ゴッホ最後の日々(2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、苦労して来た甲斐があリました。


すっごく良いところです。



どの場所でも絵になります。

ゴッホが描きまくったのが分かります。


そして、この教会。


オーヴェルの教会。

まさにこの場所に彼はイーゼルを立てたのです。


そして彼が拳銃自殺を図ったとされる場所に、絶筆となったカラスが舞う麦畑の看板が立っています。


ぼくの推理では、御世の国に通じる道のイメージだったはずです。


そこでコンパスを取り出し、方向を確かめてみました。

ああやっぱり西に向いています。

いまこの場所は麦畑ではありません。

菜の花畑です。

でも黄色ですからゴッホの印象を邪魔していません。


そして畑の道を進むと・・・。

並んで兄弟の墓があります。


実に質素な墓ですが、ゴッホらしくていいかな。


↓テオの墓。


ツタで覆われて、兄弟の絆の強さが表れているようです。

造花のヒマワリに混じって本物のヒマワリもあります。

テオは兄が亡くなって半年後に死にます。

オランダに埋葬されますが、やはり二人一緒がいいだろうと遺骨が持ってこられました。


特に案内標識があるわけでないので、知らずに来たら見つけるのは困難でしょう。

偶然先客があったので、わかりました。

ちょっと誰の胸像か分かりませんが印象派の先駆者とのこと。↓


実際にオーヴェルの村に来てみると、パリからずいぶん離れています。

ゴッホはどうやって来たのだろうか?

そして何でこの村にやって来たのだろうかと疑問に思いますよね。

機関車に乗って来たのです。

当時すでに鉄道網が整備され、今思うよりずっと近い感覚だったそうです。

あとは歩いたのか馬車だったのか。

ゴッホは写生するので結構な健脚だったことは確かです。

ここを選んだ理由はガシェ博士の治療を受けるためです。

彼は内科医ですが、当時は精神科が無く、内科医が兼ねることが多かったそうです。

ゴッホは早い段階で彼がヤブ医師だと見抜いていたようです。

そう言われて絵を見ると、何かそんな感じがしますね。

ガシェ自身も絵を嗜み、絵描き仲間として会話を楽しむ相手とゴッホは認識していたのでしょう。

村は平和で美しく、絵の題材に事欠かなかったでしょう。

ゴッホは自ら確立した絵の技法で、毎日1枚以上も取り憑かれたように描きまくったのです。

そのときゴッホは幸せだったのでしょうか?

1枚も絵が売れないけれど、彼は美の境地に達したと自覚したはずです。

登りつめた人に、どうして死の影が忍び込んだのでしょう?

この平和で美しい村と、狂気の不釣り合いなマッチングについて考えざるを得なくなってしまいます。

ぜひ皆さんもこの村を訪れてみてください。