建国250年という意味 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、思い出したのですが、アメリカの独立宣言が1776年(富士山の標高と連結して覚えています。(^^ゞ)

 

すると今年は建国250年なんですね。

 

この250年という年月を長いと見るか短いと見るかビミョーじゃないですか?

 

日本は皇紀2686年も続く単一国家、中国は4000年の歴史をもつ、押しも押されぬ長い歴史を誇ります。

 

それに比べりゃアメリカなんて若造だって思いますよね。

 

しかし別の見方をすれば逆転します。

 

ドイツ(統一国家):1871年〜 → 約155年

イタリア(統一国家):1861年〜 → 約165年

日本(近代国家として):明治以降約160年

毛沢東が北京で中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年、すなわち建国77年なんですね。

 

つまり「近代国家」として見るなら、アメリカはむしろベテランの部類なんですね。

 

なのに、アメリカはいつまでも危なっかしい。

 
トランプの一連の政策を見て「若気に至り」とまとめていいのでしょうか?

 

アメリカ自身も若さを免罪符に利用しているきらいがあります。

 

しかし、これはとんでもない間違いであり、危険であると言えるでしょう。

 

覇権国家として80年近く経た国家が、これではイカンでしょう。

 

責任を自覚してもらわなくちゃ、世界の問題児です。

 

良い意味でアメリカに老獪さを身につけてほしいと思うのです。

 

どうやらアメリカ人は 身分・伝統・階級があるのは「古い社会 」とし、可能性・移民・自由を「若い社会」と認識しているようなのです。

 

・・・・・・・

 

国家というものは「認識」によって決まります。(アイデンティティとも言いますが。)

 

単一民族として認識するのが一番理解しやすいのです。

 

しかし多民族国家が現実です。(日本は例外ですが。)

 

だから、憲法によって規定しているのです。(オランダ人を定義するのは憲法しかありません。)

 

アメリカ人が考える自分たちの若さは、多様性を認める「寛容性」であるにもかかわらず、今のアメリカはその寛容性を否定しつつあります。

 

実は、この傾向はアメリカだけの話ではなく、全世界で起きているのです。

 

国家としての認識を確固たるものにするにはどうすればいいのか?

 

キーワードは「物語」です。

 

物語をうまく語れる者勝ちなんです。

 

トランプを含め、世界の指導者たちはどんな物語を語っているのでしょう?