好きになる | 断片の集積

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主にポルトガルでの生活について

課題はいよいよ個人作業に入った。冷静に考えると、時間はもうあまりなく、アイデアをああだこうだと悩む暇はない。どんどんコンセプトにのっかてドライブして行かないと終わらない気がする。


昨日の先生とのミーティングでもコンセプトについての「その考えは違う」とか、「それでいいと思う」といった指摘はされず、「コンセプトについては理解したから、じゃあ具体的にはどういう機能をどう配置するのか。もっとヒューマンスケールで考えて、可能かどうか検証しろ」という指導を受けた。そう言われたからにはどんどん進めなければならない。そして、どうやって印象的な絵を作るかを考えなければ。


月曜までの課題が急に出て、それをこなすのは結構大変だけれど、それをすることで、モニュメントの理解の仕方、ベレンにおけるモニュメント性と問題点、そしてどのような提案をするかってのが一本につながり、自分の中でもクリアになるはず。提案のときに、問題を解決するというアプローチではなく、それはもちろんのこととして、+αで、こんなに良くなるっていう強いイメージを提案したい。それが一番大切になってくる気がする。


で、昨日授業後にもう一度ベレンに行った。もちろん問題点もあるのだけれど、夕暮れの街を歩いていると、思っていた以上に「地域」がそこにはあって(観光客の姿は数少なくなり、サッカーをする子供、語り合うカップル、家族を迎えに船着き場に集まる車、レストランにわらわらと集まってくる人々などが見受けられた)、「いいなぁ」と素直に思った。美しい夕暮れが感傷的にさせたのかもしれないけれど、今までで一番ベレンがいいところに思えた。


いつも思うことではあるのだけれど、こういった課題のときに、どんどん変えていく提案をしなければならないときに、その場所のことが好きになってしまって、あんまり変えなくていいんじゃないかなあって感じてしまうのは、まずいよなぁ。でも、敷地に足を運べば運ぶほど今まで自分が知らなかったその場所の良さが見えてきて、その場所に愛着がわいてしまい、あんまり変えなくていいんじゃないかなぁって思ってしまう。そう考えると、何度も何度も足を運んだのに、あんまりそういう感情の起らなかった卒業設計の敷地選びは成功していたのかもしれない。


好きになるということだけれど、僕は国内国外かかわらず、旅行した町で「もういいかな」って思ったところは一つもない。いつも「また来たいな」って思ってそこを後にする。それはその場所を訪れることによって、その場所のことを知り、その場所を具体的にイメージできるようになるからだと思う。たとえば富山なんて行くまであまり関心のない場所だった。トラムが走っていると言われたって、どんなものなのか全然想像できなかった。でも行ってみると、大通りの裏を都電のように住宅地を縫って走る新しいデザインのトラムや懐かしさを感じさせる木造住宅地の裏側に小さな川が流れていて宿木があった様子とか、ちょっと細い路地にあるトラムの駅で、スカートの裾をはためかせてトラムを待つ朝の通学時の女子高生の群れとか(やけに視覚的に地面に緑が多くって、それらは朝露で濡れている)何といっても忘れられない新鮮でめちゃくちゃうまい回転寿司とか、そういったものが一つ一つ思い出され、それらは僕にとってとても大切で、美し思い出になっており、富山という場所とそういったイメージが結びつくことでその場所がすごく身近なものに感じられ、また行きたいなって思うのだ。今僕は福井って言われてもピンとこないし、山口って言われてもあまりわからない。でもその場所に行き、自分の足でちゃんと歩けばその場所のいろんな表情が見えてきて、きっと大好きになるのだと思う。


都市レベルでの課題のときは敷地のことをあまり知りすぎないほうがよいのかも。深く知っていくということと、好きになるっていうことは同義なのかもしれないなんて思う。で、これは人に対しても同様にあてはまるかもと思いかけて、やっぱり違うかって悟る。


さあ、課題をやらなければ。