つべき将軍スペース(江戸城や霊廟からの距離)の拡大という思惑が見て取れる。つまり「火葬」という方法がメジャーになった当初から、遺体を焼くという行為に大した意味も重みもなく、むしろ不浄で中央にあるべきではない場所と捉えられていたということが分かる。お盆になれば魂が戻ってくると考える日本では肉体を失うという瞬間は意味のないものだろうか?

そう考えてみると遺体が燃やされている間、遺族は何をして待っているのだろうか。何度か経験しているはずなのだけれど、全然覚えていない。炉に入る前に最後のお別れをして、焼いた後には骨上げと型が決まっているけれど… たぶん控室で静かにしているんだろう。そうやって待っているなら、そりゃ覚えているわけがないよな。


一方で遺体が燃やされている時間をとても印象的に描いた小説もある。

 『私は今、屋根の上にいる弟を見上げている。

  火葬場から数十メートル離れたところにある、農具の置かれた小屋だ。春は器用に屋根に上がっていったが、私はそのまま下に残っている。 -中略-

 十分ほど前、父の入った棺桶が火葬炉に入っていくのを確認すると、私と春は、控え室で待つのではなく、そのまま、ふらふらと外に出てきてしまった。二人で田圃道を歩いているうちに、この農具小屋に辿りついた。

 火葬場が真正面に見えた。煙突から煙が上がっている。最近はガス式設備などが広まって無煙のところも多いらしいが、そこは違っていた。火葬される父の煙が、空に向かっていくのが見える。ゆらゆらと気まぐれを見せながら、確実に煙は伸びている。「行け」上から春の声がした。

 何事だ、と二階を見上げる。春が小屋の二階屋根から大声で叫んでいた。 -中略-

人は、脳の中の神経伝達物質の流れで思考をしたり、様々なホルモンの分泌で生活をしているので、死んで骨になってしまったら、人の本質など消えてしまう。どちらかといえば、そう考えてしまうほうだった。 -中略-

 だから、煙を応援している。魂や死後の世界がないとしても、煙は確かにそこにある。それは事実だ。誰にも文句は言わせない。私たちが今、見つめ、縋るべきは、あの実体を持った煙だ、と確信する。のんびりと、しかし着実に昇っていく煙は、父に似合っていた。慎みがあって、好感が持てる。

 「行け!」春がまた叫んだ。 -後略- 』


火葬場を生活に近づけるためには、いかに火葬することに意味を持たせるかにかかってくるのではないか。いかに印象深く肉体が失われていくということを示唆するか。それが生きるということ・死ぬということ・体があるということについて考えるきっかけにもなるし、火葬することが一つの象徴になって火葬場がただの遺体焼却場ではなくなるための大きな手掛かりなのではないか。


ちなみに日本の火葬は世界的に見て先進性と特異性を持っている(らしい)。それは火葬率の高さと会葬者全員で行われる「骨上げ」、すなわち火葬によって具体的に死を確認する所作にみられる、とのことである。そうは言っても明治6年に「火葬は仏葬だ」と廃仏毀釈の観点から火葬禁止令が出されたという事実や、千葉県においては火葬率が1915年ではわずか6.1%、1965年ですらわずか49.5%などというデータを見ると火葬にあまり深い伝統があるとも思えない。だからこそ逆に火葬場の存在、価値観を大きく転換させることも可能なのかもしれないと感じた。


最後に、ちょっと付記しておくと火葬場でのバイトは葬儀社に雇われて火葬場に派遣されるという形で任され、時給は結構いいらしい。今はご遺体がキリスト教信者であることもあるし(牧師さんが付いてくる)、遺族がいないということもあるらしい(施設などで亡くなり遺族との連絡が取れない場合など。葬儀担当者が遺族の代わりをすべて行うとのこと)。


もう一つだけ。個人的な体験なのだけれど、祖父が亡くなり、葬儀が行われ火葬場で焼かれた日というのは僕の成人式の日であった。別に成人式に出られないということに対しては取り立てた感情もなかった(亡くなった時点で受け入れていたし、いろいろなことに忙殺されその日が成人式だということも忘れるくらいだったから)が、火葬場からの帰り道、バスの中から外を見ていたら大きな区立のホールがあってそこから大量の新成人たちが出てきて、「ああ成人式か」と他人事のように感じたことを覚えている。その時、同じようにスーツを着ているけれど全然違う意味でスーツを着ているんだなと漠然と思った。祖父の葬儀における火葬場でのことを思い出そうとしてもその景色しか思い浮かばないし、逆に成人式と言われてもその景色しか浮かばない。そのことを思い出してしまった。



そんなこんなで火葬場のことを考えたお彼岸の一日。まだ帰国してからお墓参りに行っていない。


ちなみに昨日は中秋の満月。必ず満月の日にはワンマンライブを行うバンドのボーカルが出演しているイオンの満月ロゼのCMはすごい心地よい。そこで使われている新曲を今日初めてラジオでほんの少しだけ聞いたけれど、サビになった瞬間にいい曲と出会った時のゾクゾク感を感じた。やっぱり売れてくるとノッてくるのかな。今、すごくいい状態にあるんだろうな。ただただ純粋に心地よい音楽を聴くというのもいいもんだ。こんな日の最後に優しい曲を聞けて良かった。



「火葬場より。女子大生のしみじみノート」 山口奈津江著

「墓と埋葬と江戸時代」 江戸遺跡研究会編

「火葬場の立地」 火葬研究会立地部会編

「重力ピエロ」 伊坂幸太郎著