・・・・・・・っということで、全くの行き当たりばったりの旅行です。(^^ゞ
一泊目 仙台
二泊目 八戸
三泊目 女川
となりました。
何で女川なのか、自分でもさっぱり分かりません。
石巻周辺で探していたら、女川に良さそうなビジネスホテルが見つかったというだけ。
石巻も女川も津波の直撃を受けています。
海岸線は高くて頑丈そうな防波堤が完成しています。
走っていると、「ここまでが津波到達地点」なんて看板がたくさん見受けられます。
海岸近くは建物が建っているのですが、まばらです。
当然新しい建物ばかりなのですが、プレハブ建築が目立ちます。
なんかチグハグな印象は否めません。
もう15年経っているのにね。
あと気になるのが、高速道路脇にある自動で放射線レベルを表示する看板。
あの悲劇を忘れたわけじゃないのですが、実際に災害を受けた土地に足を踏み入れると、ああそうだったんだと実感させられます。
泊まったホテルに来てビックリ。
何とプレハブなのです。
プレハブのホテル??
すぐ分かりました、各地から集まってくる復興支援の人たち(主に作業員)のための宿泊施設だったんだ。
ただ宿泊施設(昔は飯場といいましたが)を建てるのではなく、ちょっとレベルを上げて将来はホテルとしても使える仕様にしたのです。
ですから、宿泊施設としては文句ありません。
入った途端に学校のように靴を入れる棚が並んでいるのですが。
多くの靴が並んでいましたが、今でも作業員たちがこの施設で寝泊まりしていることがわかります。
これが朝食ですが、このホテルに住んでいる人たち(身なりも作業服)がほとんどでした。
いや、食事や施設に文句を言っているのではありませんヨ。
逆に、いまだに復興中なんだと理解できました。
部屋の説明書には「津波の時の避難経路」が載っていました。
・・・・・・・
翌日(今日)は津波で被害を受けた遺構を見ることにしました。
女川港の目の前に立っていた交番です。
津波の直撃を受けてひっくり返ってしまいました。
杭基礎もしっかりしていたのが分かります。↓
次に隣町の石巻にある門脇小学校の遺構です。
この小学校を遺構として残すべきかずいぶん議論があったそうです。
ぼくは入りませんでしたが、内部が見学できるコースが設けられているそうです。
知らなかったのですが、津波で破壊されたあと、発生した火災で学校が焼けてしまったそうです。
白い外壁が一夜にして真っ黒になったそうですが、15年経つうちに雨に流されて元の白色に戻りつつあるそうです。
左の方の教室は焼けなかったので、散乱した室内が見られるそうです。
経年劣化でカーテンがボロボロになって垂れ下がっているのがやたら印象に残りました。
聞くところによると、住民たちは観に来ないそうです。
そりゃそうですよね。
自分たちの子供たちどころか、親たちもこの学校で学んだのですから。
幸いなことに、生徒たちと教員で犠牲になった者はありません。
日頃の準備で、直ちに高台に避難したからです。
同じ石巻市でも大川小学校は別でした。
両校の位置関係です。↓

大川小学校では、児童74人と教職員10人が死亡または行方不明となりました。
今これを書いていて目に涙が滲んできてしまいました。T_T
確かに悲劇の証人として、原爆ドームは残す必要を理解できます。
でも、小学校はなぁ〜〜〜
・・・というのが正直な気持ちです。







